私もテーブルに顔を近づけて、隠れる。
どうしてこんなところで、とも思ったけど、中学が同じ校区なんだから居たっておかしくはない。
高校はたしか、電車で三十分くらいのところの進学校に進んだと思っていた。
メッセージアプリで『なんでいるの』と送っても、ユイが知ってるはずもない。
ユイがテーブルに近づけていた顔をスッと持ち上げて、周りを見渡した瞬間。
聞き覚えのある低い声が、聞こえた。
「ユイじゃん」
小声で「ごめん」とユイが謝るから、大丈夫と首を横に振る。
カツン、カツンと足音がやけに響いて聞こえてグッと息を呑む。
できれば、会いたくなかった。
「久しぶり」
ユイに話しかけてる声に、気づかれないようにメニュー表を顔のところまで持ち上げて開く。
顔を見られないように、選んでるフリをして。
「友だち?」
「そう、お腹すいたねーって来たんだ。トモヤは?」
「俺も友だちと」
メニュー越しに見れば、トモヤは後ろの席の方を親指で指している。
違う学校なのに、同じタイミングで喫茶店に来ちゃうなんて、私は間が悪い。
「お友だちさんは、なんていうんすか?」
ユイと話していてくれればいいのに、こちらに話を振ってくる。
名前を言えばバレる。
でも、答えないのはおかしい。
どうしよう。
ぐるぐる考え込んで悩んでいれば、ユイが適当に答えてくれる。
「この子人見知りだから、やめてあげてよ」
「えー、いいじゃんいいじゃん。俺怖くないよ」
「いやそれが、怖いって」
トモヤは変わらない。
自分に自信があって、相手との距離をグイグイと詰めてしまえる。
そんなところに私は惹かれて、恋に落ちたんだけど……
今では、ただ恐怖でしかない。
ぐいっとメニュー表を力任せに下げられて、ばちんっと目が合う。
体がこわばってメニュー表を上げることも、何かを言うこともできなかった。
「ナミ」
どくん、どくんっと心臓だけが速く脈打つ。
答えなきゃ、わかっているのに、ノドがカラカラに乾いて、体も口も動かない。
「ちょっと待ってて」
黙り込む私に諦めたのか、トモヤは立ち去る。
でも、待っててって言った?
「ナミ! 帰ろう! 戻ってくる前に」
ユイに手を握られて、やっと体に血が巡っていく。
「う、うん」
レモネードは半分も飲み終えてないし、もったいないけど。
それどころではなかった。
「私が払っておくから、ナミは早く家に帰りな」
ユイに甘えて、立ち上がって出ようとすれば、後ろから手を掴まれる。
「逃げないでよ」
友だちのところに行ったはずのトモヤが、戻ってきていた。
がっしり掴まれた手は、びくともしない。
「少しだけ、話さない? 謝らせて欲しい」
今更? 何を? 謝らなくていいから帰して。
言葉は頭に浮かぶのに、一つも口から出ていかない。
体はまたガチガチに凍りついてしまった。
「トモヤ、放しなよ」
「でも放したら逃げるだろ。俺、ナミにずっと会いたかった」
どの口が言うんだろう。
別れてもう一年近く経っているのに、私はあの時にまだ縛られている。
謝られたって、許せない。
店内中の人の視線が私に突き刺さってる気がして、つい「とりあえず座ろう」と言ってしまった。
元の席に座れば、ユイは私の手を掴むトモヤの手をはたき落として私の隣に座った。
「あんたはそっち」
「わかってるって」
心拍数が上がりすぎて、少し気持ち悪くなったのをレモネードで誤魔化す。
落ち着いて見れば、トモヤの手にも飲み物。
私たちのテーブルに置いて、目の前に座る。
「とりあえず、ナミにずっと謝りたかった。あの時は、本当にごめん」
両手をテーブルについて、深々と頭を下げる。
思いもよらない行動に、瞬きだけを繰り返す。
