いつもは、楽しそうに帰り道の相談をするクラスメイトたちが今日は一段と騒がしい。
 目線の先は、窓の外へと注がれている。
 ユイは喧騒を気にも止めず、教室に入ってきたかと思えばまっすぐ私の席の前に立った。
 
「ナミ、昨日行けなかったから今日はどっか寄って食べる?」
「そうだね、どうしよっか。ってかメッセで打ち合わせとけばよかったね」
「ナミが返信しないからここまで、来たんだけど」
 
 フッと笑ってユイが、スマホを振る。
 ガシャガシャと音が鳴るのは、スマホケースに忍ばせている推しのアクリルだろうか。
 
 返信しないから……?
 
 今更ユイの言葉に気づいて、スマホを開けば昨日の夜から何通もユイからメッセが届いている。
 昨日の夜、寝てしまって確認していなかった。
 それもこれも、トモヤからの連続で送られてくるメッセージのせいだ。
 
「ごめん」
「珍しいね、ナミがスマホ見ないなんて」
 
 昨日の今日だ。
 ユイに心配を掛けたくなくて、ちょっと誤魔化す。
 
「あーうん、ちょっとね」
 
 それでも、親友にはお見通しだったようで、私の手のスマホを奪い取って人差し指でスクロールした。
 
「うげっ」
「声に出してうげって言うの初めて聞いたよ」
「とぼけてないで、何これ。こんなに送ってきてるの?」
 
 こんなに、と言うほどではないよ。
 嘘をつこうとして、誤魔化すように教科書やノートをカバンに詰めて答えない。
 
 たった十件程度。
 元々、トモヤはメッセージの多い人だったし。
 
 カバンを覗き込んでいれば、クラスメイトの「あれ、進学校の名徳の制服だよね」という言葉が耳に入る。
 パッと顔を上げると、ユイにも聞こえていたようで、私を見つめていた。
 
