【夜・亜乃の家、部屋の中】
一人でお菓子の本を三冊ほど机の上に広げた状態で、頬杖をつき、ぼーっと今日起こった事を振り返っている亜乃。
亜乃(なーんか、よく分からないなあ……)
渡り廊下で律に引き止められた事、一緒にクッキーを食べた事、よく笑顔を見せてくれた事。
開いているお菓子の本とは全く関係ない、そんな事ばかりを考えてしまっている。
亜乃(いつもなら、研究会で調理した日は幸せ気分なのに……)
色んなインパクトの強すぎる出来事が起こりすぎていて脳内が飽和状態の為に、そんな気分にさえなれないでいる亜乃。
律『――好き』
連動して思い出された律の言葉に、うわあっ、と顔が熱くなって行く。
亜乃(だから!あれはクッキー!クッキーの事!!)
亜乃はぶんぶん、と雑念を払うように首を横に振る。
はあっと一つ息をついて気持ちを落ち着かせて気分を変えようとお菓子の本に目を落として下を向いた時、視界の端に1冊のキャンパスノートがうつり、そちらの方を見る。
ノートの表紙には『現国 磯谷昭』の走り書きされた文字。
亜乃(これも、よく分かんないんだよね……)
頭の中で律と別れた後の事を思い出す亜乃。
『今すぐ返せ』とせっつかれて教室内に戻ったものの、ノートは机の中からは見つからず、そういえば一昨日ゆっくり見ようと家に持って帰ってそのままだったと思い出して。
つまり学校にはノートないので今は返せないと理解し、これはまた絶対何かイヤミの一つも言われる……と覚悟していた亜乃だったが。
律『――ああ、いいよ別に。明日でも』
と律はさらりと言い放っただけで去っていったという、そんな妙な出来事まで起こっていて、本当に亜乃の頭の中はクエスチョンマークだらけの状態。
亜乃(もう、本当に何なんだろ……)
机の上にぱたりと上半身を突っ伏す亜乃。
ちらり、と昭のノートに視線をやる。
亜乃(と、とりあえず明日忘れないように返そう……)
これで明日忘れようものなら今度こそイヤミ確実だと、起き上がってノートをスクールバッグの中に入れる亜
乃。
【翌日朝・学校、特進科クラス内】
亜乃「――おはようございます。どうも、ありがとうございました。遅れてすみません」
登校して教室に入るなり真っ先に昭の姿を探し出し、借りていたノートを差し出す亜乃。
周囲のクラスメイト達が思い思いに友人達と談笑したりして過ごしている中、一人で席に座って授業の準備をしていた昭が、ついでのようにそれを受け取る。
昭「おー」
机の中にしまって、昭は亜乃に返す。
昭「お前マジで色々いい加減すぎん?」
亜乃「ご、こめんってば……」
返却したのに付いてきた小言に、亜乃はげんなりする。
亜乃(そりゃあ私が悪いんだけど……)
何か一つ文句言わなきゃ話が出来ないのかなこいつは……と心の中で思う亜乃。
まあこういうヤツだ、とため息をついた亜乃に対し、
昭「――そういえばさ。昨日の、何?」
不意に話題を変えるように昭が発する。
余りにも抽象的な質問に、え?となる亜乃。
亜乃「何って……何が?」
質問し返してきた亜乃に、補足をしてくる昭。
昭「何か、二人でいたから。平良と」
そこまで言われて初めて、あの渡り廊下での事を言われているのかと理解する亜乃。
亜乃「あ、うん。いたよ?だからあそこでたまたま平良君と会って。――昨日も言ったけど」
亜乃は昨日起こった事を思い起こしながら、順々に説明していく。
亜乃「部活の休憩中だったみたいで。ちょうどそのタイミングで会えたから、あそこでキーホルダー返してただけだけど……」
何か問題だったのか?とばかりに普通に答える亜乃。
そんな亜乃を見て、
昭「ふーん」
とごちる昭。
亜乃(…………?)
