あれは、昭和47年の暮れだった。

北陸地方の(当時の)国鉄のトンネルで大惨事が発生した。

トンネル内を走行していた急行列車が火災を起こした。

ぼくは、報道局のキャップから福井県の現場に行くように命ぜられた。

ぼくは、現場でリポートしていた。

乗客30人が犠牲となった大惨事の現場を目の当たりにしたぼくは、大ショックを受けた。

特につらかった場面は、事故で亡くなられた乗客さんの棺《ひつぎ》の安置所でリポートしたことであった。

この時、家族を亡くしてひどく泣きじゃくっている遺族のみなさまに対して別の民放テレビ局のリポーターが『ご家族の方を亡くされた今の心境を…』と言うて感想を求めていた。

それを見た私は、怒り狂った。

あんまりだ…

ひどすぎる…

激怒したぼくは、安置所を飛び出したあと帰京した。

あとになって、泣きじゃくっている遺族のみなさまに感想を求めていたテレビ局のリポーターは、名古屋にある系列局のLテレビのリポーターであったことが分かった。

とうぜんのごとく、この問題は放送倫理の委員会に提訴された。

そのニュースを聞いたぼくは、キャップに直訴した。

あの大惨事で大切な家族を亡くしたご遺族のみなさまの気持ちを逆なでにする気か!!

私は、より強い怒りを込めながらキャップに直訴をした。

キャップは、爪の手入れをしながらえらそうな口調で言うた。

「お前さんの言うこともよくわかるけど…他局は他局だ!!問題があればちゃんと火消し役が出る…お前さんは与えられた仕事をしていればいいだけだ…いちいち過剰に反応するなよ!!」
「それはどう言うことでしょうか!?キャップ、おことばを返すようでもうしわけございませんが…」
「上司に口答えをする気か!?」

ぼくはヤッキになって言うた。

「ぼくは納得が行かないから言うたのです!!ぼくが言いたいのは、遺族のみなさまの感情を思えば、そっとしてあげるべきですよ!!ぼくはあきれてものが言えません!!」

キャップはぼくに『言いたいことはそれだけか!?』とすごんだあと、あきれた声で言うた。

「お前さんは、このギョーカイには向いていないわ…お前さんのような優しすぎる性格ではムリだ…視聴率第一主義のこのギョーカイは、お前さんのような性格ではまかり通らないのだよ。」

ぼくは『それがどうしたのでしょうか!?』と言うてキャップに反論した。

「あなたは、視聴率第一主義だから周囲のことばおかまいなしだと言うのですね!!あきれてものが言えませんよ!!」
「何とでも言え!!上司に口答えするひまがあるのだったら、仕事をしろ!!分かっていたら持ち場にもどりたまえ!!」
「失望した…あんたには失望したよ!!ドサイテーだ!!フン!!」

ぼくは、キャップと大ゲンカをした後休憩所へ行った。

ところ変わって、休憩室にて…

ぼくは、自販機で買ったUCCの缶コーヒーを片手にハイライト(たばこ)を吸いながらつぶやいた。

ぼくは…

願望を間違えたと思う…

アナウンサーになると大見得を切って…

このギョーカイに飛び混んだのに…

何をやっているのだ…

ああ、情けない…

アホや…ホンマに…

そう思えば思うほど、泣きそうになった。

そんな時であった。

ぼくの後ろにいた人がぼくの肩をやさしくトントンと叩いた。

ぼくの肩をやさしくトントンと叩いて声をかけてくださった人は、ぼくよりも二期上のやさしい目の男性アナウンサーのUさんだった。

ぼくが憧れていた先輩アナウンサーのUさんがやさしく声をかけてくださった。

「あんた、3時のティータイムショー(ワイドショー番組)のリポーターさんだね…報道局のキャップとひどい大ゲンカをしていたね。」
「Uさん。」

Uさんとぼくは、しばらく語り合った。

そして…

Uさんは、背広のポケットから財布を取り出したあと財布の中から一万円札を5枚取り出した。

「あんたもキャップも気持ちがつらいよね…これで帰りにおいしい酒でものんでね…いいっていいって…泣きたかったら、たくさん泣いたらいいよ…」

Uさんは、ぼくに優しく声をかけて下さった。

このあと、ぼくはトイレに駆け込んでワーッと泣いた。