「まさかね」
 
 二人で言い合って、窓の外に目を移す。
 三階の教室は、よっぽど窓に近づかなければ外からは見えないはず。
 はずなのに、トモヤと目が合った気がした。
 
「学校まで来る? 普通」
「ってか、制服だけで学校分かる……か、わかるよね、うちの中学の子結構いるもんね」
 
 ため息が出そうになったので無理矢理吸い込む。
 騒がしい声が廊下にまで聞こえていたのか、雅にいが「うるさいぞー、部活ないやつは早く帰れー」と教室に入ってきた。
 
「寄り道すんなよー」と、クラスメイトたちを次々に帰していく。
 気まずくて、目を合わせないように教科書やノートを確認してるフリを続ける。
 
 教室がどんどん静寂に包まれていって、私とユイと、雅にいだけが取り残されていた。
 
「よし、帰ろっか、ユイ」
 
 カバンのチャックを閉めて、立ち上がれば雅にいはすぐ近くまで来ていた。
 
「林と新田」
「なんですか、三宮先生」
「いや、帰りたくないのかなぁと思って」
 
 雅にいは私とユイの顔を見比べて、首を押さえてストレッチを始める。
 
「帰りたくないわけじゃないんですけど、ねっ、ナミ」
「あぁ、う、うん」
 
 学校での雅にいに、相変わらずどうやって接すればいいかわからずに、変な間になってしまった。
 私とユイの返答を聞いて、雅にいは私たちの前の席に座る。
 
「はい、二人とも座って」
「えー?」
 
 ユイはそう言いながらも大人しく私の隣の席に座る。私は立つタイミングを失って、座ったままだ。
 何を始めるのかと思えば、雅にいは黙り込む。
 
「先生?」
 
 問い掛ければ、ぺろっと舌を出して笑う。
 
「何も思いつかないや」
「へ?」
「二人が帰りたくなさそうだったから、相談とかに乗ろうと思ったんだけど。いい話が思いつかなくて。で、どーして帰りたくないんだ?」
 
 帰りたくない、とは答えてない。
 なのに、帰りたくなかったと読み取って相談に乗ると言い出したのは、いつもの雅にいの優しさか。
 それとも、先生としての義務感か。
 
 想像してから、涙が滲みそうになる。
 私じゃない子が、帰りたくなさそうな顔をしていても、きっと雅にいは同じことをする。
 
 そういう先生だから。
 
「部活ないやつは、早く帰れーじゃないんですか」
 
 座ったままユイが足を組んで、ふぅっと息を吐き出した。
 じゃれてるように聞こえたのは、私だけ、だろうか。
 
「まぁ本来は、早く帰ってもらうけど。何か悩みがあるなら、先生が聞こうかなぁと」
 
 ユイはふわぁっとあくびを隠しもせずにする。
 早く帰りたいんですけど、というオーラを感じ取ってこの場を収める方法を考えた。
 
 それでも、何一つ、良い案は浮かばない。
 
「帰りたくないわけじゃなくて、どこいくか考えてたんです」
 
 帰りたいは、帰りたいし。
 そう言葉にすれば、雅にいは「そうかそうか」と安堵の表情を浮かべる。
 先生の仮面の笑顔。
 
「寄り道も、本当は……まぁ、高校生だし、それくらいするよな。ところで、新しくできたドーナツ屋さん知ってるか?」
 
 胸ポケットを漁ったかと思えば、ペラペラの折りたたまれた紙を取り出した。
 文字を読んでみれば「NEW OPEN」と書かれている。
 
「知ってるよ、それくらい」
「えっ、ユイ知ってるの? 私は知らないけど」
 
 驚いてユイの方を見れば、ユイはタッタッタとスマホに何かを打ち込み始めた。
 そして、ドーナツ屋のホームページを開いて私に見せる。
 
 並んでいるドーナツは動物をモチーフにしているらしく、全てが可愛らしい。
 
「先生のおすすめは、ハニードーナツだぞ」
「クーポンくれるってことですか?」
 
 ユイが遠慮なく、雅にいの持っていたクーポンを奪い取る。
 雅にいも抵抗せず「しょうがないなぁ」と優しく笑った。
 
 ユイはもうそこに行くことに決めてるらしいから、私も付き合うか、と腰を上げる。
 雅にいには、お土産でも買って帰ろう。
 おすすめのハニードーナツを。
 
「じゃあ、二人とも気をつけて。何かあったら、すぐ逃げる。助けを呼ぶ。忘れんなよー」
 
 手を伸ばして、私の頭を撫でようとしてから、やめる。
 
 さすがに、ユイの前でそんなことをしたら勘繰られてしまうかもしれない。
 ユイなら知ったところで、悪いようにはしないだろうけど。
 
「はいはい、じゃあ、三宮先生バイバイ。クーポンありがとー! いこ、ナミ」
「うん、じゃあ、先生お疲れ様です」
 
 ぺこっとお辞儀をしてから、カバンを肩に掛ける。
 ユイが私の右手を引いて、歩き出すから同じペースで着いていく。
 
 階段に差し掛かったところで、ピタリと立ち止まった。
 
「どうすんの、トモヤのこと」
「どうするって言ったって……私たち待ってるとは限らないでしょ」
「絶対私たちでしょ。ってか、ナミ、あんたのこと待ってると思うんだけど」
 
 私のことをビシッと指さしてから、ユイはため息をついて髪をかき上げた。
 
「裏から帰る?」
 
 ドーナツ屋のクーポンについている地図を見る限りでは、正門から帰る方が近い。
 パーカーの帽子を目深にかぶって、ユイに見せてみる。
 
「これで隠せないかな」
「すぐバレるよ、そんなの」
「裏門からだとちょっと、遠くない?」
 
 裏門から行けなくはないけど、結構遠回りになってしまう。
 
 うーんと唸っていれば、ユイは「ばっかじゃないの」と声を荒げた。
 
「ドーナツよりあいつから逃げることが優先でしょ。私とのドーナツなんていつでも行けるんだから」
「えっ、今日どこも行かないの?」
 
 せっかくユイと昨日のやり直しができると思ったのに、しゅんと落ち込んでしまう。
 ユイは「あぁもう! わかったわよ!」と言って、私の両手を掴んだ。
 
「ナミは裏口から出て、遠回りだけどドーナツ屋に来て。私は正面から出てトモヤに、ナミは今日休みだとでも言ってから行くから」
「わかった、ごめんね」
「謝んないの! ナミが悪いことなんて、ひとつもないから!」
 
 力強く言い切って、私の両手を離す。
 そのまま、ユイと階段を降りて下駄箱へと向かう。
 
 靴を持って、ユイと別れて裏口へと一人で歩く。
 喉がヒュッと締まるのは、スパイみたいだなんて、子供っぽい想像のせいか。
 トモヤの何件も入っていたメッセージへの恐怖感からか。
 
 わからなかった。
 トモヤのことが、嫌いなわけじゃない。
 ただ、昨日からの行動に戸惑ってるだけ。
 それなのに、顔を合わせないように行動してる矛盾がおかしくて、一人で泣きそうになった。