逃げるように代金を支払って、店を出る。
振り返りもせず、少し進んだところでユイが立ち止まった。
ぷはっーっと息を吐き出して、私の手をぱっと離す。
「まさか、こんなとこで会うとは思わなかった」
「私も、会うなんて思わなかった、めちゃくちゃ緊張しちゃった」
「あの時別れた以来、まともに話してなかったんでしょ?」
「うん……」
浮気されてケンカ別れをした日。
私はユイに慰めてもらいながら、一晩中泣いた。
振り返ってユイが、笑顔を作る。
あの時も、今も、きっと私のことを心配してくれている。
「謝られてもどうしていいかわかんなかったや」
「本当にね、今更だし。ってか、今日はナミの恋バナしっかり聞くつもりだったのに。どうする、他のとこ行く?」
ユイの提案に、悩んで首を横に振る。
今は、恋バナをするような気分じゃない。
どんな話も、きっとトモヤとのあの日々を思い出してしまうから。
「じゃあ帰ろう、送ってく」
「うん、ありがと」
ユイと手を繋いで歩きながら、先生のモノマネや明日の小テストの話をする。
わざとらしく恋に関連しそうな話を避けてくれてるのは、ユイの優しさだと思った。
玄関が開いた音がして、部屋から出ればちょうど帰宅した雅にい。
スーツのネクタイを緩めながら、入ってきた。
「おかえり」
声をかければ、私に気づいて表情がパァアっと笑顔に変わっていく。
まるで、私のこと本当に好きみたいだなと勘違いしかけて、首を横に振った。
でも、私も雅にいの顔を見た瞬間、ホッと胸を撫で下ろしてしまった。
雅にいが靴を揃えてから、私に近づいて一回ぎゅっと抱きしめてから離れる。
「ただいまー! ユイちゃんとごはん食べてきたんでしょ? おいしかった? いつものとこ?」
「うん、いつものとこ。ごはん食べれなかったんだよね……」
それどころじゃなくて、ごはんも食べずに結局解散してしまった。
雅にいが帰ってくるまで食欲も湧かなくて、何も食べていなかったことを思い出す。
その途端、お腹がぐぅうっと恥ずかしく鳴った。
「食べてないの? え、何あったの? 待ってすぐ作るわ」
「いい、いい、雅にい食べてきたんでしょ? 自分で何か作るよ」
「待ってなよ、オムライス作ってあげるから」
オムライス。
私が元気ない時や、悩んでる時はすぐに気づいてくれる雅にいの私の甘やかしレシピだ。
ぽんぽんっと頭を優しく撫でてから、私の背中を押してキッチンへと向かう。
リビングに入れば、イスを引いてくれて「どうぞ」と座るように示された。
「作ってるとこ見ててもいい?」
「なに、今日は甘えん坊じゃん。かわいー、いいよ、もちろん」
イスを戻して、雅にいはエプロンを掛ける。
そのまま、私の手を引いてキッチンへと入っていく。
手際よく材料を取り出しながら、何回も私の存在を確認する。
「辛いことでもあった? 言いたくないなら聞かないけど、俺で良かったら聞くよ」
「会いたくない人に会っちゃって」
口に出せば、涙が出そうになる。
会いたくなかった。
思い出したくなかった。
ぐっと飲み込めば、雅にいはトントンといい音を鳴らしながら材料を切り揃えていく。
「ケンカでもしてた人?」
「そんな感じ……でも今日、謝られて仲直りはしたんだ」
「したくなかったのに?」
パッと顔をあげれば、まっすぐ見つめられていて、息が詰まる。
そう、私は、仲直りなんてしたくなかった。
でも、謝られたら、許さなきゃいけなくなってしまう。
「ナミは優しいから、謝られたら許しちゃうもんな」
フライパンを取り出しながら、何度も私を見つめる。
急に相談してることが恥ずかしくなって、雅にいの背中にピッタリと自分の背中を合わせた。
顔を見なければ、素直に言える気がしたから。
「許さなきゃいけないと思って、気にしてないって嘘ついたの」
「でも気にしてんだ」
「そう……同じ高校じゃないから、もう会うこともないと思ってたし」
