複雑な言い方をされて、脳内にはてなが浮かんだ。
 それでも、素直にそう言われると、やっぱり夕月くんは嫌いじゃないんだよなぁと思ってしまう。

「夕月くんは、何かを察してると思うから私も言うんだけど」
「いい、いい! あ、いや、言いたいなら言ってもいいけど」
「夕月くんは引かないだろうし、聞いたところで変わらないだろうから、聞いてもいいなら聞いてよ」

 両手をぶんぶんと顔の前で振って、夕月くんは気まずそうに立ち止まる。
 ユイのことが好きだから、と言う理由ではない。
 と言ってくれたことが嬉しかった。
 そもそも、そう思ってたら普通は口に出さないで隠すものだと思う。

 だから……信用できるとも思った。

「私、中学の時付き合ってた元彼に浮気されて」
「あー、うん」
「別れるって言ったら、めちゃくちゃ怒鳴られて」
「は? 浮気されたのに?」
「そう、ナミはそんなことで揺らがないと思ってたーとか、俺のこと好きだって言ってくれたじゃん、嘘つきーとか」

 思い返しながら言葉にすれば、胃の奥がムカムカする。
 それに、泣きたくないのに、涙がぶわりと顔の奥から湧き上がってきた。

「すごいむかついたし、それと、怖さもあって。男の人の大きい声とか、苦手なんだよね」

 責め立てるように、怒鳴り声を浴びたせいで、大きい声が苦手になってしまった。
 それのせいで、男の人が怖いし、嫌い。

 男の夕月くんを前にして、嫌いとは言えなくて誤魔化す。
 全ての人がそうじゃないことはわかってるし、雅にいとは普通にできるから、考えすぎなのもわかってる。
 でも、やっぱり嫌いだ。

 がさつで、大きい声で、自分が正しいと主張する生き物。

「そういう系かなぁとは思ったから、とりあえず、距離置きながら話してみてたんだけど……それは、そいつが最低すぎないか?」
「わかってるんだよね、元彼だけがそういう人だって。でも、こーすぐ素直には受け入れられなくて、あ夕月くんは別だよ。最初から、ちょっと離れたところから話しかけてくれるのとか。ゆっくり喋ってくれるのとか。気づいてたから」

 だから、夕月くんがユイの彼氏だったら、いいなぁとも思う。
 ユイの彼氏が私の嫌いなタイプの男だったら、少しきついし。

「そう、俺が意識的にやってたのは、正解ってことか」
「そうやってあっけらかんと言ってくれるとこもね」
「いやぁだって、隠してたってマイナスにしかならねーだろ」

 ぷっと笑ってから、夕月くんは遠くを見ながら呟く。
 私の目を見ないのも、威圧を感じさせないためかな、は考えすぎ?
 でも、そんな優しいところもイイなと思う。

 恋ではないけど……

 私の家が近づいてきて「ここまででいいよ」と断れば、夕月くんは「おー気をつけて」と立ち止まった。
 家がバレて欲しくないというのも、読み取ってくれてるんだろうか。

「俺もうすぐ振り向くから、見送らないでいいよ」
「やっぱ夕月くんは、優しいね」
「友だち限定だけどな」
「うん、ありがと。また明日」
「気をつけてな、ヤなもんは忘れとけよ」

 それだけ言って、スタスタと来た道を戻っていく。
 ヤなもんは忘れられないけど、夕月くんの優しさがチャージされて心はポカポカだった。



 宿題を解いていれば、玄関の扉が開いた音がした。
 すぐ後に「ただいまー」といつもの呑気な声が聞こえる。
 おかえりを返さないのは、何か違う気がして、部屋の中から「おかえりー」とだけ言葉をかけた。