疑問符を頭に浮かべた亜乃。
更に昭が訊いてくる。
昭「――お前さ。今日調研の活動、休みの日?昨日調理してたって事は」
訊ねてきた昭に、亜乃はこくり、と頷く。
亜乃「あ、うん。今日は休みだけど」
調理研究会は大体、調理をした翌日が、休みとなっている。
それを昭は亜乃との付き合いの中で知っているのが、前提の会話。
昭「オレも生徒会の活動、今日休みなんだよね」
どういった意図で言われているのか掴めずに亜乃は
亜乃「あ、そうなんだ……」
と言うしかない。
昭「――あのさ」
お互いゆっくり出来そうだね、と言いかけた亜乃より先に、更に言葉を続けてくる昭。
昭「今日放課後、付き合え」
短く言われた一言に理解が追いつかず、亜乃はぽかんとする。
昭「ノート貸してやっただろ。あと、返却遅れた延長料金分。――PAZバーガー。奢れ」
亜乃「え、ええ~~~っ!?」
今まで抱いていた些細な疑問なんて全てふき飛んでしまう程の昭からの要求に、思わず声をあげてしまう亜乃。
亜乃「か、感謝はしてるけど!PAZは!PAZは高い!美味しいけど!近いけど!うちの生徒御用達だけど!」
不満の声を上げる。
昭「キツくないとペナルティにならないだろ」
亜乃「鬼!鬼畜!」
反論の罵詈雑言を放つ亜乃の元に、藍が駆け寄ってくる。
藍「どうしたの?~?何かすっごい叫んでるけど」
そばに来た藍に、亜乃は不満をぶちまけていく。
亜乃「あ、藍ちゃん聞いてよ!磯谷ってばノートのお礼なんか要求して来るんだよ?PAZ奢れー!って」
状況を説明した亜乃に、藍があらあらといった表情を作る。
藍「酷いねー、女のコにたかるなんてー」
亜乃「でしょでしょー?」
藍「うんうん、酷い酷い!酷いよね!酷い酷い!」
ひとしきり目一杯亜乃に同調した、後。
藍「………で、さ。亜乃、この間のや・く・そ・く♡ だけど!♡……ね?♡」
クッキー、クッキー!!と目を輝かせてきた藍に、亜乃はスクールバッグから取り出したクッキーが詰まった袋を渡す。
亜乃「――はい、ちゃんと上手く出来た。美味しいと思うよ」
藍「本当本当?ありがとーっ亜乃大好きー」
亜乃「いえいえ。藍ちゃんいつもありがとーっ、私も大好きーっ」
ぎゆっ、とハグし合う二人。
こいつ完全に藍に上手くのせられてるな……と亜乃を冷めた目で見てる昭。
藍「……何よ~その目~」
昭の冷ややかな目に気付いた藍が文句ある?とばかりに睨みをきかせる。
昭「別に」
短く返す昭。
藍「ホント、ヤなヤツー!駄目だよ、亜乃ー。こんなヤツとデートなんかしちゃー」
言われた一言に、え?となる亜乃。
亜乃「で、デート?」
なんの事?とばかりにばちぱちと目をしばたたかせる。
そんな亜乃を見て今度は藍がえ?という表情をする。
藍「え?行くんでしょ?PAZに。二人で」
亜乃と昭の顔を交互に見ながら、藍が確認してくる。
亜乃「え、えええええ!?ち、違う、ただお礼しろって言われてるだけで」
亜乃は手を左右に振って否定する。
藍「……で、一緒に行くんでしょ?二人で」
二人で、と再度繰り返して藍が言う。
亜乃「い、いや別に二人でって訳じゃ……藍ちゃんも、来る?」
亜乃が藍にそう誘いをかける。
藍「……………」
嘘でしょ、という表情を作って無言になる藍。
続けて昭の方を見るのと同時に、
昭「変な事言うな」
と昭から指摘が入る。
藍「……うん。そうだね。うん。ごめんね。本当にごめん」
そう言って同情の眼差しを昭に送る藍。
理解し合っている二人の間に亜乃は全く入っていけておらず、理解不能の顔を作っている。
昭「もう、用済んだならあっち行け」
そして二人を追い払うような一言を昭が告げる。
亜乃(何その言い方っ)
訳が分からなくてムッとした亜乃の肩をぽん、と藍が叩く。
――うん。ね、亜乃。行こうね。
まるでそう言い聞かせるような藍の表情にますます混乱しつつも、藍に連れられて亜乃は自分の席に向かう。
【放課後・PAZバーガー店内】
亜乃(……来てしまった)
陽灯高校から徒歩10分圏内にあるバーガーショップ。
店内には御用達とあって、亜乃達と同じ陽灯高校の制服を着用した生徒の姿がちらほらと見られる。
店内に入って列の最後尾につき注文の順番を待っている亜乃。
隣に一緒に並んでいる昭の姿をチラリと見る。
昭「何」
視線に気づいて昭が訊いてくる。
亜乃「い、いや何でも……」
視線を逸らす亜乃。
亜乃(ああもう、藍ちゃんが変な事言うから変に意識しちゃうじゃないばかー!!)
『駄目だよ、こんなヤツとデートなんかしちゃー』
という、藍の発言を思い出す。
亜乃(別にこれはデートとか、そんなんじゃなくて!お礼してるだけだから!……っていうか、させられてるだけだから!)
