(ここより主人公が変わります)

歩きへんろの旅にでてからきょうで何日目だろうか…

わしは、のんびりと歩きながらつぶやいた。

わしは、仁淀川にかかる国道の橋を渡ったあと海沿いの国道を歩いて目的地へ向かった。

たどり着いた場所は三十六番札所・青龍寺《しょうりゅうじ》であった。

参拝をすませたあと、ワシは納径帳《おしゅいんちょう》に朱印《しゅいん》した。

朱印《しゅいん》をすませたあと、ワシは高台から海をながめていた。

きれいじゃのう…

ワシのふるさとの海は…

どうなっているかのう…

わしは、海をながめながら今まで生きてきた人生を思い浮かべた。

わし名前は正晴…64歳です。

前職は、タクシードライバーでした。

わしは、昭和24年にみちのく釜石で生まれた。

漁業と鉄工業の工場のある街でございます。

わしの実家は、漁師さんの仕事道具を取り扱っている卸し問屋でした。

その時の家族は、両親と兄弟姉妹《きょうだい》たち12人の大家族であった。

お手伝いさんが4~5人いた大きな家でした。

時は、戦後の復興期から高度経済成長期へ向かおうとしていた時だった。

さあこれからだと言うときに、ワシの人生は大きく狂った。

あれは…

昭和35年のあの日…

「オーイ!!ものすごく大きな津波が来るぞ!!高台へ逃げるのだ!!」

地震が起こっていないのに、なんで…

この時、はるか遠い南米のチリで大きな地震が発生した。

それによって、巨大津波が発生した。

その巨大津波が日本の太平洋沿岸に到達する恐れが出た。

大変だ…

早く、高台に行かないと…

この時、私の父は街の消防団の団長だった。

父は、住民たちに対して高台へ避難しろと呼びかけた。

わしは、母と兄弟姉妹《きょうだい》たちと一緒に高台へ避難した。

街の人たちも一緒に避難した。

それから一時間後だった。

避難した高台にて…

「おい!!魚市場の方を見ろ!!」
「なっ何だあれは!!」

私は、魚市場の方を見た。

この時、巨大津波が海岸に押し寄せて来た。

黒い海水のカタマりで街が破壊された…

この時、わしの実家も津波に流された。

そして、父も亡くなった。

家と家業と一家の大黒柱を失った母と兄弟姉妹《きょうだい》たちは、母の実家がある弘前へ行った。

しかし、母の実家も生活が困窮《こんきゅう》していた。

追い打ちをかけるように、冷害で母の実家の農家が大打撃を受けた。

その上にまた、下のきょうだいたちが病気で亡くなった。

わしの近辺で不幸な出来事ばかりが続いた。

チリ津波さえなければ…

わしは、何度もそうつぶやいた。