暗闇だから、怖くなかった




「俺が出します」

「駄目です、そんなのは」


 森さんは唇を噛んでうつむいた。そして俺の横をすり抜けて行こうとするのを呼びかけて止めた。


「後で返してくれればいいので!」

「……」


 森さんの小さな背中が震えたような気がした。ゆっくりと振り向いた眉間にはシワが寄っていて、目が潤んでいた。


「……本当に申し訳ありません」


 深々と頭を下げる彼女の背を軽くさすると、俺は彼女の手を引いて大通りまで向かった。

 森さんも俺も、ひたすら無言のまま歩いた。タクシーに乗り車内でも何も話さず、病院に着いてもお互いの顔さえ見ずに薄暗い廊下を進んだ。


「先ほど容態が急変して……」


 森さんが看護師さんから説明を受けている間、俺は集中治療室で何本もの管に繋がれている女将さんを見ていた。この間まで朗らかに笑っていた人が、今は生死の淵をさまよっている。