「何しているんだ。こんな時間に、そんな格好で!」

 怒鳴ったエリックは、シュゼットに傘を握らせた。その拍子に手が触れる。

「手が氷みたいだ……。女性が体を冷やすものではない」

 コートを脱いでシュゼットの体にかけた彼は、手を掴んで走り出した。

(どこに行くのでしょう?)

 抵抗する気力もないシュゼットは、よろよろと足を動かした。

 エリックの肩が濡れて、茶色いベストが黒く染まっていく。
 水たまりに街灯が反射してまぶしい。
 傘を差した通行人はみんな、人目を避けるようにうつむいて家路を急いでいる。

 それら全てが、小説の中の出来事のようにふわふわして感じられた。

 現実感がないのに、エリックに掴まれた手の熱さは分かる。
 その熱だけが、倒れ込んでしまいそうなシュゼットの意識を引き留めていた。

(なぜ私はダーエ先生に手を引かれているのでしょう?)

 こんな自分、もうどうなってもいいのに。

 エリックは、広場を見下ろせるアパルトマンの二階に駆けあがり、205号室というプレートがかかった扉に飛び込んだ。
 そして、シュゼットを椅子に座らせて、洗い立てのタオルで髪を拭いてくれた。

「こんなに冷えて……。君の夫は、雨の屋外に妻を放置してどこに行ったんだ!」

 怒るエリックに、シュゼットは小さく首を振る。

「違います、先生。私は自分で家を出てきたんです……」