昨日律にクッキーを『好き』と言われた件といい、どうしてこうも私を混乱させる発言をするのみんな!?という感じになる亜乃。
隣の昭は動じた様子もなく、黙って順番を待っている。
亜乃「ねえ」
昭「んー?」
亜乃「高いのやめてね。絶対やめてね。一番高いバーガーのスペシャルセットとか頼まないでね。そんな嫌がらせしないでね」
コイツならやりそうだ、と懸念した亜乃が先手を打って言う。
昭「お前俺の事何だと思ってる訳?」
呆れたように亜乃を見る昭。
昭「俺が嫌がらせでそんな事するように見えんの?」
こくり、と亜乃が首を思いっきり一度縦に振る。
昭「……殴るぞお前」
亜乃「ぼ、暴力反対っ」
そんな会話を交わしつつ、進んでいく会計の列に並び続ける二人。
昭「流石に嫌がらせで高いものを選ぶなんて、そこまで子供じみた事はしない。食べたい物選んで頼むだけ」
亜乃「ほ、本当?」
昭「本当」
淡々と告げる昭にほっと胸を撫で下ろす亜乃。
しばらく待って順番が回って来て、カウンターの上にあるメニュー表を見る二人。
亜乃(どれにしようかな……)
色々釈然としない部分はあるものの、どうせならこの空間を楽しまなければ損だという気持ちで、美味しそうなバーガーの写真を覗き込んでいく亜乃。
昭「あ、俺ハイスペシャルPAZバーガーのハイスペシャルセットで」
そんな亜乃を尻目に、目の前の店員に向かってそんな事を普通に当たり前みたいに昭は告げる。
ぽかん、とする亜乃だったが、その意味が理解出来て真っ青になる。
亜乃「え、えええええっ、ち、ちょっと待って話し違う、それ一番高いやつ!一番高いセット!さっき言った!嫌がらせで高いの頼んだりしないって言った!絶対言った!」
必死に主張する亜乃に対して、昭はうん、と肯定する。
昭「だから別に嫌がらせとかじゃない、普通に美味そうで一番食べたいから選んでるんだけど」
亜乃「………!!!」
衝撃的な理屈で返され、怒りを通り越して言葉を失う亜乃。
亜乃(こ、こ、こ、こ、こ、こいつーっっ!!)
そうだった、コイツはこういう奴だったよ!と亜乃は自分の認識がまだまだ甘すぎた事を痛感する。
昭「お前どうすんの?」
昭は全く罪悪感のカケラもない様子で亜乃に訊いてくる。
亜乃「う、ううう……えーっと、オレンジジュースのSサイズで……」
ぽそぽそと店員に向かってそう告げる亜乃。
以上でよろしいですか?お会計千五百四十円です、と店員が告げてくる。
亜乃(調研のクッキーで材料費奮発したから、ただでさえお財布事情、厳しいのに……)
ノートはそれなりに……というよりかなり見やすくて助かったけど、代償としてこれはかなり高くついた……と、うううう、と心の中で泣きべそをかきながら財布を取り出す為バッグの中をごそごそ探っていると、隣で昭が動き出す。
ん?となって亜乃が目をやると、無駄がないしっかりした動きで、バッグから財布を取り出している昭。
そのままの流れで千円札1枚と五百円玉1枚をトレイの上に置く。
亜乃(……え)
思わぬその昭の行動に一瞬何が起こったのか理解が出来ない。
昭「あと四十円。早く」
催促をしてくる昭に亜乃はただう、うん、と頷き指示に従って50円玉をトレイの上に追加して置く。
千五百五十円お預かりします、と告げてくる店員。
会計を済ませて渡されたお釣りの十円玉をトレイの中から受け取る昭。
こちらの番号でお待ち下さい、と渡された4と書かれた番号札も一緒に受けとって、昭が席何処にする?と訊ねてくる。
亜乃「あ、あそこ」
店内の隅にある二人がけ用のテーブルを示して言う亜乃。
律「え、嫌。狭い」
文句をつけすぐ近くの四人がけ用のテーブルに向かおうとする昭。
亜乃「駄目!混んだ時、他の人困るから!」
飛んでくる亜乃の反論。
何も今そこまで混んでないだろ……とぶつくさ反論しつつ、二人がけ用テーブルに向かう亜乃に仕方なくといった感じで昭が付いて行く。
絶対ここ!とばかりに二人がけテーブルの席に腰掛ける亜乃。
昭「絶対狭くなる、ハイスペシャルセット置いたら」
亜乃「私オレンジジュースだけだから大丈夫」
文句を言う昭にすかさず反論する。
ついさっきまで緊張していたものの、普通にすんなりいつもの会話が出来る様になっているのに気づく亜乃。
亜乃(あ、何だかんだ、通常運転……)
普通の空気だ、と実感する。
そのまま当たり障りのない会話をしている二人。
しばらく経ってお待たせいたしました、という言葉と共に頼んだオレンジジュースとバーガーのセットが運ばれてくる。
昭「おー、すげーボリューム」
トレーの上に乗ったバーガーに飲み物、ポテト、チキン、デザートまで付いた圧巻のセットに、感嘆のセリフを放つ昭。
亜乃「食べ切れるの?それ」
オレンジジュース片手に訊く亜乃。
昭「食べれなくはない。――けど、これから家帰ったら夕飯もあるし」
