婚約解消直前の哀しい令嬢は、開かずの小箱を手に入れた

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 エレオノーラは、夢を見た。
 
 二人の婚約が結ばれた、特別な日の夢だった。
 ようやく正式に婚約者同士となったエレオノーラとルドヴィックは、幸せの絶頂にあったのだが。
  
「やだっ……!」

 鮮やかな花が咲き誇る、王城のテラス。
 十二歳のエレオノーラは、ルドヴィックの胸を力いっぱい押し返した。倒れ込んだ彼の手からは、エレオノーラのために用意した指輪がコロコロと転がり落ちる。
 
 当時は今と違って、二人の体格もさほど変わらず、華奢なエレオノーラでも彼を突き飛ばすことくらいは出来てしまう。 
 床に尻もちをついたルドヴィックの、見開かれた碧い瞳が小刻みに震えた。まさか口付けを拒絶されるとは思ってもみなかったのだろう。いきなりの事でとっさに拒んでしまったけれど、彼の深く傷付いた目を見れば罪悪感がエレオノーラを襲った。

「あっ……ご、ごめんなさい、私」
「……嫌だったか?」
「嫌ではありません、でも」
「怖かったのか……?」

 ルドヴィックの問いかけに、エレオノーラは否定もできず頷いた。
 
 彼のことは大好きだった。いつも優しくて、格好良くて、一緒にいると楽しくて。エレオノーラには、ルドヴィックだけが誰よりも輝いて見えた。政略結婚にも関わらず、こんなにも好きな人と結婚できるだなんて、本当に夢のよう話だった。

 しかし、それとこれとは話が別なのだ。
 びっくりした。怖かった。いつも太陽のように明るいルドヴィックが、別人のように見えたのだ。
 相手が愛しい人とはいえ、何も心の準備が出来ないまま口付けを受け入れるなんて、到底無理なことだった。まだ子供のエレオノーラには。

「あの、少し、待っていただけませんか」
「少し……?」
「はい、どうか……私が大人になるまでは」

 花でいっぱいのテラスは美しくて、婚約を祝福するかのような眩しい光に溢れているというのに。
 二人の間にはこれ以上無く気まずい空気が流れた。エレオノーラはなにも話すことが出来なくて、ルドヴィックを見ることもないまま立ち尽くす。その後どのように過ごしたのか、どうやって帰路に着いたのかも覚えていない。
  
 そうして、婚約したばかりの二人によるファーストキスは未遂に終わった。
 ルドヴィック十三歳、エレオノーラ十二歳の、失われていた思い出だ。

 
◇◇◇