あいしていた、昨日まで。

あんなの、初めてなもんか。
初めてというのは、思い合っている相手と抱き合って、キスをして、手を握り合いながらぬるい体温が一つになる。
暖かくて、幸せで、そういうのをきっと、初体験という。
あんな乱暴で、自分勝手で、痛いだけの、悲しいだけの繋がりなんて…あんなの初体験なんかじゃない。
ただのレイプだ。

「私はもう、あなたとやり直す気はありません」
空音はなめられないよう顔を上げ、春樹の目をしっかり直視する。
「何?もしかして他に好きな人出来たとか?そんなわけないか。空音、男関係に疎そうだし」
春樹の言う通り、空音には春樹と別れて以来そういう関係の人はいなかった。
春樹に裏切られ、傷つけられてから、恋愛することさえ怖くなり、傷つくくらいなら一人でいたほうがマシだと思えたから。
「好きな人いるよ。ていうか付き合ってる人がいる。だから春樹とは付き合えない」
とっさに出た嘘だった。
そう言っておけば春樹が諦めてくれるんじゃないかと、空音は一縷の望みに賭けた。
「絶対うそ」
春樹はバカにしたように手を叩いて笑う。
「なんで?」
「だって彼氏出来たら普通変わるでしょ。でも空音はあの頃と全然変わらない。髪も、見た目も、ちょっと変わったのは、少し強気になったことだけ。でもさっきから足が震えてる。結局、変わってなんかいないんだよ。だから彼氏が出来たなんて嘘。」

ーー子供を抱いているみたい。
未だ熟しているかさぶたが疼く。
モノクロだったあの頃の感情がまるで昨日のように色をつけて蘇る。

「嘘なんかじゃない!」
自分でも驚くほどの声量で声を荒げる空音。
「じゃあ彼氏の写真見せて?名前は?どこの学校?」
その時、後ろから自転車のベルを鳴らされた。
振り返ると、自転車に乗っていたのは、図書館帰りの瑛太郎だった。
「あれ空音…何してるの?」
自転車を止め空音と春樹、交互に目を向ける瑛太郎。
もうどうにでもなれ。
空音は瑛太郎のそばへと駆け寄り、腕を掴み、それを自分のほうへと引き寄せる。
「この人がさっき言った新しい彼氏」
静寂が流れ、それを破ったのはわざとらしく高らかな春樹の笑い声だった。
「こんな冴えないやつが彼氏?ないない。こんな地味なやつ彼氏にするわけないじゃん」
「え?え?彼氏…!?」
突然巻き込まれ何が起こっているのか理解出来ていない瑛太郎が声を裏返し、目を大きく見開く。
空音は瑛太郎に否定させる間を与えず目配せした。
…お願い。話を合わせて。
「地味だから彼氏にするわけない?なんで?そんなのただの偏見だよ。見た目なんて関係ない。私は今この人が好きだし、この人も私を好きでいてくれてる。だからあなたとヨリを戻すのは無理です。ねえ?」
早口で瑛太郎に同意を求める空音。
「え、あ、はい。そうかもしれません」
空音はしどろもどろな瑛太郎の太ももを見えないところでつねって戒める。
「そうだよねえ!?」
「いや、そうかもしれませんではなく、はいっ!そうです僕はこの子の彼氏です」
春樹は黙り疑いの目を向けている。
そりゃあそうだろう。目の前の空音と瑛太郎の関係は、あまりにも恋人とはほど遠い。
「そういうことだから」
「ふうん。だから何?彼氏いるから何?じゃあ俺とは、やるだけの関係でいいよ。お前の体、子供みたいで興奮しないけど、たまにはそういうのもありかなって」
ようやく出た春樹の本音に、瑛太郎が自転車を降りて立つ。
乗っていたらわからないけど、かなり長身の瑛太郎を前に、見上げる春樹は少しおののいたようだった。
「俺のかっ、かっ彼女にこれ以上失礼なこと言ったら許しませんよ」
春樹はバツが悪そうに舌打し、
「別れてから少し経って少しは女らしく成長したかと思ったけど、こんな地味男と付き合うとか、そんな女こっちからお断りだよ。地味同士お似合いだな。頑張って。じゃあ」
そう言いながら車に乗り込み、逃げるよう発車した。