誤解を解かせて
 ユイが変なことを言うから、変に意識してしまう。
 コンビニで買ってきたオムライスをレンジで温めながら、雅にいが帰ってきてないことを何度も確認する。

 今顔を合わせたら、何を言って良いかわからない。

 チンっと軽快な音を立てて、レンジが温めの終わりを知らせる。
 取り出せば、思ったよりも温めすぎてしまっていたようで、親指がじゅわっと熱くなった。

「あっつ」

 オムライスを一緒に作った日に、過保護に心配してきた雅にいを思い出してしまった。

 大好きなオムライスを買ってきたはずかこに、卵も、ケチャップライスも味がしない。
 ただ、油を飲み込んでるみたいで、食べきれずにフタをする。

 意識せず、逃げながら、生活するって決めたのに。
 どうしても勝手に意識は、雅にいに向いてしまう。
 スプーンを置けば、急にスマホの着信音が鳴って、びくっと体が勝手に震えてしまった。
 
 スマホを見れば、お母さんと名前が出ている。
 慌てて電話に出れば、お母さんのいつもの声と、近くにいるであろうお父さんの声。
 少しホッとして、つい、嬉しい声を出してしまう。

「もしもし、お母さん?」
「ナミ、うまくやれてる? 雅嗣くんに迷惑かけてない?」
「大丈夫だよ、二人とも元気?」
「こっちは大丈夫だよ」

 迷惑は別に掛けていない。
 女子高生とキスしてるのをみてしまってから、ちょっと、ギクシャクはしてるけど。
 迷惑を掛けてるとはまた違う。

 電話越しにお母さんは優しく私の心配を何度も口にする。
 後ろにいるお父さんも「元気にやってるのか」「俺にもナミと話させてくれ」とか言ってるのが聞こえた。

 残したオムライスを冷蔵庫に閉まおうとスマホを肩と耳で挟み、キッチンへと移動する。
 なるべく音を立てないように冷蔵庫を開け閉めしながら、二人の言葉に耳を傾けた。

 元気だよ、と伝えるように明るい声を出せば、安堵したように二人は「よかった」と口にする。
 お母さんとお父さんに急に会いたい気持ちが、ふつふつと湧き上がってきた。
 雅にいが居るから一人じゃないけど、やっぱりどこかに寂しい気持ちはあったみたいだ。

 いつ帰ってくるの? と聞きたくなって、一年で帰ってくると言っていた言葉を確かめたくなった。
 否定されたら、と思うとなかなか言いづらかったけど、意を決してお母さんに聞く。

「早ければ一年で帰ってくるんだよね?」
「そうなんだけど……」

 お母さんが言いづらそうに、言葉尻がすぼんでいく。
 え、嘘だよね?
 早ければ一年、って約束だったよね?
 いや、早ければ、だけどさ。
 てっきり、一年で帰ってくると私は思ってたよ?

「ねぇ、お父さん」

 スマホの向こうでお母さんの声が少しずつ遠ざかっていった。
 そして、どんどんお父さんの声が近づいてくる。
 お父さんに電話を変わったのだろう。
 
「え、帰ってこれないの?」
「帰れないわけじゃないんだが、もう寂しくなったのか?」

 寂しくなったとかそういうわけではなくて……
 確かに、会いたいとは思ってるけど。
 それよりも……雅にいとギクシャクしていて、このままこの家で生活していくのが辛い。
 でも、雅にいと上手くいってないとは言えない。
 そんなことを言えば、「転校してこちらに来い」と言われるのがオチだろうから。

 見えないのに、ブンブンと首を横に振って否定をする。
 お父さんは電話越しに、安心したような声で、絶望することを告げてきた。

「一年で帰れなくはないんだが、多分三年。ナミが卒業するまで、こっちでもいいか? 会社の方がまだばたついていてな、一年で目処が立つようには思えないんだ」

 仕事だと言われてしまえば、何もわからない私は答えられない。
 それに、イヤだと言ったところで、出てくる選択肢は、私がそちらへ転校するだけ。
 転校は……したくない。

