「ナミが、無事でよかった」
「三宮先生、ありがとうございました。ナミを助けてくれて、私を連れてきてくれて。私、ナミを守るって言ってたのに、肝心な時に何もできなかった」

 ユイが悔しそうに唇を噛み締めて、私の手を強く握りしめる。
 強く強く、後悔してるような表情をしていた。
 私は、ユイが居てくれたから安心できたのに。
 何もできなかったわけじゃない。

 言葉にしようとした瞬間、雅にいが、先生の顔じゃなくて、幼なじみの顔で私たち二人にもう一度笑顔を見せる。

「ナミも新田さんが居るから、落ち着いと思うんだ。守るって言うのは、力だけじゃない。新田さんも空手をやっていて強いかもしれないけど、強さは力だけじゃないよ」

 雅にいの声が耳に響いて、ユイも安心したように、手を握る力を緩めた。
 私も雅にいの言葉に重ねるように、何度もユイに感謝を伝える。

「ユイが居たから、私は安心できたし、いつだってユイに助けられてた。ユイが何もできなかったなんて思わないで。いつも、ユイのおかげで、私は安心できたの。今日もそう。だから、本当にありがとう」
「……ナミ、ありがとう」
「落ち着いたか? 送ってくよ」
「はい、落ち着きました」

 こくんっと頷いてから、夕月くんの顔が頭に浮かぶ。
 ユイも落ち着いたとは言っているけど、まだ不安だと思う。
 夕月くんに会えば、少しは気が紛れるかもしれない。
 
「夕月くん、呼ぶ?」
「あ……」

 ユイがぽかんっとして、ポケットのスマホを慌てて取り出す。
 何かを操作したかと思えば、雅にいの方に住所を伝え始めた。
 ユイの家じゃないことはわかったけど、黙って聞く。

「わかった。シートベルトしたら、車出すぞ」
「はい」

 ユイから体を離して、シートベルトを締める。
 そして、また手を繋ぐ。
 今は安心のために、手を繋いでいたかった。

 車がゆっくりと動き始めてから、ユイは、スマホにメッセージを打ち込む。
 多分、夕月くんにだろう。
 送り終わってから、私の方を向いた。

「ナミにはまだちゃんと言ってなかったけど、私ルイと付き合い始めたの」
「やっぱり、新しくできた恋人、夕月くんだったんだ」
「それで、ナミから返信が来ないからってルイに連絡したら……俺も探すって言ってくれて、分かれて探してたんだ」

 夕月くんも、私を探すのに協力してくれていたのは、驚きだった。
 夕月くんとユイが付き合ってたら、いいなとは思っていたけど。
 ユイは「言うの遅くなってごめん」と謝りながら、返ってきたメッセージを私に見せてくれる。

『見つかったならよかった。ユイも、林さんも、大変だったな。近くで、二人を守れなくて、ごめん。怖かったこと、辛かったこと、全部俺に話してくれたら受け止める。待ってるから』

 夕月くんも、ユイも同じようなことを考えて謝ってる。
 やっぱり二人は優しさが特にお似合いだと思う。
 優しさに満ち溢れた幸せな恋人なのが、ちょっぴり羨ましいくらい。

「そう思ってくれるだけで嬉しいのにね」
「ユイもだからね。守れなかったとか言ってるけど、二人とも私のために守ろうとしてくれてた。それだけでも、段違いに心強いよ」

 怖かった。本当に怖かった。
 それでも、ユイと夕月くんのやさしが胸に染み渡って、恐怖を埋めてくれている。

 ユイがまた泣き始めるから、私までつられてポロポロと涙が溢れてきた。

「もうそろそろ着くぞ」

 雅にいの言葉で顔を上げれば、いつも三人で行ったファミレスが見えた。
 ファミレスの前には、ソワソワと周りを見る夕月くんがいる。
 雅にいの車で行くことで夕月くんに気づかれてしまうかも。
 慌てて雅にいを止める前に、ユイが「ルイなら大丈夫」と口にした。

 それもそうか、と頷く。
 あれだけ察しが良くて、優しい夕月くんなら、気づいたところで何も言わないだろう。
 それに、ただそうなんだと受け止めてくれる気もする。

 夕月くんの前に車を止めて、雅にいが声をかける。

「夕月」
「三宮先生が、見つけてくれたんすね。ありがとうございます。ユイのことも、林さんのことも」
「おう。新田も怖かったと思うから、きちんと話聞いてやってな」
「はい、言われなくても。大切な恋人なんで」

