授業が終わって、私とリリカは教室に二人残った。リリカは口を利ける状態ではなく、私から話しかけない限り沈黙が続くだろう。私から話しかければ、彼女は首を縮めて震える目でこちらを見つめた。

「……文芸部、行く?」
「で、でも……でも、文芸部に行ったら……昨日と同じことに……」
「私もそう思う。だけど……」

 スマートフォンを見る。文芸部グループには連絡がたくさん来ていた。男子たちと先輩二人のやりとりが続いている。
 カリヤとマナミ先輩、そしてウヅキの連絡は無い。代わりにずっとヒイラギ君とハヤト、ヨザクラ先輩で会話が行われていた。その結果、とりあえず状況を確認したいからとヨザクラ先輩が文芸部に集まることを提案していた。

「ウヅキは来ないかもだけど、皆は文芸部に集まるみたいだから……」
「そう……そうだよね。皆集まるもんね……」

 そう言って立ち上がるリリカだったが、その足取りは安定しない。私が支えることでようやく立ち上がったというところか。ごめんね、とリリカは申し訳無さそうに言う。
 二人でなんとか文芸部に辿り着いたところで、ふらり、目眩がする。二人で倒れるか、と思ったところを誰かに支えられた。顔を上げれば、好青年が立っていた──ヒイラギ君だ。そして、辺りは薄暗くなっていた。昨日見た悪夢と同じ光景が広がっていたのだ。
 きゃあ、とリリカが声を上げて尻もちをついた。そんな彼女を救うようにしてヒイラギ君が手を引く。

「二人とも、大丈夫?」
「わ、私は大丈夫……マキちゃんは?」
「おかげさまで、私は──」
「大丈夫なんかじゃないわよ!」

 私の声を掻き消すように一人の女子が声を上げた。大きな声にびくっと肩が跳ねる。そちらに目を向けると、ウヅキが一人で部屋の隅で座り込んでいた。マナミ先輩が近づこうとして拒絶されている。あぁ、と情けない声を上げてマナミ先輩が手を縮こめていた。

「こんな状況で大丈夫だと思うの!?」
「り、リオちゃん……」
「私は帰ったはずなのに……どうして部室にいるの!? 誰が連れてきたのよ!」
「それは僕も同感。部室に来るなんて悪手すぎると思って僕も帰ったはずなのにここにいるのは疑問」

 声を上げるウヅキに同調するようにカリヤが続けた。ハヤトは白い頭を掻きながら、まぁまぁ、と困ったように笑った。

「確かに愚策だったかもね。でも、結局ここに辿り着いちゃったってことで……」
「なんであんたはそんなに呑気なのよ……!」
「呑気じゃないよ、別に。騒ぐよりもっと生産的なことをしたいだけで」

 へらへらと笑顔を浮かべながらも辛辣なハヤトに、ウヅキが食ってかかろうとしたが、これもまたヒイラギ君が止めた。ハヤトは、困るなぁ、と一人呟いていた。
 さすがにウヅキが可哀想で、私はハヤトを諫めるように口を出した。

「人が消えた状況でパニックになるのは当然だと思う。ちょっと言いすぎじゃない?」
「そうだよ、ハヤト。こんな状況で対立したら向こうの思う壺だよ──」
『おー、揃ってるね、文芸部員たち! どうかな、これがデスゲームだってようやく実感してもらえたかな?』

 ヒイラギ君の声に被さるようにマイクのハウリングが聞こえてきた。スピーカーに視線が集中する。ヨルの声だ。
 ウヅキが吠え返すように、何が目的なのよ、と言った。すると、うーん、と唸るような声が聞こえたあとに、子供っぽい無邪気な笑い声が続いた。

『今の凄惨な状態を見ることかな! 今のキミたち、最高に面白いよ!』
「面白くないよ。人が死んでるんだもの」

 ヨザクラ先輩が静かに返す。私たちの間にあった、高まっていた感情の波が消えていくようだった。ヨルは言い負かされたように沈黙を挟んだが、すぐに、つまんないの、と拗ねた様子で返事した。

『まぁまぁ、着席してよ。今日も話し合いをして一人殺してもらうからね』
「誰がそんなこと──」
『あ、ウヅキリオ、キミたちに拒否権は無いよ。そろそろオレは飽きてきたから、早く話し合いしてね』
「……話し合いをしようか、皆……また一人適当に殺すって言われたら、怖いもんね……」

 ウヅキが立ち上がり、椅子に足を開いて座った。ヨザクラ先輩の言葉に従う気になったようだ。ヨザクラ先輩はウヅキの隣に座る。
 ヨザクラ先輩がここを纏めるのも当然だ──彼女は副部長なのだから。そして、誰よりも落ち着いているのだから。
 マナミ先輩がイヤホンを外し、その隣に座る。ヒイラギ君は足を揃えて座ると、ほら、カリヤもこっちに、と言って一人威張っていたカリヤを手招いた。ハヤトはカリヤの隣に緩く座った。カリヤが腕を組んで座れば、残りは私たちだ。
 リリカは辺りをきょろきょろ見ながら座った。ポニーテールが揺れて、まるで怯える小動物のようだ。最後に私が座れば、一つ空席になって、八人が座った。
 誰を殺すのか、話し合いが始まる。空調も無いのに、足元から冷えるような感覚に襲われる。空気がぴりっと凍てついて張り詰めた。