トレイの端ギリギリまで亜乃の方へポテトの位置を移動させて昭が要求する。
昭「消費、協力して」
差し出されたポテトに目を丸くする亜乃。
亜乃「あ、う、うん……」
オレンジジュースのみをすすっていた亜乃が頷きつつおずおずとその揚げたてのポテトに手を伸ばす。
1本、指でつまんでそれを口に運んでいた時――開く店の入口の自動ドア。
そして姿を現したのは。
結「――あれ?亜乃ー?」
自分の名前を呼ばれて、目を向けた亜乃、その存在に気付いてげっ、となる。
亜乃「あ、せ、瀬尾さん……」
入って来たのは以前亜乃に絡んで来た、律ファンの3人。
結「やだー、結でいいってば。前も言ったじゃんー」
莉緒菜「えー?亜乃も来てたのお?」
姿を認めるなり、カウンターに並ぶ事もなく一直線に亜乃達の座るテーブルへ向かってくる。
亜乃「う、うん……」
あはは、とから笑いする亜乃。
亜乃(あ、会いたく無かった出来れば……)
心の中ではそう思うものの、とりあえず表には出さないようにする。
恵「まさかここで会えるなんてねー」
亜乃達の所に辿り着いた3人は、空いていた隣のテーブルに次々と腰を掛けていき、相変わらずの弾丸トークを繰り広げ始める。
結「ていうか何ー?二人、どんな関係?」
亜乃の隣に座った結が、亜乃と昭の顔を交互に見比べながら訊ねて来る。
昭は何だコイツら……という目で3人を見ている。
亜乃(え?ど、どんな関係なのかと訊かれても……)
回答に困った亜乃が言葉に詰まると、
恵「もしかして、付き合ってるの?」
この間彼氏とかいないって言ってたクセにい~、と、恵が茶化しながら訊いてくる。
とんでも発言に亜乃は混乱。
亜乃「ち、違う!付き合ってなんかない!」
即座に否定する亜乃。
亜乃「あの、ノート借りて!そのお礼してるだけ、で……」
続きを言おうとしてあれ?となる。
亜乃(あ、あれ?でも私お金、五十円しか払ってないよね?このオレンジジュース、百六十円で……しかも磯谷の分のポテト、私食べてて……あれ?)
到底お礼をしているとは言えない状況になっていると気付く亜乃。
訳が分からなくなって、頭がぐるぐるになっていく。
無言を貫いていた昭と共に、亜乃も口を閉ざす羽目になって二人揃って無言に。
しかしそんな空気などお構い無しに結達は話を続けていく。
結「うんうん、何かでもいいじゃん二人!――確か生徒会長だよね?磯谷くん……だっけ?」
昭に明るく話しかける結。
昭「そうだけど?」
対して、素っ気なく答える昭。
莉緒菜「まさか生徒会長のデート現場目撃できちゃうなんてね~」
亜乃「だ、だからデートとかじゃないから!」
そこだけは間違いないように亜乃は訂正をする。
でも結ははいはい、と全く取り合ってない様子。
結「そうだ!ウチらここでちょっと腹ごしらえした後、体育館にバスケ部の練習見に行くんだけどさ。……二人も一緒に来ない?ほらこの間、亜乃来なかったじゃん」
続けて結にそんな提案をされて、亜乃はえっ、と三人の顔を見る。
恵「そうそう!一度は絶対見た方が良いって!マジでカッコいいから!」
莉緒菜「見なきゃ損するから!うんうん!!」
身を乗り出して恵が更に誘いをかけてきて、莉緒菜がぶんぶんと首を縦に振ってくる。
ど、どうしよう……とちらりと昭の方を見て反応を伺う亜乃。
昭は特に意思表示する訳でもなく、包みを開けてハンバーガーを口に運び始めてる。
うまく断る方向に持っていく手助けをしてもらえないかと僅かに期待したものの、その素振りはない。
亜乃(そ、そうだ、そういうヤツだ……)
諦めて亜乃は口を開く。
亜乃「じ、じゃあ、行ってみようかな……」
小声でそう告げると、結が明るい笑顔を作る。
結「やった!――ちょっと待ってて!私達も何か頼んでくる~!!」
スクールバッグを亜乃達が座っていたテーブルの隣の席に置いたまま、財布だけを取り出してカウンターの方へと向かっていく結達3人。
静かになった空間で、再び昭の方に目を向ける亜乃。
『馬鹿』と思いっきり書いた表情だけを返す昭。
一人でお菓子の本を三冊ほど机の上に広げた状態で、頬杖をつき、ぼーっと今日起こった事を振り返っている亜乃。
亜乃(なーんか、よく分からないなあ……)
渡り廊下で律に引き止められた事、一緒にクッキーを食べた事、よく笑顔を見せてくれた事。
開いているお菓子の本とは全く関係ない、そんな事ばかりを考えてしまっている。
亜乃(いつもなら、研究会で調理した日は幸せ気分なのに……)
色んなインパクトの強すぎる出来事が起こりすぎていて脳内が飽和状態の為に、そんな気分にさえなれないでいる亜乃。
律『――好き』
連動して思い出された律の言葉に、うわあっ、と顔が熱くなって行く。
亜乃(だから!あれはクッキー!クッキーの事!!)
