「友達だと、別れたと言った後もキスをしていたわ。熱く抱き合っていたじゃない。はしたない」
「っ、それは」
「私が無理やりしたんだ!」
エーメント殿下は庇うようにアリシアを抱き締めた。
「だとしても拒むべきよ。背中に手を回して、抱き返すなんてどうかしてるわ」
「ご、ごめんなさい。ごめんなさい」
そう言ってアリシアは泣き崩れた。
「アリシア、大丈夫だ」
「君は何も悪くない」
そう言って殿下の取り巻きがアリシアを慰める。
殿下だけではなく、他の人にも粉をかけていたのね。
「愛しているの。止められないの。お姉様、私は殿下を心から愛しているの」
「それは浮気をしていい免罪符にはならないわ」
「うっ、うっ」
アリシアの目からとめどなく涙がこぼれ落ちる。
これではまるで私が本当に悪人のようではないか。
「イリス、こちらに非があったことは認める。だからといってお前の罪が帳消しになるわけでもない」
エーメント殿下は非を認めることはしても悪いとは思っていないようね。
「お前との婚約を破棄する。そして、私はこのアリシアと婚約をする」
ようは、自分の恋を成就したいだけでしょう。
「殿下」
アリシアは感激したようにエーメント殿下を見つめる。見つめられたエーメント殿下は嬉しそうに微笑む。
三流作家が描いた舞台でも見せられているようだ。
「イリス、お前は未来の王妃に手を出した罪で国外追放とする」
「なっ」
‥‥‥にが、未来の王妃よ。
王が受諾したわけじゃない。つまり今の段階では私との婚約破棄もアリシアとの婚約も正式には決まっていない。
それに仮に私が彼女を虐めたとして、その時点ではただの貴族令嬢。未来の王妃という名目で私を裁くことなどできないのだ。
「命を取らないのはせめてもの情けと心得よ」
馬鹿じゃないの。
外で生きたことのない貴族令嬢が国外追放されたらその末路は死ぬよりも悲惨なものだ。
国外追放は処刑よりも重いのだ。
働いたことも、平民の暮らしも知らない私にどうやって生きろと言うの。
「お姉様、お姉様が私を嫌うのは仕方のないことです。でも、どんな理由があろうと人を傷つけることは許されることではありません。どうか、外国で自分の罪と向かい合い、そして昔の優しいお姉様に戻ってくれると信じております」
処刑にしないのは、自分たちの罪悪感を減らす為か。
私の為なんかじゃない。
自分たちが愛する人たちと心おきなく幸せになる為。
自分たちのせいで誰かが死ぬより、どこかで生きていると思っている方が楽だもんね。
「ふざけるなっ!」
「きゃあっ」
「私たちの温情を無にするつもりかっ!誰かその愚か者を捕えろ」
アリシアに掴みかかろうとした私に激怒したエーメント殿下が取り巻きたちに命じる。アリシアに好意がある彼らは姫を守ろうとする騎士のように私を捕えようと動く。
無遠慮に伸ばされた手。力任せに捕まれ、床に這いつくばらせるつもりなのだろう。自分の未来を想像して、体が硬直した。
「ぐはっ」
けれど、その未来は来なかった。
床に這いつくばっているのは私を捕えようと動いた取り巻きの人たちだった。
「イスファーン」
彼が動いたのだ。
今まで見たことがないぐらい冷たい目でイスファーンは床で呻く男たちを見る。
「薄汚い手で俺のお嬢様に触れるな」
「イスファーン、何をしているの。幾らお姉様の為とは言え、暴力はいけないわ」
イスファーンが何をしたのか分からない。とても速い動きで目にすることはできなかったから。
でも、床に蹲っている彼らが呻いているということは暴力を振るったのだろう。だからアリシアがイスファーンを窘める。
とても見当違いな方向で。
彼らだって私に暴力を振るおうとしたのに。
「なぜ、薔薇に棘がついているか考えたことがありますか?アリシアお嬢様」
アリシアはイスファーンに見つめられ、がくがくと震え後ずさる。
イスファーンは私に背を向けているせいで彼の表情は分からない。けれど、アリシアはまるで死神にでもあったかのような顔をしている。
「美しい薔薇を守る為には棘が必要なんですよ。あなたが我が身を守る為にイリスお嬢様に男をけしかけたように。自分の行いは正当化するのに俺がイリスお嬢様を守るのは暴力と断じるんですか?それはちょっと都合がよすぎだと思いますよ」
「イスファーン、あなたがお姉様を大切に思っているのはよく分かりました。妹としてお姉様をここまで思ってくれるあなたがお姉様の従者でとても嬉しく思います。しかし、大切だからこそ過ちを正し、諭さなければならないのです」
まるで聖女のように手を組み、はらりと涙を流すアリシア。
自分が姉から男を寝取った事実を忘れているのではないだろうか。
「罪、罪と言いますけど。お嬢様がアリシアお嬢様を虐めた証拠でもあるんですか?証言だけでは何の証拠にもなりませんよ。『イリス様の為』『イリス様が可哀そうだから』と実行犯が口にしたとしてそれが何なんですか?悪さをする口実に使われただけではないですか。実行犯には咎がなく、イリスお嬢様のみを断罪するのは自分たちの不貞を正当化したいだけですよね。これ以上、ここで問答する意味はありません。イリスお嬢様、行きましょう」
振り返り、にこりと笑って私に手を差し伸べるイスファーンはいつものイスファーンだった。
「待て、逃げる気か?」
エーメント殿下の言葉をイスファーンは鼻で笑った。
「国外追放を言い渡したのは殿下ではありませんか?もうお忘れですか?」
「っ」
エーメント殿下は顔を真っ赤にしてイスファーンを睨みつける。イスファーンはもう興味がないとばかりに「さぁ、行きましょう」と言って私の手を取って歩き出す。