「さて、誰かを殺さなきゃいけないみたいですね。どうします? 何を基準にします?」
「問題は昨日誰に投票したかでしょ」

 へらっと笑ったハヤトに対し、カリヤが早口にそう言った。しんと辺りが静まり返る。
 誰に投票したか、言える人はいるのだろうか? 私は口が裂けても言えない、ミカン先輩に入れたなんて。この場で誰が誰に入れたかなんて話したのはハヤトだけだ。
 誰も発言をしなければ、カリヤがふん、と鼻を鳴らし、話を続けた。

「ミカン先輩は確かに入れて良いみたいなこと言ってたけど、ハヤト以外に入れた人がいたってことだろ? 全員に一票ずつ入れてたとしても、ミカン先輩は二人から狙われたんだ」
「それは、自分が死にたくないからミカン先輩に入れた、って人がいたんだと思う……」
「クルミは入れたの?」
「えっ!? わ、私は……」

 カリヤに詰められて、リリカが口を噤む。誰なんだよ、と追い打ちをかけるカリヤに、ウヅキは弄っていた髪先から指を離し、ちょっと、と口を出した。鋭い目がカリヤに向けられる。

「そんなの関係無いでしょ。リリカの言うとおり、昨日は根拠無く入れた人ばっかりだろうし」
「じゃあ何を基準にして人を選べば良いって言うんだよ!」
「知らないわよ。どうせ皆死んじゃうんだから!」
「落ち着いて、二人とも。喧嘩したって何にもならないよ」

 ウヅキとカリヤが声を荒らげたところで、ヒイラギ君が間に入る。この状況でも彼は爽やかだ。だが、その反応を気に食わなかったらしい、カリヤは眉を吊り上げた。

「喧嘩するところだろ、ここは。協調し合っても誰も選べないだろ」
「協調し合うなら、誰か一人を選ばなければ良いんじゃない?」
「え、それどういうこと?」

 ヒイラギ君の提案に、マナミ先輩が乗っかる。誰か一人を選ばなければ良いというのは、どういうことだろうか。私が思いつくより先に、ほら、と繋ぎ言葉ののちに、人差し指を立ててヒイラギ君が続きを話した。

「多数決で誰かが死ぬってことは、誰にも多く表が入らなければ良いんだ。皆が皆に一票ずつ入れていけば良いんだよ」
「……なるほど、何かしら法則を決めて投票し合えば良いってことだね」
「ヨザクラ先輩の言うとおりです。一人一票入るようにすれば、誰も選ばれることはありません!」

 リリカの顔が少し明るくなる。たとえるならば、絶望の闇の中に灯る灯籠を見たような、そんな顔だ。他の人の顔も、ほんの少し緊張が解れたような、そんな顔になる。
 私は納得したが、それでも少しだけ、不安な感情が纏わりついてべたべたしていた。
 ……本当にそんなことが許されるのだろうか? こんなこと、最初に思いついていたら対策が可能だったはずだ。
 私がそう思い至ると、ハヤトが珍しく真剣な顔で口を開いた。

「でも、それってゲーム上の欠陥だよね。そんな欠陥を、ゲームマスターが知らないわけが無いと思うよ」
「私もそう思う。本当に上手くいくか怪しいよ」

 ハヤトの言葉に賛同を示せば、マナミ先輩の顔も暗くなった。ゲーム、という言葉に反応したのだろうか。

「こういうときって、いつも何かしらの理由をつけて殺されそうな気がしてならないんだけど……」
「でも、やってみることに越したことは無いんじゃない?」
「そう……そうだよね……」

 ヨザクラ先輩は自分の三つ編みを弄りながらそう言った。マナミ先輩は指を合わせ、心配そうに目を逸らす。
 また沈黙が訪れる。せっかく灯った希望は、不安という名の風に煽られて消えてしまった。誰も何も言い出せないまま、時間が過ぎていく。
 そうすると、キーン、と高い音ののち、場にそぐわない呑気な声が聞こえてきた。

『あっれー? 皆黙り込んじゃってる? 話し合いは終わりで良いよね?』
「これ以上話しても、進展が無いし……」
『そうだよねー。じゃあ、お待ちかねの投票ターイム!』

 彼らの声はこの暗い空間では不釣り合いなほどぎらりと光っていた。私たちの細やかな反抗を聞いてもなお、だ。いよいよ不安が確信めいてくる。
 ヨザクラ先輩は、それじゃあ、と言って隣を指差した。もちろん、ヨザクラ先輩の隣はマナミ先輩である。