亜乃はぶんぶん、と雑念を払うように首を横に振る。
はあっと一つ息をついて気持ちを落ち着かせて気分を変えようとお菓子の本に目を落として下を向いた時、視界の端に1冊のキャンパスノートがうつり、そちらの方を見る。
ノートの表紙には『現国 磯谷昭』の走り書きされた文字。
亜乃(これも、よく分かんないんだよね……)
頭の中で律と別れた後の事を思い出す亜乃。
『今すぐ返せ』とせっつかれて教室内に戻ったものの、ノートは机の中からは見つからず、そういえば一昨日ゆっくり見ようと家に持って帰ってそのままだったと思い出して。
つまり学校にはノートないので今は返せないと理解し、これはまた絶対何かイヤミの一つも言われる……と覚悟していた亜乃だったが。
律『――ああ、いいよ別に。明日でも』
と律はさらりと言い放っただけで去っていったという、そんな妙な出来事まで起こっていて、本当に亜乃の頭の中はクエスチョンマークだらけの状態。
亜乃(もう、本当に何なんだろ……)
机の上にぱたりと上半身を突っ伏す亜乃。
ちらり、と昭のノートに視線をやる。
亜乃(と、とりあえず明日忘れないように返そう……)
これで明日忘れようものなら今度こそイヤミ確実だと、起き上がってノートをスクールバッグの中に入れる亜
乃。
【翌日朝・学校、特進科クラス内】
亜乃「――おはようございます。どうも、ありがとうございました。遅れてすみません」
登校して教室に入るなり真っ先に昭の姿を探し出し、借りていたノートを差し出す亜乃。
周囲のクラスメイト達が思い思いに友人達と談笑したりして過ごしている中、一人で席に座って授業の準備をしていた昭が、ついでのようにそれを受け取る。
昭「おー」
机の中にしまって、昭は亜乃に返す。
昭「お前マジで色々いい加減すぎん?」
亜乃「ご、こめんってば……」
返却したのに付いてきた小言に、亜乃はげんなりする。
亜乃(そりゃあ私が悪いんだけど……)
何か一つ文句言わなきゃ話が出来ないのかなこいつは……と心の中で思う亜乃。
まあこういうヤツだ、とため息をついた亜乃に対し、
昭「――そういえばさ。昨日の、何?」
不意に話題を変えるように昭が発する。
余りにも抽象的な質問に、え?となる亜乃。
亜乃「何って……何が?」
質問し返してきた亜乃に、補足をしてくる昭。
昭「何か、二人でいたから。平良と」
そこまで言われて初めて、あの渡り廊下での事を言われているのかと理解する亜乃。
亜乃「あ、うん。いたよ?だからあそこでたまたま平良君と会って。――昨日も言ったけど」
亜乃は昨日起こった事を思い起こしながら、順々に説明していく。
亜乃「部活の休憩中だったみたいで。ちょうどそのタイミングで会えたから、あそこでキーホルダー返してただけだけど……」
何か問題だったのか?とばかりに普通に答える亜乃。
そんな亜乃を見て、
昭「ふーん」
とごちる昭。
亜乃(…………?)
