「そりゃあ、思い残す事はあるさ」

「え、何? お母さん?」

「それもある。でも一番は桜の花嫁姿を見たかった。桜はとても幸せな花嫁になるよ」

 父の発言は私の願望だろうか? 父の声で聞きたかった言葉なのかもしれない。

 私は父の姿をした自分の心に問う。

「お父さん、私この歳で初めて人を好きになったの。その人の事を考えると胸が熱くなったり、締め付けられたり、感情がコントロールできなくて。自分が自分じゃないみたい」

「……恋とはそういうものなんだよ、桜。そして、その気持ちは愛になるんだ」

「愛? やめてよ、恥ずかしいな!」

「どうしてだい? 恥ずかしがる方が恥ずかしい。その人と共にありたい、慈しみ合いたいという気持ちは桜をもっと高めてくれるはず。照れてしまうなら奏でたらいい」

 手を伸ばした先にヴァイオリンがある。

「思いを込めて弾いてご覧、桜の演奏はきっと届くはずだから」

 音楽を愛しなさいと教わり、ずっと追い求めてきた。けれど、それは酷い片思いだったみたい。

 弓を引けば、愛し方が分からず悩みもがいた日々が音の粒になり昇華されていく。

「桜、君の名前は春を告げる者という意味がある。長い冬はもう終わりだ、あるべき場所へ帰りなさい」

 どうか幸せに、父の願いが聞こえた気がする。

 これは夢でも願望でもなく、耳が良い私が聞こえない振りしていただけの愛情だ。

 恋を知り、愛を覚えたこの指先はもう取りこぼさない。