暗闇だから、怖くなかった




「兄と連絡が取れないんです、ここ数ヶ月」

「え」

「森さんが彼女だったら……何か知ってるかもしれないと思ったんですけど」


 陽子さんの話は確かに聴こえているはずなのに、意味のある言葉として入ってこない。手足から熱がスッと引いて、まるで身体中の感覚が無くなってしまうような。


「……なので、もし兄から連絡が来たらこっちに連絡ください」


 陽子さんに名刺を渡され、半ば機械的に受け取る。心がついていかないのに身体が動く、というのはひどく妙な感覚だった。

 名刺をエプロンのポケットに入れ、私は調理器具を洗うために厨房に戻った。背後では食器が触れ合う音がして、いつも通りの〈春涛〉だった。


「ごちそうさまでした」


 陽子さんがちょうどの代金を出してくれたので、レシートだけ渡そうとすると「結構です」と返されてしまった。

 肩を落としたように見える背中に「ありがとうございました」と声をかけて、どうにか気持ちを切り替えて仕事を続けた。