私がおさない時のことだった。

私は、東京・立川市にあるサラリーマン世帯の家に生まれた。

その時に暮らしていた家は、父が勤めていた総合商社の社宅だった。

私は、どちらかと言うと弁護士や医者…になりたくなかった方だった。

私の父は、幼い私に大して『お前は一流大学に進学して一流企業に入社をするのだ!!』と言い続けた。

そのように言う父は、マンネンヒラ社員だった。

私の母は、毎日のように父の悪口を言うた。

『お父さんは毎晩お酒をのんで帰ってくるからだめね!!』
『お父さんはどうして大学に行かなかったのか?』
『お父さんのような低学歴になりたくなかったら有名私立の進学校に行きなさい!!』

父は大学に行かなかったのではなく、行くことができなかった…

私の父は、12歳の時に集団疎開先の静岡県にある小さな村で終戦を迎えた。

戦後の混乱が続く中で、夜間中学に行きながら働いた。

定時制高校へ進学したあとも働きながら学ぶ暮らしを送った。

高校卒業の資格を取得したあとも、なにかとご苦労した。

対する母は、お金持ちの家の生まれで温室育ちだった。

幼稚園入園から大学卒業までエスカレーター式の学校で華の学園生活をオウカした…

子である私は、大きな負い目を感じた。

幼い私は、母に言われるがままに塾通いをした。

『勉強をしろ、勉強をしろ…』と母に強要された…

昼夜休まずに勉強漬けの日々を過ごした。

そして、受験の日を迎えた。

しかし…

その努力もむなしく、水の泡になった。

私が受験した私立の有名学園の入学試験の合否は、福引きで決めていた。

それを聞いた私は、拍子抜けした。

その日の夜であった。

私は、父に『どうして試験に落ちた!!』と怒鳴られた。

私は『入学試験は、福引き方式で決めていた…たまたまくじにはずれただけ外れただけよ…』と言うた。

父は『いいわけを言うな!!』と言うたあと大声で私を怒鳴りつけた。

結局、私は立川市内にある公立のA小学校に仕方なく入学した。

しかし、母は私に対して『有名進学校の中学校を受けなさい!!』と言うたあと塾通いを強要した。

また家と学校と学習塾だけの往復の暮らしでうんざりだ…

その結果、テストで悪い点を取ってしまった。

答案用紙を見た母は『また30点!!どうして百点満点が取れないのよ!!』と言うて私を怒鳴りつけた。

そんな状態が、6年も続いた。

どんなにがんばっても、よい点が取れない…

私の心の中に蓄積されたイライラが爆発しそうになった。

6年生の2学期のある日のことだった。

私は、先生に呼び出された。

先生は、私に対して『お前、ラサール(鹿児島県)を本当に受けるのか?』と言うた。

私は、やる気のない顔で『母が受けなさいと言うたから受けるのです。』と答えた。

そしたら先生は、あきれた表情で言うた。

「お前の頭ではムリだ…、普通の中学にしろ…普通の中学に行った方が楽しい時間がたくさんあるぞ…楽しい時間がないのはイヤだと思わないのか?」

先生からラサールに行くなと言われた私は、ひどく落ち込んだ。

結局、私は公立のB中学校に進学した。

事件は、私がB中学校の3年生の時に発生した。

中学校にいた時も、勉強が出来なかった。

行きたい高校も決まらない…

楽しくガッコーに行くことができない…

どうすればいいのだ…

そんな中で事件が発生した。

私が中学を卒業する1ヶ月前のことだった。

この時、公立高校の入学試験の願書を提出する期間が過ぎたので公立高校の入試を受けることができなくなった。

もちろん、私立高校も、受験しなかった。

そんな時であった。

学校の先生が私に対して『すぐに家に帰りなさい!!』と言うたので、私はすぐに帰宅した。

私が帰宅した時だった。

家母が、しくしくと泣いていた。

「お父さんが…会社で…上司を殴って、ケーサツに捕まったのよ…殴られた上司は…亡くなった…」

父が、会社で上司にひどい暴力をふるった…

上司は、脳出血で死亡した…

母から話を聞いた私は、茫然自失《ぼうぜんじしつ》になった。

父は、傷害致死罪でケーサツに逮捕された。

この時、父の弁護を引き受けた弁護士が私の義父だった。

義父は、父の傷害致死罪の事件の裁判の最終弁論で裁判長に言うた。

「カレは、会社のため…そして家族のために働いてきた自負が非常に大きく影響しています…事件の当日、カレは頭の中がパニックの状態に陥っていたので、善悪の区別が分かりませんでした…それなのに殺人罪で無期懲役はあんまりです…刑を軽くするか、または執行猶予つきの有罪判決をお願いします。」

それから一ヶ月後であった。

裁判長は、父が事件当時シンシンソウシツ状態であったことを理由に無罪判決を言い渡した。

父は、シャクホウされたあと帰宅した。

私は、進学する高校がないままB中学校を卒業した。

裁判の後、私の義父が家にやって来た。

義父は『せめて高校だけでも行かせてあげたい。』と私たち家族に言うた。

私は『犯罪者の父親を持つ子供を助けて何がしたいのだ!!』と言うて怒った。

私は、義父が出したテイアンを断った。

しかし、義父は都内にある私立高校にお願いする形で入学をする手続きを取った。

ニジボシュウで私立高校に入学することが決まった日の夜であった。

母は、私にこう言うた。

「夏彦がいきどおる気持ちはよく分かるけれど…お父さんを弁護してくださった先生は夏彦が高校を楽しんでいる姿が見たいと言うてるのよ…3年間はあっという間にすぎるわよ…大学に行かなくてもいいから、高校だけでも行って…」

私は、わだかまった気持ちを抱えたまま私立高校に入学した。

しかし、入学式の日に暴力事件を起こした。

「フザケルナ!!」

私は、となり町の中学校を卒業してニジボシュウで入学した男子生徒数人のグループともめごとを起こした末にめちゃめちゃに暴れた。

私は、ガッコーから『来るな!!』と言われた。

その時、妻の父親の弁護士義父が出てきた。

義父は、ガッコーに対して私の退学を回避してほしいと申し出た。

私は、復学したい気持ちは全くなかった…

義父はなんでいらないことをしたのだ!!

その日の夜だった。

私は、両親と大ゲンカを起こした。

「何で学校で暴れたのよ!?」
「知らないよ!!」
「お父さんのことを弁護してくださった先生が、一生懸命になって夏彦を助けるために動いてくださったのに…」

私は、母が言うた言葉に対して思い切りブチ切れた。

「ふざけるな!!オレはあの私立高校《ガッコー》なんかはじめから行きたくなかったのだよ!!」

(ガチャーン!!)

この時であった。

父がウイスキー入りのグラスを投げつけた。

グラスは、かべにぶつかったあと大きく割れた。

父は、ひどく酒に酔っていたので、声がものすごく大きかった。

「出て行け!!高校に行かないのなら、出て行け!!」

父が言うた言葉を聞いた私は、思い切りブチ切れた。

「ああ!!上等だよ!!犯罪者の親なんかいらねーよ!!」
「出ていけ!!出ていけ!!」
「ああ!!出ていくよ!!ふざけやがって!!やっつけてやる!!」

そして、私は父と大ゲンカを起こした末に家出した。