 雅にいと話し終わって、夕月くんがユイのところの扉を開ける。
 ユイはシートベルトを外して、抱きつくように飛び出していった。

「おかえり、ユイ」
「……ルイ」

 ポロポロと泣いたまま、夕月くんに抱きしめられて、ぐりぐりと胸板に顔を押し付けている。
 お別れをいうのも野暮な気がしたから、小さく手だけを振る。

「林さんも、見つかってよかった」

 夕月くんは、優しく何度もユイの頭を撫でながら、私にも笑顔を作ってくれる。
 必死に探してくれていたことを物語るように、額から汗が垂れ流れていた。

「夕月くんも、ありがとう。ユイのことは、よろしく。私は、大丈夫だから」
「うん、よかった」
「じゃあ、また学校で」
「おう。ユイは任せて」

 扉を閉めて、バイバイと窓越しに手を振り合った。
 そのまま、雅にいは黙って家まで車を進める。
 沈黙の空間が気まずくて、何かを言おうとしたのにうまく言葉にならない。

 あっという間に家に着いてしまって、雅にいは扉を開けたかと思えば私を抱きかかえた。

「歩けるよ」

 その言葉にも、答えずに雅にいは私を抱きかかえたまま家に入る。
 玄関に下ろされたかと思えば、力強く抱きしめられた。

「雅にい……?」
「すげぇ心配した」
「ごめんなさい」
「まさかこんなことなってると思わなかった。家に閉じ込めておけばよかった。ナミが辛い思いするくらいなら、世間から隔離して……」

 肩越しに雅にいの言葉を聞きながら、とんとんっと背中を優しく撫でる。

「心配かけてごめんなさい。私、雅にいに知られたくなかった。こんな気持ち悪い目に遭ってるなんて、だから、黙ってた」
「知られたくなかったじゃないよ」

 少し緩んだ腕の力。
 顔を上げれば、涙を溜めた雅にいと目が合う。

「好きだから、知られたくなかった。元彼にストーキングされてるなんて、心配かけたくなかった」

 素直に言えば、雅にいは驚いた顔をする。
 私、今、好きって言っちゃった……?
 安心して口も心も緩んでしまったみたいだ。

「俺のこと、好き?」

 確かめるように、雅にいが口にするから。
 言ってしまったからには、恥ずかしいけど、伝えなくちゃ。
 こんなタイミングで告げるつもりではなかったけど。

「雅にいが好き、です」
「俺もずっとナミが好きだった。どこに触られた、何された。全部俺が上書きしたい」

 好きだったの嬉しい告白なのに、その後に続く言葉に、答えが詰まる。
 頬にキスされました、とは……言いたくない。
 せめて、全部洗い流してからにしたい。

 抱きしめていた手を離して、スッと雅にいの手が私の頭から輪郭をなぞっていく。
 頬に触れた瞬間、ビクッと反応してしまった。

 私の反応を見て雅にいは眉間にシワを寄せて、小さく声にする。

「イヤだったら、イヤって言って」

 そのまま、顔がどんどん近づいてくる。
 イヤではない、でも、イヤだ。
 こんな汚い私に触れてほしくない。

「イヤ……」

 震える声に、雅にいは悲しそうな顔をして「わかった」と頷いて、私を解放した。
 離れていく雅にいの腕をパッと掴んでしまう。
 言い訳にしかならない言葉を並べたてれば、雅にいは困惑したような顔で微笑んだ。

「違うの、こんな汚い私に……」
「汚くないよ、大好きだ」

 一度強く抱きしめてから、私の手の甲にキスをする。
 手首に残った跡に気づいて、両手首にもちゅっと軽くキスを何度もした。

「消毒」
「シャワー、シャワー浴びてから」
「一緒に?」
「一緒に、じゃなくて。キレイにさせて、ください」
「先に、キスしてからな」

 抜け出そうと体を捩れば、雅にいはびくともせず、私の体中に優しくキスをしていく。
 首筋、二の腕、頬、おでこ。
 触られていないところまで、余す所なくキスをする。

「全部全部、俺が好きなナミだよ」

 全身浴びせられて、もう一度強く抱き寄せられた。
 雅にいの匂いに包まれて、目を閉じる。
 優しい声も、匂いも、手も、私を心の底から包み込んでくれた。

「雅にい」
「もう、そのにいってやめない?」
「雅嗣さん?」
「雅嗣でいいよ、ナミ」

 顔を上げれば、雅嗣の瞳に吸い込まれそうになる。
 私の好きな優しい目だった。

「雅嗣……」

 さんも、付けずに名前を呼べば、唇を緩めて私の名前を繰り返し呼ぶ。

「ナミ」

 そして、顔が近づいて、唇に優しくキスをされた。

「好きだよ、俺だけの、全部、俺だけのナミだから。らもう離せない。ごめん、もう、離せないよ」

 それだけ言って、もう一度、もう一度、と何度も唇が振ってくる。
 くすぐったくて、目を閉じて、受け入れれば、拍車が掛かったようにキスの嵐に包まれた。