 せっかく夕月くんと仲良くなったのもあるし、ユイが近くにいるというだけで安心感が違う。
 こちらに一人で残るというのも、私のわがままから来ているから。
 イヤだとはどうしても答えられなくて、強がって見せる。

「全然大丈夫。お父さんとお母さんがいなくて、むしろ一人暮らし満喫中だから!」

 自由に生活できるのが楽しいのは本当だし。
 お父さんとお母さんがいたら、きっとできなかったユイと頻繁に遊びに出かけるとか、夜ふかしとか、満室してるのも本当だ。
 
「それならいいんだが、何かあったらすぐ雅嗣くんに相談するんだぞ」

 お父さんとお母さんの、雅にいへの信頼感の理由を知りたい。
 私にとっては、信じられない。
 誰でも良いと言うような人……嫌いだし。

「うん、じゃあまた電話してね」
「ナミも、何かなくてもいつでも電話するんだぞ」
「はーい」

 電話をぷつりと切って、深いため息を吐き出す。
 一年耐えれば良いと思っていたのに、まさか、一年ですまないとは。

 思い立って、スマホで近所のアルバイト情報を探してみる。
 それでも、時給とバイトできる時間を考えて計算しても、一人で生活していくには圧倒的に足りない。

 私は、誰かに甘えたまま生きてるんだなぁと今更実感して、より一層ため息を吐き出しそうになった。

 玄関が開いた音がして、慌てて、部屋に戻る。
 鍵を掛けなきゃと見れば、部屋の鍵がない。
 鍵が……ない?

 昨日までは確かに、掛けた記憶があるのに。

「ただいまー」

 トン、トン、と足音が近づいてくるたびに、手だけが何もないところを探すように彷徨う。
 呼吸を止めて、答えずにいれば、扉の前で足音が止まった。

「おかえりはくれないの?」

 勝手に扉を開けることはしないけど、雅にいは何度も「ただいま」と繰り返す。
 諦めて「おかえり」と返せば、満足したように私の名前を呼んだ。

「ただいま、ナミ。ごはん食べた?」
「ねぇ、雅にい。鍵どうしたの?」
「いらないだろ?」
「いるよ! プライバシー!」

 怒った声を出せば、雅にいの声は聞いてるだけでわかるくらいに萎れていく。

「だって逃げるじゃん、ナミ」
「逃げるに決まってるでしょ」

 誰でも良い、なんて言う人と同じ空間にいたいと思う?
 問いかけても、はぐらかされるだろうから言わないけど。

 静かに問われているのに、イヤだなと思ってしまうのは、元彼とのせいだろうか。
 やっぱり、大声じゃなかろうと、どんなに優しそうに見えようと……幼なじみだとしても、男の人はみんな一緒なのかな。

「勝手に開けることはしないし、ナミが部屋にこもってて何かあった時に何もできないのがイヤだから、取っただけ。何もしないよ、大丈夫」
 
 なにも、大丈夫じゃない。

 はぁっとため息をこぼして「わかった」とだけ答えて、扉の前の雅にいを無視する。

「ナミは、何を勘違いしてるか教えてよ」
 
 勝手に扉を開けはしないものの、答えるまで雅にいは諦めない。
 明日の宿題を終わらせようと、教科書を取り出して机の前に座る。
 いつまで経っても、雅にいが立ち去る気配はない。

「いつまでそこにいんの」
「ナミが出てきてくれるまで」

 強制はしない、と言いながら私が思い通りに動くまで、雅にいは、じいっと待ち侘びる。
 タチが悪いと思った。
 昨日の件が、好きな人じゃないっていうのが私の誤解だったとしても、雅にいには何も困ることはないはずなのに。

「もうわかったよ、誤解してないから。宿題やるから」

 昨日同じやりとりをしたばっかりだな、と思いながら答える。
 昨日も、元彼のことを答えてとしつこく言ってきた。
 自分は女の子とイチャイチャしてるのに、私が誰かとそういう関係になるのが気に食わないなんて、何様だろう。

「ナミは勘違いしてるって」
「チャラい人は嫌いなので、早く立ち去ってください」