おいで、Kitty cat




「別に、これと言って何かあったわけじゃない。誰かに比べたら平和で、ぬくぬくしてたかもしれない。それでも俺にとっては、息苦しいところだった」


辛い話だ。
語っている本人には、計り知れないほど。
それなのに私の痛みを軽減しようと、永遠くんは甘く囁く。


「何もやる気がおきなくて、何かも怠惰で。消えたいとすら思えなくなったくせに、どんな人とも比べまくって自分は最下層にいるって思ってた。実際そうだったかもしれないし、違うかもしれない。ただ、俺にはハードだったんだ」


そんなことないよ、なんて言えない。
自分は恵まれた環境にいる――そんな事実を知っていたとしても、比較対象はそこらじゅうにたくさんいる。
たとえ彼自身が他の誰かにとってそうだったとしても、永遠くんの瞳に映る世界には直接交わることはないのだから。


「永遠くん、って。さくらに呼んでもらえて初めて、この名前でよかったと思った。……ちょっと違うかな。さくらに呼ばれて、あ、俺の名前だったんだって思えた。……うん。この方がしっくりくる」


(……もしかして……ううん、絶対そうだ)


知らなかったとしても。
どんなに自然なことだったとしても、関係ない。
私はずっと、傷つけてたんだ。


「……ん。名前、嫌いだった。この苦しい時間が永遠(えいえん)だって、呼ばれるたび宣告されるみたいで。だからね、さくらは本当に憧れの存在だったんだよ」

「え……」


出逢いを思い出しても、憧れとは程遠いと思うのに。


「ああ、やっぱり俺とは正反対で綺麗だって。桜って、刹那的な美しさだと思ってたから」

「……そ、それは。桜の花は確かに儚げなイメージあるけど。私はそんな繊細なもんじゃ……」


寧ろ、永遠くんの方が繊細で柔和だ。


「そうだね。儚くて、脆くて、触れられる時間が短いほど綺麗に見えるものはあるけど。……さくらがそうだったら、嫌だ」

「……も、ものすごく不要な心配だと思う」


よかった、笑ってくれた。
止まりそうなほど細い呼吸が、安堵でふと吐息に変わって。
それに気づいた永遠くんの指先が、まるでやっぱり繊細だと言わんばかりにそっと頬に触れた。


「さくらに呼ばれるのは、好き。ずっと呼んでてほしい。……永遠(とわ)が好きって言われるたび、俺ね」


――ずっと、俺を好きでいてくれるって。


「都合のいいように聞こえて、本当に幸せだった」

「……間違ってないよ。どこも」


永遠くんが好き。
ずっと、好き。
それで合ってるのに、過去形にされるときゅっと胸が苦しい。


「ありがとう。でもね」


駄々っ子みたいに首を振る私の耳をそっと撫でて、その先を届けようとするのが切ない。
どうにか耳を塞ごうとするのに上手くいかないのは、絶望とも思うほどの恐怖だった。


「さくらに……好きな子に祈るのは、卑怯だ。本当に好きで好きで堪らないなら。憧れで終わらせないって決意したなら、もっと他にもできることがあるはずだから」


怖くて怖くて仕方ないのに、永遠くんの言葉の何か欠片でも私に好都合なことはないかと、必死に探してしまう。
そんな私を差し置いて、彼のどこが卑怯だと言うのだろう。


「ずっと、好きだよ。さくらにも、そう思ってもらえますように。もう、お願いごとにはしない。叶える為に頑張るって決めたんだ。……だから、他のお願いしていいかな」


――俺のこと、呼んで。


「……とわ、く……」


刹那。
目を瞑る間もないくらい、あっという間だった。

キスも、手首を掴まれるのも――その腕に閉じ込められるのも。


(ずっと、好き)


いつ伝えられるだろう――止めたくはないけど、もどかしさで喉が熱い。
その熱を感じれば感じるだけ、それは永遠だと確信するのに。