「エヴァン……」
「よっ!」

 エヴァンは右手をあげてリディに挨拶すると、彼女の隣に座ってサンドイッチを強奪した。

「あっ!」
「へへ、もーらい!」
「ちょっとっ!」

 大口を開けて食べるエヴァンは満足そうに口をもぐもぐしている。
 リディは大きなため息を吐くと、手元の籠にあったサンドイッチを取って彼に盗られないように体ごと背けてかじった。

「そんな警戒しなくてもいいだろ」
「いつも私のランチを盗るんだもの」

 リディは人混みがあまり好きではなかったため、学院の食堂にはあまり顔を出さない。
 そんな彼女に何かとちょっかいをかけるのが、幼馴染でもあり同じクラスのエヴァンだった。

「そういえば、この前の授業、どうして休んだんだよ。お前が休むなんて珍しいじゃん」
「その日はミカエラ殿下に急遽呼ばれてね、お茶会に出席してたの」
「ふ~ん……兄上にね」

 エヴァンは少し目を細めて低い声で返事をした。
 リディの幼馴染のエヴァンはミカエラの弟であり、第二王子である。
 宮殿に幼い頃からよく出入りしていたリディはエヴァンのことも知っており、リディ、ミカエラ、エヴァンの三人で遊ぶことも少なくなかった。
 
 その時、サンドイッチを食べ終わって立ち上がろうとしたリディの手をエヴァンが掴んだ。

「兄上じゃなく、俺にしない?」

 リディの耳元でエヴァンが囁く。
 甘ったるい声で吐息交じりの言葉を令嬢たちが聞いたら、卒倒してしまうだろう。
 ミカエラも金髪碧眼という美しい見た目であったが、エヴァンもシルバーの髪にちょっと遊び髪を靡かせ、そして兄と同じ碧眼の見た目をしている。
 二人とも見目麗しく令嬢たちの注目の的だった。

「そんな言葉は婚約者の子に言ってあげなさい」
「残念。俺、婚約者いないもん」

 そういって悪戯っぽく笑みを浮かべた。
 そんな彼にリディは姿勢を正して言う。

「で、そんな王子様は、本当はわたくしに何の用でいらしたの?」

 全てを見透かしたような瞳にエヴァンは両手を広げて肩をすくめた。

「リディはお見通しか」

 彼は一気に真剣な顔つきになると、低い声で話を始めた。

「四大公爵から俺に『一級公爵書』が申請された」
「一級、公爵書……!?」

 『一級公爵書』というのは、この国の四大公爵家当主四人の連名によって王族に進言する文書のことをさす。
 四大公爵家はその立場上、互いを牽制し合い監督し、そして合理的かつ理性的に政治の助けをおこなうことを任務としている。
 さらに今代の四大公爵家当主たちは一癖も二癖もある者たちばかりで、あまりそりがあう四人というわけではなかった。
 そんな中でこの四人が団結してこの文書を提出したということはそれなりの重要案件であることをリディはすぐさま理解した。

「まさか、あなたにそれを渡すってことは……」
「ああ、国王と王妃、そして第一王子への断罪だ」

 その言葉を聞き、リディは胸が痛んだ。
 ちょうど先日のミカエラの呼び出しの際にリディ自身も問いただしたのだ。
 リディもミカエラの素行不良と国庫金に手をつけて女遊びをしていることに気づいていた。
 国王と王妃にそのことを伝える前に本人に改めるように言ったが、聞く耳を持たなかった。
 ミカエラは彼女の言葉を聞かずに浮気相手であるルルアのところへ行ってしまった。

「君も気づいていたし、兄上にそっと言ってくれていたのだろう?」
「……ええ。でも、わたくしの言葉はもう届かなかったわ」
「リディ、国王と王妃、そして兄上の不正を糺して王族の身分を奪う『一級公爵書』はすでに俺の手元にある。その中には、『神位制度』の撤廃もある」
「『神位制度』の、撤廃も?」
「ああ、君がずっと望んでいたことだ。これで君の願う、正しきウィンダルスに近づく」

 リディは学院に入って目の当たりにした、『鮫』の加護を持つ学生へのいじめを憂いていた。
(過去の人間の過ちを、今の人間に負わせることはあってはならない)

 比較的高い爵位の人間には表立っていじめはなかったが、男爵など身分が下の者へのいじめは激しかった。
 そうした『鮫』の加護を持つ者へのいじめや差別は貴族だけではない。
 特に貧しい者へのそれは、時に命の危険まである。

(世の中を変えたい……わたくしにできることは何?)

 リディは何度もミカエラに身分制度の撤廃を求めたが、全て撥ねつけられた。
 挙句の果てには「お前は身分の低いあいつらの誰か、好きなやつでもできたのか?」とまで言われた。

「リディ、変えよう。この国を、俺と一緒に」