◯4話の続き・黒宮家の廊下

【もしかして千歳さんって、皐月の好きな人なの……!?】
談笑する皐月と千歳を見て、気まずくなっている日菜。
千歳「嬉しいわ! 私は男兄弟しかいなくて、夫にも弟しかいなかったから、ずっと妹が欲しいと思ってたの。日菜ちゃんって呼んでもいい?」
日菜「は、はい。もちろんです」
千歳「日菜ちゃんも、私のことをお姉さんだって思ってくれていいからね!」
気さくな千歳に圧倒される日菜。
手を握られ、ぶんぶんと縦に振られる。
そんな千歳を見て呆れる皐月。
皐月「義姉さん、そんなにまくし立てないでください。日菜が驚いています」
千歳「あら、そんなことないわよねぇ日菜ちゃん。皐月も昔みたいに“ちーちゃん”って呼んでくれてもいいのよ?」
皐月「なっ……!」
幼少期に呼んでいたかわいらしい呼び名のことをからかわれ、珍しく顔を赤くする皐月。
皐月「冗談はやめてください。兄さんにも叱られてしまいます」
千歳「睦月はあなたに甘いんだから、そんなことで怒ったりしないわ」
皐月「どうですかね。兄さんはああ見えて義姉さんを心底愛していらっしゃいますから。弟とはいえ、嫉妬をされては困ります」
千歳「やだもう、心底愛してるだなんて! そう見えるかしら?」
幸せそうに照れ笑いをする千歳と、千歳につられるように穏やかに微笑む皐月。
談笑を続ける二人を切なく思いながら見つめる日菜。
日菜「(睦月さんと千歳さんはすごく仲がいいんだ)」
【つまり皐月の恋は、叶わない恋ってことなんだね……】
日菜「(切ない話だなぁ)」
【もしかして一生独身でいたいっていうのも、この叶わない恋が理由なのかな】
皐月の柔らかい笑顔のアップ。
【やっぱり本当に好きな人の前だと、こんなふうに柔らかく笑うんだ】
日菜の切ない顔のアップ。
皐月「そう言えば義姉さん、夜から兄さんと一緒に会食でしょう? そろそろ準備をしなければならないのでは?」
千歳「そうだったわ! 急がなきゃ。またね、日菜ちゃん!」
日菜「はい、また」
千歳が慌ただしく去っていく。
するとすぐにいつもの澄ました顔に戻る皐月。
皐月「それじゃあ次は僕の部屋に案内します」