ジューとフライパンが音を奏でている。
とくん、とくん、という緩やかな雅にいの心臓の音が背中越しに、体に響く。
そして、バターのいい香りが、鼻を突き抜けていった。
ゆっくり、少しずつ、あの時の気持ちが消化でき始めている。
「まぁもう会わないんじゃない? 別の高校なんでしょ」
「隣街の進学校」
「あー電車で三十分くらいの?」
「そこ!」
「まぁ、終わる時間とか向こうのほうが遅いだろうし、もう会わないよ。大丈夫。どうしても、また会っちゃったら、トイレとかに逃げて、俺呼んでよ。すぐ飛んでくから」
雅にいの言葉に、ふふっと笑う。
過保護だなと思う反面。
好きな人にこんなに優しくされるのは、とても幸せなことだなと思う。
「うん、そうする」
本当には多分、私は呼べない。
でも、その約束だけで安心できた。
「お皿取って、二つ」
「雅にい食べてきたんじゃないの?」
「食べてないんだよ。溜まってた仕事終わらせてたら、こんな時間」
私がユイと喫茶店に行くと報告していたから、てっきり雅にいも外で食べてきたんだと思ってた。
「言ってくれれば作って待ってたのに!」
食器棚から二つ取り出して、手渡す。
お皿にチキンライスが盛られて行く。
「ナミのごはんは俺が作りたいの。ナミの手作りも嬉しいけどね」
「でも」
「それに、ナミがお腹すいてなかったら食べる気なかったから」
「それは健康に悪いよ!」
「慣れてるよ、それくらい」
ふふんっと鼻で笑って自慢げに言うから、メッと怒れば嬉しそうな顔をする。
「私は怒ってるんだけど」
「ナミに怒られるのは、幸せだなーと思って。あ、冷蔵庫のビーフシチュー、チンしてくれる?」
雅にいは卵をかしゃかしゃとかき混ぜながら、冷蔵庫を指差す。
この前の残りのビーフシチュー。
冷蔵庫から取り出して、レンジに入れる。
ピッ、ピッという機械音が私たち二人の間に鳴り響いた。
くっついても怒られないし、ごはんも二人で作って食べてる。
この関係を形容するなら、何だろう。
そもそも雅にいには、恋人はいないんだろうか。
ふと考えて、聞こうとしてやめた。
もし、「いるよ」と答えられたら、この同居生活が辛くなってしまう。
だったら、知らない方がまだマシだ。
チンっと軽快な音を立ててレンジが温まったのを知らせる。
取り出そうと、レンジを上げれば雅にいの手に止められる。
「ナミはまたヤケドするから禁止!」
「過保護」
正直、嫌じゃない。
今はそれくらいの過保護が、嬉しくて、つい口元が緩んでしまう。
つるんっとした黄色い、昔ながらの薄い卵焼きの上にビーフシチューが注がれていく。
卵の黄色は、ビーフシチューの茶色でどんどん見えなくなっていった。
「はい、完成。食べよっか?」
こくんっとうなずいて二人のお皿を持って、テーブルまで移動する。
慣れてきてしまった二人のごはん。
それでも、雅にいの作るごはんはおいしい。
両手を合わせて「いただきます」と口にしてから、ビーフシチューとオムライスを一口。
昨日食べたビーフシチューよりもコクが深くなってるのは、一晩寝かせたから?
ハフハフっと冷ましながら食べ進めれば、雅にいはテーブルに肘をつきながら「おいしい?」と私を見つめた。
冷めるから食べなよ、と何度も言ったのに、雅兄は「おいしそうに食べるナミを見てから食べると、ますますおいしいんだ」とか意味のわからないことを言って、私を観察する。
「おいひいです」
「よかった、俺も食べよう」
ドロドロと渦巻いていた心の中のモヤは、オムライスを食べてるうちに少し晴れてきた。
トモヤのことは忘れて、おいしいオムライスに舌鼓を打つ。
「ナミ、何度も言うけど」
「んー?」
「次はすぐに俺を呼ぶんだよ」
真剣な顔で雅にいが私の名前を呼んで、存在を確かめるように口にする。
こくんっとうなずいて、オムライスをまた一口食べる。
「うん、呼ぶことにする」
本当にできるかは、置いておいて。