「わたしは隣にいるアヤネちゃんに入れるから、皆もこっち側の隣にいる人に投票してね」
「わ、分かりました!」

 リリカがこくこくと頷く。そうすると、リリカが入れるのは私になる。リリカは小さく、ごめんね、と言った。

「良いよ。この方法なら、誰も多数にならないから」
「うん……リオちゃんは私に入れて良いからね!」
「分かってるわよ」

 私は緊張しながらも、隣の人に票を入れた。私の隣は空席があって、ハヤトになる。
 こんなの、絶対上手く行くわけがないとも思う。でも、信じてやってみるしか無い。それで惨劇が回避できる可能性があるとしたら、賭けるしか無い。
 全員が投票を終えたのか、スマートフォンを片手にスピーカーのほうを見る。誰もがスマートフォンをぐっと握り締めて、ヨルの言葉を待っていた。
 暫時静寂が訪れた。胃の辺りが締め付けられるようだ。一刻も早く答えが聞きたい。それは甘い期待、苦い恐怖、二つを混ぜた感情だった。

『多数決の結果──最多票を集めたのは、ウヅキリオでしたー! あれー? 作戦はどこに行っちゃったのかなぁ?』

 祈るように手を結んでいたリリカが、手をだらんと下げる。皆の視線が、ウヅキに向けられる。
 ウヅキはスマートフォンを手から離し、ウソ、と呟いた。

「嘘……何それ、皆で投票し合うって話だったじゃん……!」
「誰かが、裏切った……?」

 私の言葉に、ウヅキの顔が引きつっていく。唇は紫色に変色し、わなわなと震えていた。その震えは全身に広がり、やがて爆ぜた。

「嫌……死にたくない! こんなはずじゃない!」
「リオちゃん!」

 ウヅキが、ばっ、と立ち上がり、今日教室を出ていったように走り出してしまった。またリリカが追いかける。今度はヨザクラ先輩やマナミ先輩も後を追った。
 カリヤは席を立ち、残っていた私たちに向かって怒鳴り始めた。

「おいッ! 誰が裏切ったんだよ! 完璧な作戦だっただろ!」
「お、俺はしてないよ……」
「オレもしてないよ。マキもしてないでしょ?」
「私はしてない。私はハヤトに入れたもん」
「クルミ以外の誰かが裏切らないとこうはならねーだろ! この中に嘘をついている奴がいるってことになるだろ!?」

 怒りが最高潮になるかと思った、そのときだった。甲高い叫び声が外から聞こえた。リリカの声だ。カリヤの動きもぴたりと止まる。
 さすがに行かないわけにはいけないだろう、ハヤトやヒイラギ君も椅子から立ち上がった。私も教室を出る。そして声のするほうへ走っていくと、そこは下へ降りる階段だった。階段の一方手前でリリカがへなへなと座り込んでいた。ヨザクラ先輩は顔を顰め、マナミ先輩はヨザクラ先輩にしがみついている。
 その先、階段の踊り場。そこに、ウヅキがうつ伏せで倒れていた。魚のように死んだ目で宙を見て、あんぐりと口を開けている。しかし血溜まりは無い。

「リオちゃんが……階段から落ちて……!」

 ウヅキの姿に目を奪われていた私は、リリカの言葉で我に返る。下へと降りていったのはヨザクラ先輩だった。ヨザクラ先輩はウヅキの体を揺するが、開いた口が閉じることは無い。
 後からやってきたカリヤが、うっ、と言って口を押さえた。

「死んでるじゃねーか……」

 リリカがぼろぼろと大粒の涙を流し始める。泣きっ面に蜂、蜂たるヨルはケタケタと嗤った。

『もー、逃げられたらこうやって殺すしか無いじゃんね? ワタシ、グロいの嫌なんだけどなー』
「まさか……階段から落ちるよう、押した、ってこと?」
『さぁ、どうなんだろうね? ウヅキリオが自分から落ちたのかもしれないよ?』

 ヒイラギ君の言葉に、ヨルは愉しそうに答える。真実が明るみに出ることは無い、ウヅキは確かに「前から」落ちているのだから。
 それにしても、とヨルが続ける。

『ワタシたちが困る前に裏切ってくれる人がいたなんてねー。どうせ同票にしても誰か殺しちゃおうと思ってたんだけどさー。だからもう、諦めちゃってね!』

 キャハハハ、という笑い声とともに放送が途絶える。そしてハヤトがこんな声を上げたのだった。

「裏切り者では、なかったみたいだね……」

 ハヤトの片手にあるのは、さきほどウヅキが置いていったスマートフォンだ。画面には、「残念! 裏切り者ではありませんでした!」の文言が表示されていた。
 リリカは、リオちゃん、と繰り返して泣き続ける。ヨザクラ先輩が首を振る。マナミ先輩がリリカのことを落ち着かせようとする。カリヤは悔しそうな顔で壁を叩き、ヒイラギ君は美形な顔を歪めて苦しそうな顔をしていた。
 ──その最中、誰かの舌打ちが聞こえた、ような気がした。ぞくり、心臓が沸き立つ。
 私が振り向いたときには、意識が絶たれ、再び暗い暗いまどろみに堕ちていったのだった。