◯皐月の私室

高級そうな家具が置かれているが、極端に物が少なく全体的にがらんとしている皐月の部屋。
そこに置かれたソファーに日菜と皐月は並んで座っている。
日菜「それにしても家族にまで恋人だって嘘を吐いて、契約が終わってからはどうするつもりなの?」
日菜の素朴な疑問に鬱陶しそうな顔をする皐月。
皐月「あなたが気にすることではありませんよ」
日菜「そう言われると、ますます気になるんだけど」
皐月「はぁ……そんなこと、適当にごまかせばいいんです」
日菜「適当って?」
皐月「簡単なことですよ」
はぁと息を吐いた皐月の目に暗い影が宿る。
皐月「社交界は富裕層の人間ばかりが集まるので、一見とてもきらびやかに見えます。しかし水面下では嫉妬や陰謀が渦巻いている、腐った世界です」
社交界のきらびやかな表とドロドロした裏を表すような絵。
皐月「愛しいあなたをそんな場所へ引き込んでしまったことに罪悪感を覚えた僕は、あなたを愛するがゆえに離ればなれになる道を選んだということにするんです。そうすれば契約が終わっても、あなたを忘れることができないからと言って独身を貫ける」
日菜「なるほどぉ」
皐月「だから心配は無用です。あなたは元の生活に戻って、あの幼なじみと幸せに暮らしてください」
日菜「別に私と鷹也はそんな関係じゃないんだけど」
変な邪推をされ腹を立てる日菜。
そんな日菜をじっと見つめる皐月。
皐月「たしかに」
日菜「ん?」
皐月「日菜。あなたまったく男慣れしてませんよね」
日菜「へっ?」
真剣な顔で図星を突かれ、驚く日菜。
皐月「なんですか兄さんたちに会ったときのあのぎこちない顔は。もっと甘い顔のひとつでもできないものですか」
日菜「うっ」
【そんなこと言われても、私にはあれが精一杯なんだけど……!】
皐月「今まで恋人がいたことは?」
日菜「ありません」
皐月「好きな人は?」
日菜「それも……」
皐月「はぁ。そんなことでこの先、まともに恋人の振りができるんですかね」
日菜「うう……すいません……」
経験値の低さを感じで凹む日菜。
そんな日菜を見て「ふむ」と思案する皐月。
皐月「それなら少し慣れてもらいましょうか」
日菜「え……? わっ……!?」
突然皐月から抱きしめられる日菜。
困惑し、思わず身じろぎしてしまう。
皐月「これくらいのことでいちいち騒がないでください」
日菜「だ、だって」
【お父さん以外の男の人にこんなことされたの、初めてだし】
赤面する日菜を真剣な目で見下ろす皐月。
皐月「僕の背中に腕を回せますか」
日菜「う、うん……」
日菜「(心臓が弾けそう……)」
【でもあったかくて、ちょっと心地いいかも】
ドキドキしながらも抱きしめられるあたたかさに微睡む日菜。
少しずつ余裕の出てきた様子の日菜を見て、今度は彼女の耳にキスをする皐月。
日菜「ぎゃあっ!」
皐月「ははっ、色気のない声」
さらに赤面する日菜を嘲る皐月。
日菜の耳を甘噛みしたり舌を這わせたりして彼女を翻弄する。
ついにソファーに押し倒され、それに抵抗して押しやろうとする日菜の手を優しく拘束する皐月。
日菜「う……やっ……」
皐月「弱いんですか、耳」
日菜「そんなの分かん、ないっ……!」
いつも元気でうるさい日菜が、真っ赤になって狼狽えしおらしくしている様子を、面白く意外に思う皐月。
日菜のワンピースの胸元のボタンも少しだけ開けて、胸から上のありとあらゆる場所にさらにキスを落としていく。
日菜「(待って、私)」
【このままだと本当に心臓が爆発する……!】
固く目を閉じ、皐月のキスに耐える日菜。
皐月「……さすがにこれはやめておきましょうか」
しかし唇に触れる直前で自重し、皐月はキスをやめてしまう。
息を乱し、すぐさまソファーから起き上がる日菜。
皐月から少し距離を取り、信じられないものを見る目で彼を見る。
皐月「どうです? 少しは慣れてくださいましたか?」
日菜「おかげさまで!」
イラっとしながら答える気の強い日菜を、やはり面白く思う皐月。
くすくすと笑い、日菜に向かって小首を傾げる。
皐月「早く僕に釣り合う女性になってくださいね」

◯夕方・黒宮家のエントランスホール

帰り支度を終えた日菜。
ガレージに駐めていた車を表に出そうとしている皐月を、エントランスホールで待っている。
睦月「日菜さん」
日菜「むっ、睦月さん……!」
そこに突然現れる睦月と、睦月の姿に驚く日菜。
睦月「今から帰られるのですか?」
日菜「はい。長々とお邪魔しました」
睦月の真っ黒な目に射抜かれ恐縮する日菜。
そんな日菜と向かい合う睦月。
睦月「皐月が厄介をおかけしていますね」
日菜「そんな。皐月さんはとてもよくしてくださいます」
睦月「ですが、恋人だというのは嘘なのでしょう?」
明らかに確信している睦月の言葉に冷や汗を流す日菜。
思わず口を閉ざしてしまう。
【やばい。無言でいるのは「そうです」と言ってるようなものだ】
日菜「そんなことは……」
固い笑顔になりながら苦手な嘘を吐いて乗り切ろうとする日菜と、そんな日菜を見てすべてを見透かしたように頷く睦月。
睦月「詮索はしません。どうかあの子をよろしくお願いします」
そう言い残して去っていく睦月。
睦月の後ろ姿を、戸惑いながら見つめる日菜。
【私たちが嘘を吐いているのを分かっているのに、どうして見過ごしてしまうんだろう】
【兄弟のあいだに、いったい何が……?】