 パタパタと足音を立てながら、雅にいが歩いたかと思えば声が先ほどよりも近くから聞こえる。

「出てきてくんないの?」
「わざわざ必要?」
「顔見たいじゃん」

 拗ねたように言うから、ふっと笑って「今忙しいー」と答える。
 顔を見たら図書館がフラッシュバックして、胃の奥がムカムカしそうだった。

 私の返事にも、雅にいは諦めずに扉越しに声をかけ続ける。
 勝手に開けてこないだけ、良いのかもしれないけど。

「なんでだよー宿題なら教えてやるよ」
「結構です」
「ごはんは?」
「食べました」
「待っててくれなかったの?」

 そんな約束してないし。
 なんだかんだ、ここ数日は一緒に食べていたけど。
 ルールとして設定はしていない。

 お腹が空いていたし、軽く自分で食べてしまった。

「ねーナーミー」
「なんですか」
「十分でいいから話そ」
「どうして」
「ナミの、顔見ないと疲れ取れない」
「クラスで散々見てるじゃん」

 担任なんだから。
 朝と終わりには一度、必ず顔を合わせている。

「それとは別!」

 諦めの悪い雅にいに、仕方なく扉を開けて部屋から顔を出す。
 雅にいの顔を見れば、ニコニコと嬉しそうに笑顔を見せつける。

「やっと顔見れた」
「はい、満足ですか?」

 戻ろうと、扉を閉めかけたところで、雅にいの手が邪魔をする。
 引っ張れば簡単に閉まりそうなくらい弱い力で。
 イヤなら拒絶しろと言わんばかりの態度が、私にとって心地よかった。
 昨日までだったら。

 雅にいのスーツも、顔も、図書室の出来事を思い出させるには十分で。

「雅にいは、女子高生が好きなんだね」

 嫌味満載で言ってしまった言葉に、雅にいはきょとんと驚いた表情をした。
 心底不思議そうな顔で私の顔をまじまじと見つめる。

「女子高生が好き、なわけじゃないけど」
「じゃあ、誰でもいいんだ」
「誰でもいいっていうか、まぁ女子高生もそういう範疇だよねってことだよ」

 当たり前のことを口にするように、淡々と話すから。
 苛立ちが体を貫く。
 思ったまま口が勝手に動いていく。

「誰でもいいんだ? うわ、くっずー」

 浮気したあの人と同じような人だったなんて思わなかった。
 そりゃあ誰にでも優しいとは思っていたよ。
 でも、誰でもいいを否定しない時点で、この人も私にとっては嫌いな男だ。

 力強く扉を引っ張って閉める。
 パタンという音の後に焦った雅にいの声。

「待って待って、なんで閉めた」
「誰でもいいような人とは話したくないです。女の子なら誰でもいいんでしょ、他の人当たってください」
「だから、誰でもいいなんて言ってないじゃん。なんで怒ってんの」

 言い訳がましい言葉に、怒鳴られたあの日がフラッシュバックする。
 私なら許してくれると思った。
 なんで、ナミが怒るの。

 私が勝手にヒステリックを起こしたみたいな言い方をして、自分は悪くないと主張する。
 雅にいは、悪くない。
 だって、私と雅にいはただの幼なじみだもん。

 それでも、そういう人間は嫌いだ。

「癒しも私以外の人に求めてください」

 扉越しにしゃがんで、通せんぼする。
 雅にいが居なくなる気配は、まったくない。

「ナミが怒る理由がわからないんだけど、何急に」
「知りません」
「答えてよ、俺悪いことしたなら謝るって」
「別に? 自由だよ、雅にいが誰とどんなことしてても。ただの幼なじみだし。恋人でもないし。でも、恋人でもない人と軽々しくキスとかそういうことする人間が無理なだけ。元彼思い出すから」

 スラスラと勝手に出ていく言葉を押さえようとしても、もう遅かった。

「元彼って何?」

 怒気をはらんだ声に、びくりと体が揺れる。
 大きい声でも、怒鳴り声でもない。
 でも、雅にいが怒ってる。

 なんで、今、私が怒られてるの?

「答えてよ」
「関係ないでしょ」
「関係なくない! 元彼ってなんだよ、俺知らないんだけど」
「そりゃあ、雅にいと会わない間に彼氏の一人や二人いるに決まってるでしょ!」
「どんなやつだよ」
「今関係ある?」

 声を返せば、すうっと息を吸った音が聞こえた。
 体を自分で抱きしめて深呼吸する。

 どうしてそんなに気になるのかは、理解できない。

「ごめん、気になった」
「もう別れてるから」
「それでも。ってか、俺、好きでもない子と軽々しくそういうことするタイプじゃないし」

 じゃあ、あの子が好きな子なんですね。
 はい、そーですか。

「じゃあ、勘違いで怒ってごめんね」
「勘違いで怒って、というか。もっかい開けて」
「それはイヤ」
「なんで」
「今は顔見たくない」
「わかった」

 ピタッと声が止んで、足音が遠ざかっていく。
 呆れられたかも。
 それでも、胸の内のムカムカは収まらない。