疑問符を頭に浮かべた亜乃。
更に昭が訊いてくる。
昭「――お前さ。今日調研の活動、休みの日?昨日調理してたって事は」
訊ねてきた昭に、亜乃はこくり、と頷く。
亜乃「あ、うん。今日は休みだけど」
調理研究会は大体、調理をした翌日が、休みとなっている。
それを昭は亜乃との付き合いの中で知っているのが、前提の会話。
昭「オレも生徒会の活動、今日休みなんだよね」
どういった意図で言われているのか掴めずに亜乃は
亜乃「あ、そうなんだ……」
と言うしかない。
昭「――あのさ」
お互いゆっくり出来そうだね、と言いかけた亜乃より先に、更に言葉を続けてくる昭。
昭「今日放課後、付き合え」
短く言われた一言に理解が追いつかず、亜乃はぽかんとする。
昭「ノート貸してやっただろ。あと、返却遅れた延長料金分。――PAZバーガー。奢れ」
亜乃「え、ええ~~~っ!?」
今まで抱いていた些細な疑問なんて全てふき飛んでしまう程の昭からの要求に、思わず声をあげてしまう亜乃。
亜乃「か、感謝はしてるけど!PAZは!PAZは高い!美味しいけど!近いけど!うちの生徒御用達だけど!」
不満の声を上げる。
昭「キツくないとペナルティにならないだろ」
亜乃「鬼!鬼畜!」
反論の罵詈雑言を放つ亜乃の元に、藍が駆け寄ってくる。
藍「どうしたの?~?何かすっごい叫んでるけど」
そばに来た藍に、亜乃は不満をぶちまけていく。
亜乃「あ、藍ちゃん聞いてよ!磯谷ってばノートのお礼なんか要求して来るんだよ?PAZ奢れー!って」
状況を説明した亜乃に、藍があらあらといった表情を作る。
藍「酷いねー、女のコにたかるなんてー」
亜乃「でしょでしょー?」
藍「うんうん、酷い酷い!酷いよね!酷い酷い!」
ひとしきり目一杯亜乃に同調した、後。
藍「………で、さ。亜乃、この間のや・く・そ・く♡ だけど!♡……ね?♡」
クッキー、クッキー!!と目を輝かせてきた藍に、亜乃はスクールバッグから取り出したクッキーが詰まった袋を渡す。
亜乃「――はい、ちゃんと上手く出来た。美味しいと思うよ」
藍「本当本当?ありがとーっ亜乃大好きー」
亜乃「いえいえ。藍ちゃんいつもありがとーっ、私も大好きーっ」
ぎゆっ、とハグし合う二人。
こいつ完全に藍に上手くのせられてるな……と亜乃を冷めた目で見てる昭。
藍「……何よ~その目~」
昭の冷ややかな目に気付いた藍が文句ある?とばかりに睨みをきかせる。
昭「別に」
短く返す昭。
藍「ホント、ヤなヤツー!駄目だよ、亜乃ー。こんなヤツとデートなんかしちゃー」
言われた一言に、え?となる亜乃。
亜乃「で、デート?」
なんの事?とばかりにばちぱちと目をしばたたかせる。
そんな亜乃を見て今度は藍がえ?という表情をする。
藍「え?行くんでしょ?PAZに。二人で」
亜乃と昭の顔を交互に見ながら、藍が確認してくる。
亜乃「え、えええええ!?ち、違う、ただお礼しろって言われてるだけで」
亜乃は手を左右に振って否定する。
藍「……で、一緒に行くんでしょ?二人で」
二人で、と再度繰り返して藍が言う。
亜乃「い、いや別に二人でって訳じゃ……藍ちゃんも、来る?」
亜乃が藍にそう誘いをかける。
藍「……………」
嘘でしょ、という表情を作って無言になる藍。
続けて昭の方を見るのと同時に、
昭「変な事言うな」
と昭から指摘が入る。
藍「……うん。そうだね。うん。ごめんね。本当にごめん」
そう言って同情の眼差しを昭に送る藍。
理解し合っている二人の間に亜乃は全く入っていけておらず、理解不能の顔を作っている。
昭「もう、用済んだならあっち行け」
そして二人を追い払うような一言を昭が告げる。
亜乃(何その言い方っ)
訳が分からなくてムッとした亜乃の肩をぽん、と藍が叩く。
――うん。ね、亜乃。行こうね。
まるでそう言い聞かせるような藍の表情にますます混乱しつつも、藍に連れられて亜乃は自分の席に向かう。
【放課後・PAZバーガー店内】
亜乃(……来てしまった)
陽灯高校から徒歩10分圏内にあるバーガーショップ。
店内には御用達とあって、亜乃達と同じ陽灯高校の制服を着用した生徒の姿がちらほらと見られる。
店内に入って列の最後尾につき注文の順番を待っている亜乃。
隣に一緒に並んでいる昭の姿をチラリと見る。
昭「何」
視線に気づいて昭が訊いてくる。
亜乃「い、いや何でも……」
視線を逸らす亜乃。
亜乃(ああもう、藍ちゃんが変な事言うから変に意識しちゃうじゃないばかー!!)
『駄目だよ、こんなヤツとデートなんかしちゃー』
という、藍の発言を思い出す。
亜乃(別にこれはデートとか、そんなんじゃなくて!お礼してるだけだから!……っていうか、させられてるだけだから!)
