彼は鼻で笑うと、「この場でわからせてやろうか?」と耳元で息を吹き込むように囁いた。反射的に顔を背けて目を強くつむる。
コンコン
硬質な音に、二人一緒に音がしたほうへ顔を向ける。そこには上等そうなスーツを身につけた、初老の男性が窓を覗き込んでいた。
「柴崎……!」
よくわからないけど、助かった。そう感じて身体の強張りは勝手に解けた。彼は私の上から渋々といった様子で退くと、窓を下ろした。
「専務、明日の会議で少々変更点がございまして」
柴崎と呼ばれた男の人は、私たちが何をしていたかなんて聞きもしなかった。プライベートもここまで踏み込まないタイプだと恐怖さえ感じる。
「私はこれで」
短く伝えて、車から急いで降りる。隣りの車にぶつからないように注意するのも忘れずに。
物言いたげな視線を背中に受けても、振り返ったりせずに早歩きで駐車場を出た。外の空気に触れた瞬間、膝が笑い始めてしゃがみ込んでしまう。
今度こそ完璧に終わらせないと。
私は生まれたての子鹿のように立ち上がり、ふらふらと歩き出した。



