ここで、正晴さんのことについて知りたいと言う読者のみなさまの質問に答えて行きたいと思います。

『正晴さんは、集団就職で東京にやって来た昭和40年代の始め頃は、どんな時代でしたか?』

就職集団が一番盛んだったのは昭和30年代の高度経済成長期であります。

正晴さんたちを含めた北日本方面の出身の少年少女たちが中学を卒業したあと列車乗って上野駅まで行った…

上野駅に到着した後、少年少女たちは個々の就職先へ向かった…

彼らの主な就職先は、町の自転車屋さんや飲食店や零細工場など…であった。

ちなみに、正晴さんが上京時期は東京オリンピックの翌年であった。

オリンピックが終わって、景気が少し下がり気味になっていた頃と言えばいいでしょう。

ちなみに、昭和40年代の前半は学生運動が活発になっていた時期であった。

他にも、GS(グループサウンズ)ブーム・ビートルズ来日などがあった時期である…

『集団就職でやって来た少年少女たちは、東京で就職したけど高校は行くことは出来るの?』

集団就職でやって来た少年少女たちは、就職をする条件として定時制高校や通信制高校で学びながら働くことと免許などの資格を取得することなどの条件を事業所から提示されているところが多くありました。

自動車修理工場で見習工して働いている場合は自動車整備士の資格の取得…

飲食店で働いている場合は、調理師免許の資格の取得…

…と言うように、国家資格を取得していた。

また、行く行くはジブンのお店を持つことを目標に働いていた少年少女たちもいました。

『…と言うことは、正晴さんも高校に行ける機会はあったのですね…どうして高校に行かなかったのかな?』

正晴さんが東京にやってきた時期は、学生運動の真っ只中であった。

出前の行き帰りに、ゲバ棒とヘルメットなどで武装していた大学生たちを見て幻滅したと思います。

その後、学園紛争が過激になった。

後に、東京大学安田記念講堂での暴動事件・よど号ハイジャック事件・渋谷の暴動事件、そしてあさま山荘事件が発生した…。

そんなニュースを聞いた正晴さんは、学校に行くことをやめて働くことを選んだのです。

『正晴さんは、運転免許を取得したあとトラックドライバーを経てタクシードライバーになりました…他にも、どんな仕事をしていたのですか?』

残念ながら、正晴さんが最初に働いていたラーメン屋さんをやめたあとタクシードライバーになるまでの間のいきさつはよく分かりませんが、複数の飲食店で働いていました。

それ以上のことは、ここで申し上げることはひかえておきます。

『正晴さんは、奥さまとお見合いで結婚したのですね。』

その通りです。

『交際期間は何日でしたか?デートのエピソードは?』

交際期間は0日ですぐに結婚をしたので、おノロケエピソードはありません。

『どうして?』

当時、正晴さんは30代後半・正晴さんの奥さまは29歳で、結婚をあせっていたのですぐに結婚を決めました。

それ以上のことについては、ここで申し上げることはできません。