昨日律にクッキーを『好き』と言われた件といい、どうしてこうも私を混乱させる発言をするのみんな!?という感じになる亜乃。
隣の昭は動じた様子もなく、黙って順番を待っている。
亜乃「ねえ」
昭「んー?」
亜乃「高いのやめてね。絶対やめてね。一番高いバーガーのスペシャルセットとか頼まないでね。そんな嫌がらせしないでね」
コイツならやりそうだ、と懸念した亜乃が先手を打って言う。
昭「お前俺の事何だと思ってる訳?」
呆れたように亜乃を見る昭。
昭「俺が嫌がらせでそんな事するように見えんの?」
こくり、と亜乃が首を思いっきり一度縦に振る。
昭「……殴るぞお前」
亜乃「ぼ、暴力反対っ」
そんな会話を交わしつつ、進んでいく会計の列に並び続ける二人。
昭「流石に嫌がらせで高いものを選ぶなんて、そこまで子供じみた事はしない。食べたい物選んで頼むだけ」
亜乃「ほ、本当?」
昭「本当」
淡々と告げる昭にほっと胸を撫で下ろす亜乃。
しばらく待って順番が回って来て、カウンターの上にあるメニュー表を見る二人。
亜乃(どれにしようかな……)
色々釈然としない部分はあるものの、どうせならこの空間を楽しまなければ損だという気持ちで、美味しそうなバーガーの写真を覗き込んでいく亜乃。
昭「あ、俺ハイスペシャルPAZバーガーのハイスペシャルセットで」
そんな亜乃を尻目に、目の前の店員に向かってそんな事を普通に当たり前みたいに昭は告げる。
ぽかん、とする亜乃だったが、その意味が理解出来て真っ青になる。
亜乃「え、えええええっ、ち、ちょっと待って話し違う、それ一番高いやつ!一番高いセット!さっき言った!嫌がらせで高いの頼んだりしないって言った!絶対言った!」
必死に主張する亜乃に対して、昭はうん、と肯定する。
昭「だから別に嫌がらせとかじゃない、普通に美味そうで一番食べたいから選んでるんだけど」
亜乃「………!!!」
衝撃的な理屈で返され、怒りを通り越して言葉を失う亜乃。
亜乃(こ、こ、こ、こ、こ、こいつーっっ!!)
そうだった、コイツはこういう奴だったよ!と亜乃は自分の認識がまだまだ甘すぎた事を痛感する。
昭「お前どうすんの?」
昭は全く罪悪感のカケラもない様子で亜乃に訊いてくる。
亜乃「う、ううう……えーっと、オレンジジュースのSサイズで……」
ぽそぽそと店員に向かってそう告げる亜乃。
以上でよろしいですか?お会計千五百四十円です、と店員が告げてくる。
亜乃(調研のクッキーで材料費奮発したから、ただでさえお財布事情、厳しいのに……)
ノートはそれなりに……というよりかなり見やすくて助かったけど、代償としてこれはかなり高くついた……と、うううう、と心の中で泣きべそをかきながら財布を取り出す為バッグの中をごそごそ探っていると、隣で昭が動き出す。
ん?となって亜乃が目をやると、無駄がないしっかりした動きで、バッグから財布を取り出している昭。
そのままの流れで千円札1枚と五百円玉1枚をトレイの上に置く。
亜乃(……え)
思わぬその昭の行動に一瞬何が起こったのか理解が出来ない。
昭「あと四十円。早く」
催促をしてくる昭に亜乃はただう、うん、と頷き指示に従って50円玉をトレイの上に追加して置く。
千五百五十円お預かりします、と告げてくる店員。
会計を済ませて渡されたお釣りの十円玉をトレイの中から受け取る昭。
こちらの番号でお待ち下さい、と渡された4と書かれた番号札も一緒に受けとって、昭が席何処にする?と訊ねてくる。
亜乃「あ、あそこ」
店内の隅にある二人がけ用のテーブルを示して言う亜乃。
律「え、嫌。狭い」
文句をつけすぐ近くの四人がけ用のテーブルに向かおうとする昭。
亜乃「駄目!混んだ時、他の人困るから!」
飛んでくる亜乃の反論。
何も今そこまで混んでないだろ……とぶつくさ反論しつつ、二人がけ用テーブルに向かう亜乃に仕方なくといった感じで昭が付いて行く。
絶対ここ!とばかりに二人がけテーブルの席に腰掛ける亜乃。
昭「絶対狭くなる、ハイスペシャルセット置いたら」
亜乃「私オレンジジュースだけだから大丈夫」
文句を言う昭にすかさず反論する。
ついさっきまで緊張していたものの、普通にすんなりいつもの会話が出来る様になっているのに気づく亜乃。
亜乃(あ、何だかんだ、通常運転……)
普通の空気だ、と実感する。
そのまま当たり障りのない会話をしている二人。