◯次の日・日菜の通う高校(放課後)

日菜「うーん」
授業を終えて伸びをする日菜。
【高校にも復学させてもらって、今日から毎日黒宮家でいろんなレッスンを受けるわけだけど】
日菜「(なんか変なんだよな、黒宮家の人たち)」
【こんな違和感を抱えたままでやっていけるのかな……?】
日菜の友人「ひーなっ!」
日菜「わぁっ!」
通学カバンに教科書をしまう日菜の後ろから、突然日菜に抱きつく日菜の友人。
友人「今日も放課後遊べないのー?」
日菜「ごめん、バイトあるから」
友人「急に休学したと思ったら急に復学して! それから急に謎のバイトって、日菜って本当に何を隠してるの!?」
日菜「あはは……ちょっと守秘義務があって」
友人「まぁ、言えないことならいいけどさぁ」
友人の疑いの目に苦笑いで逃げる日菜。
そこに女子生徒が二人、日菜と友人の前に現れる。
女子生徒1「ねぇねぇ聞いて! 校門のところに謎のイケメンがいるんだって!」
友人「イケメン? それって芸能人? なんかの撮影?」
女子生徒2「ううん。金髪でハーフみたいな、見たことない超絶イケメンらしいの!」
友人「なにそれ。ちょっと見に行ってみようよ、日菜」
日菜「(金髪でハーフみたいな超絶イケメンって、もしかして……!?)」
生徒たちの噂話を聞き、悪い予感がして校門までダッシュする日菜。

◯高校の校門

日菜が校門にたどり着くと、そこにはたくさん女子生徒たちが群がっていた。
その群衆の真ん中には、やはり皐月が佇んでいる。
日菜「やっぱり……!」
皐月「日菜。待ってましたよ」
日菜の姿を見つけ、爽やかな笑みを浮かべる皐月。
友人「えっ!? 日菜、この人と知り合いなの!?」
驚く友人に、これまた美しく笑いかける皐月。
皐月「ええ。ちょっと日菜のことをお借りできますか?」
友人「もちろんです! さぁ、日菜! 行った行った!」
日菜「ちょ、ちょっと!」
皐月の笑顔に顔を赤くして日菜を差し出す友人。
女子生徒3「誰あの子」
女子生徒4「この人の彼女?」
女子生徒5「えー? 全然釣り合ってない!」
日菜の登場に文句を言ったり噂をする女子生徒たちを見て、日菜はとっさに皐月の腕を掴んで逃げる。
近くに停めてあった皐月の車に乗り込む二人。
日菜「ちょっと! どうして皐月がここに!?」
皐月「どうしてって、あなたを迎えに来たんですよ。日菜の高校から黒宮家まではけっこう距離がありますからね。電車に乗るよりも僕が送迎した方が早いでしょう?」
日菜「だからって校門で待たなくても!」
皐月「逃げるつもりですか?」
日菜「そんなことしないから!」
皐月の追求に睨み返す日菜。
日菜「(もう、絶対全校の噂になってる!)」
日菜「(明日からどんな顔をして登校すればいいの……!?)」
頭を抱える日菜に、いたずらっぽく笑いかける皐月。
皐月「安心してください。今日から毎日、僕が送り迎えをしてさしあげますから」
そんな皐月を見て青くなる日菜。
日菜「(今日から毎日って……)」
【本当に私、これからやっていけるの――!?】