ユイの方をちらりと見れば、ユイは黙ってメロンソーダを口に運んでいた。
「謝られても……」
正直なところ、私とトモヤはもう終わっているし、今謝られたとしても何も変わらない。
それでも、トモヤは顔をあげてまっすぐ私の目を見つめて謝罪を続ける。
「あんな美人に言い寄られると思わなくて、ナミが居るのにちょっとなびいてしまいました。ナミのことが本当に好きだったし、ナミを傷つけたかったわけじゃない。本当にごめん」
そしてもう一度、深々と頭を下げた。
それでも、許す許さないよりも、もう今はどうでもいい。
あの時は傷ついたし、トモヤを見れば、傷ついた気持ちが蘇って体はこわばった。
許したら、解放されるんだろうか。
「もう気にしてないよ」
今は雅にいへの恋心を自覚したばかりだし、全てが嘘ではない。
許したか、と言われれば、正直もう関わりたくないの方が大きかったけど。
トモヤは安堵したように顔をあげて、昔の人懐っこい笑顔を見せる。
「良かった。ナミに嫌われたままでどうしようと思ってたから」
ユイは隣から小声で「本当にいいの?」と言ってるけど、早く帰ってもらうためにはこれしかないよ。
そっと隣から手が伸びてきて、私の手を掴む。
こわばってるのに気づいたのか、優しくさすってくれている。
「高校楽しい?」
謝罪が終わったのにトモヤは席から立ち去らず、世間話を始める。
帰る気はまだまだ、無いらしい。
「まぁまぁよ、あんたは?」
私が答えないから、ユイが代わりに答えてくれる。
私はレモネードを飲んで、うんともふぅんとも取れない言葉を相槌がわりに放った。
「楽しいよ。勉強は難しいけどね。二人は一緒のとこなんだな、制服同じだし」
ユイが私の肩をグッと引き寄せて、微笑む。
「そうよ、親友だからね」
「そっか、新しい彼氏とかできた?」
「できたできた」
私は二人のやりとりを聞きながら、壁のシミを探したり、店内の人を観察する。
不意に私の名前が呼ばれて、トモヤの方を見れば、優しい目で私をまっすぐ見つめている。
「ナミは?」
「いないよ」
本当に、ただただ、近況を確認したいだけなのか。
私に心はもう無いってわかってるのに、勘違いしそうになる表情だ。
「そっか。まぁ難しいよな、人間関係」
最後の方は掠れ気味に聞こえた。
もしかしたら、高校であまり上手く行ってないのかもしれない。
だから、ひどい別れ方をした私に謝りたかったのかも。
ガチガチに凍りついていた体は、いつのまにか少し溶け始めている。
「何かあったの?」
「いや、そういうわけじゃないけど……」
言いづらそうに息を飲み込む。
ひどい別れ方をしたとは言え、一度は好きになった人だ。
つい、情が湧いてしまってる。
聞こうか? と言いかけて、ユイに遮られる。
「じゃ、ナミと私は帰るから、またね」
ユイがメロンソーダを最後の一口を飲み切って、私の手を引いて立ち上がった。
トモヤは「えっ」と声に出して、「待って待って」と私たちを引き留める。
「今日は用事あるから、私たちは帰るよ。それに、友だち居るんでしょ」
「そうだけど、もうちょっとだけ、近況とか話そうぜ」
うるうるとした瞳で私たちを見上げる。
その目に私は弱かった。
いつだって自信満々に見せてるくせに、私たちの前では弱さを見せる。
浮気された時だって、本当は私が好きだと言ってその目で見つめられて絆されかけてしまったくらいには。
「ごめん、今日は、むり」
絞り出せば「そっか、またな」と諦めたように笑う。
その表情があまりにも傷ついていたから、ためらってしまった。
足が張り付いたように重たい。
でも、ユイが私の手を無理やり引っ張って、動かしてくれた。
「じゃあ、またね」