男性は元々、素晴らしい技術を誇る馬車職人だった。過去には王室への献上品として馬車を作ったことがあるほどだという。しかし、彼はある日弟子にそのすべてを奪い取られてしまう。技術、他の弟子たち、部品を卸している業者に加え、顧客すらも奪われてしまった。

 当然男性だって黙っていなかった。奪われたものを取り返そうと手を尽くした。取引先を走り回り、なんとか受注を再開してもらえるよう懇願した。

 しかし、弟子の離反の裏にはとある貴族が存在した。金儲けを生きがいとしたディングリーという伯爵だ。

 伯爵は弟子に対して資金援助をするかわりに利益の一部について還元を受ける。弟子の作った馬車の供給が増えれば増えるほど、伯爵は他の貴族たちに自分の投資の腕を自慢することができるし、弟子は弟子で信頼も実績もないうちから貴族の後ろ盾という力強い力添えを得ることができる。双方に旨味のある契約だ。

 そんな状態で、一商人である男性が太刀打ちなどできるはずがなかった。弟子も、馬車を作るための材料も、顧客たちも、なに一つ取り戻すことができないのに仕事なんてできるはずがない。収入は途絶え、すぐに蓄えも尽きてしまった。すでに家賃は数ヶ月滞納しており、追い出されるのは時間の問題。当然食事だって満足にとれず、夢も希望も残っていない。死を待つだけの人生。

 ……ただ死ぬだけでは終われない。


 そんなときに男性が思いついたのが、馬車で広場に突っ込むことだったのだという。そうすれば、自分の生きた証を――馬車を歴史に残すことができる。こんな理不尽がまかり通る世の中に一石を投じ、彼を傷つけた当事者たちには死よりも恐ろしい制裁を。生地獄を味わわせたかった。