しばらく経ってお待たせいたしました、という言葉と共に頼んだオレンジジュースとバーガーのセットが運ばれてくる。
昭「おー、すげーボリューム」
トレーの上に乗ったバーガーに飲み物、ポテト、チキン、デザートまで付いた圧巻のセットに、感嘆のセリフを放つ昭。
亜乃「食べ切れるの?それ」
オレンジジュース片手に訊く亜乃。
昭「食べれなくはない。――けど、これから家帰ったら夕飯もあるし」
トレイの端ギリギリまで亜乃の方へポテトの位置を移動させて昭が要求する。
昭「消費、協力して」
差し出されたポテトに目を丸くする亜乃。
亜乃「あ、う、うん……」
オレンジジュースのみをすすっていた亜乃が頷きつつおずおずとその揚げたてのポテトに手を伸ばす。
1本、指でつまんでそれを口に運んでいた時――開く店の入口の自動ドア。
そして姿を現したのは。
結「――あれ?亜乃ー?」
自分の名前を呼ばれて、目を向けた亜乃、その存在に気付いてげっ、となる。
亜乃「あ、せ、瀬尾さん……」
入って来たのは以前亜乃に絡んで来た、律ファンの3人。
結「やだー、結でいいってば。前も言ったじゃんー」
莉緒菜「えー?亜乃も来てたのお?」
姿を認めるなり、カウンターに並ぶ事もなく一直線に亜乃達の座るテーブルへ向かってくる。
亜乃「う、うん……」
あはは、とから笑いする亜乃。
亜乃(あ、会いたく無かった出来れば……)
心の中ではそう思うものの、とりあえず表には出さないようにする。
恵「まさかここで会えるなんてねー」
亜乃達の所に辿り着いた3人は、空いていた隣のテーブルに次々と腰を掛けていき、相変わらずの弾丸トークを繰り広げ始める。
結「ていうか何ー?二人、どんな関係?」
亜乃の隣に座った結が、亜乃と昭の顔を交互に見比べながら訊ねて来る。
昭は何だコイツら……という目で3人を見ている。
亜乃(え?ど、どんな関係なのかと訊かれても……)
回答に困った亜乃が言葉に詰まると、
恵「もしかして、付き合ってるの?」
この間彼氏とかいないって言ってたクセにい~、と、恵が茶化しながら訊いてくる。
とんでも発言に亜乃は混乱。
亜乃「ち、違う!付き合ってなんかない!」
即座に否定する亜乃。
亜乃「あの、ノート借りて!そのお礼してるだけ、で……」
続きを言おうとしてあれ?となる。
亜乃(あ、あれ?でも私お金、五十円しか払ってないよね?このオレンジジュース、百六十円で……しかも磯谷の分のポテト、私食べてて……あれ?)
到底お礼をしているとは言えない状況になっていると気付く亜乃。
訳が分からなくなって、頭がぐるぐるになっていく。
無言を貫いていた昭と共に、亜乃も口を閉ざす羽目になって二人揃って無言に。
しかしそんな空気などお構い無しに結達は話を続けていく。
結「うんうん、何かでもいいじゃん二人!――確か生徒会長だよね?磯谷くん……だっけ?」
昭に明るく話しかける結。
昭「そうだけど?」
対して、素っ気なく答える昭。
莉緒菜「まさか生徒会長のデート現場目撃できちゃうなんてね~」
亜乃「だ、だからデートとかじゃないから!」
そこだけは間違いないように亜乃は訂正をする。
でも結ははいはい、と全く取り合ってない様子。
結「そうだ!ウチらここでちょっと腹ごしらえした後、体育館にバスケ部の練習見に行くんだけどさ。……二人も一緒に来ない?ほらこの間、亜乃来なかったじゃん」
続けて結にそんな提案をされて、亜乃はえっ、と三人の顔を見る。
恵「そうそう!一度は絶対見た方が良いって!マジでカッコいいから!」
莉緒菜「見なきゃ損するから!うんうん!!」
身を乗り出して恵が更に誘いをかけてきて、莉緒菜がぶんぶんと首を縦に振ってくる。
ど、どうしよう……とちらりと昭の方を見て反応を伺う亜乃。
昭は特に意思表示する訳でもなく、包みを開けてハンバーガーを口に運び始めてる。
うまく断る方向に持っていく手助けをしてもらえないかと僅かに期待したものの、その素振りはない。
亜乃(そ、そうだ、そういうヤツだ……)
諦めて亜乃は口を開く。
亜乃「じ、じゃあ、行ってみようかな……」
小声でそう告げると、結が明るい笑顔を作る。
結「やった!――ちょっと待ってて!私達も何か頼んでくる~!!」
スクールバッグを亜乃達が座っていたテーブルの隣の席に置いたまま、財布だけを取り出してカウンターの方へと向かっていく結達3人。
静かになった空間で、再び昭の方に目を向ける亜乃。
『馬鹿』と思いっきり書いた表情だけを返す昭。