◯3話のつづき・夜の公園

皐月「いかがです? 期間限定で僕の恋人になってくださいませんか?」
妖しく綺麗な顔で日菜に契約を持ちかける皐月。
日菜「ええと、黒宮さんの事情は分かりました。でも恋人だと嘘を吐くなんて、なんだか気が重くて」
【私は不誠実なことが好きではないし、器用に演技ができたり、嘘で話を合わせられる性格でもない】
【それなのに、きちんとこの契約を進められるのだろうか】
渋る日菜にだんだんと面倒くささを感じ始める皐月が、襟足を掻いて苛立つ。
皐月「真面目な人ですね。別に誰も傷つけない嘘ならいいではないですか。あなただってこのまま働きづめの人生を送りたいとは思っていないでしょう?」
日菜「それはそうですけど……」
皐月「調べたところ、あなたは非常に勤勉らしい。頑固ですが慎重なところもあるようですし、信頼に足る人柄だと判断しました」
皐月「どうです? これはお互いが幸せになる、いい契約では?」
日菜「う……」
【黒宮さんの言うとおり、この契約は誰かに迷惑をかけたりするものじゃない】
【私が心を決めさえすれば、お互いにとってとても都合のいいことなのだろうけど】
自分を見下ろすアンバーの眼を、おそるおそる見上げる日菜。
日菜「(高貴で尊大で、だけどなぜか嫌みのない目)」
【まるで彼に従うことが、最も正しい選択なのだと錯覚させられそうになる】
やがてゆるゆると頷く日菜。
日菜「分かりました」
そんな日菜を見て、パッと顔色を明るくさせる皐月。
皐月「では、改めて契約成立ですね」
差し出された皐月の右手に、日菜も慎重に自分の右手を伸ばす。
皐月「偽りとはいえ、恋人らしくしなければいけませんからね。今後、あなたのことは日菜と呼んでも?」
日菜「もちろんです」
皐月「では日菜も。僕のことは皐月と呼んでください」
(皐月「敬語もやめてくださいね」日菜「あなたは敬語なのに?」皐月「僕はこれが素なので」※デフォルメの絵で)
日菜「分かりま――じゃなくて、分かった。よろしくね、皐月」
皐月「よろしく、日菜」
しっかりと手を握る二人。
満足そうに目を細める皐月に、日菜は少し戸惑いながらも顔を赤らめる。
皐月「それではあなたの信頼を得るために、報酬の前払いでも致しましょうか」
日菜「へっ?」

◯次の日の朝・大きな大学病院

日菜「お父さん!」
日菜の父「日菜!」
個室である病室のベッドの上にいる、以前より少しやつれた様子の日菜の父。
久しぶりに父と対面し、抱きつく日菜。
日菜「もう! ずっと心配してたんだからね!」
父「ああ、本当にすまなかった。日菜には苦労も心配もかけて」
日菜「無事でよかったよ……」
父の無事を確認し涙目になりながら安堵する日菜と、突然朗らかに笑い出す父。
父「それにしてもあの黒宮さんって何者なんだ? 急に父さんの前に現れたかと思ったら、“日菜の世話になったから”と言って借金を完済されてしまって。いやぁ、捨てる神あれば拾う神ありというのは本当だな!」
日菜「あはは、そうだね……(そういうことになってるのか)」
能天気な父にげんなりしながら笑う日菜だけれど、皐月との契約のことを言うわけにはいかず口をつぐむ。
日菜「まぁ、しっかり入院して療養してね。またお見舞いに来るから」
父「ああ。ありがとな、日菜」
父に手を振り病室を出る日菜。

◯病院の廊下

廊下には壁に背中を預けて腕を組む皐月が待っている。
飄々としている皐月に微笑みかける日菜。
日菜「借金の返済だけじゃなくて、父の入院の手配までしてくれるなんて思わなかった」
皐月「これくらい造作もないことです。お父様は過労で体調を崩されていましたが、しばらく入院していただければ大丈夫でしょうし、その後は黒宮家の系列の仕事を紹介しますので、どうぞご心配なく」
やはり淡々と告げる皐月。
【それにしても昨日の今日でここまでできるものなのかな】
【ううん。きっとこの人、鼻から私に契約を断らせるつもりなんてなかったんだ】
皐月の有無を言わせない行動力と底知れない雰囲気に怯む日菜。
日菜「(だけど……)」
腹を括り、ぐっと拳を握る。
日菜「本当にありがとう。皐月には感謝してもしきれない」
皐月「感謝もいいですが、僕は別に善意でこんなことをしたわけではありませんからね。あなたの不安を減らして、契約に集中させるためにしたことにすぎない」
日菜に詰め寄る皐月。
皐月「あなたにはこれから一ヶ月以内に、誰から見ても深窓のご令嬢に見えるよう、あらゆるレッスンを受けていただきます」
日菜「もし一ヶ月以内にそのノルマを達成できなかったら……?」
皐月「もちろん僕も別の手を考えなければなりませんから、立て替えた借金とお父様共々、あなたを野に放り出しますよ」
あえて恐ろしいことを言う皐月の言葉に俯く日菜。
そんな日菜を見て、少し罪悪感に駆られる皐月。
皐月「(脅しすぎましたか……?)」
皐月「(まぁでも、浮かれすぎて契約を疎かにされても困りますし)」
しかし一転して日菜はきらきらした目をしながら顔を上げ、皐月の両手を自分の両手でがしっと掴む。
そんな日菜に驚きながら拍子抜けする皐月。
日菜「うん! 私、頑張るね!」
皐月「!?」
日菜「私、体力には自信があるし、記憶力もいい方だと思うの!」
自信満々に胸を叩く日菜と、勢いに押され気味の皐月。
皐月「そんな簡単なものではないですよ。一ヶ月で僕が一目で惚れた女性にならないといけないんですから」
日菜「もちろん! 絶対皐月に後悔させないって約束する!」
あまりにもポジティブな日菜にペースを崩される皐月だが、仕切り直すように咳払いをして、くるっと踵を返す。
皐月「それじゃあ行きますよ」
そんな皐月に意気揚々と着いていく日菜。

◯昼・高級ブランドのブティック

皐月「これも似合いますね。こちらと、それからこちらも……」
皐月「この服に似合う靴や鞄もいくつか見繕っていただけますか」
皐月「ああ。日菜も好みのものがあれば言ってくださいね」
日菜「いやあの、私は服とか詳しくないんで……」
ブティックにて日菜に高級な洋服を当てがい、いくつも購入している皐月。
にこにこと見守っている店員たちと、その爆買いする様子に恐れ慄いている日菜。
日菜「(高そうな服や靴をこんなにポンポンと買うなんて……。さすがは黒宮家の御曹司)」
(デフォルメ絵の皐月「必要経費です」)
清楚なコートとワンピースを着せられた日菜。
皐月は購入した物が入ったいくつもの紙袋を自分の車に詰め込んでいる。
日菜「あの、こんな高そうな服を買って、次はどこに行くの?」
皐月「僕の実家、黒宮家です」
日菜に振り向き、笑みを浮かべる皐月。
皐月「まずは黒宮家に行き、僕の恋人として兄に挨拶をしていただきます」

◯皐月の運転する高級車の車内

車を運転する皐月と助手席に乗る日菜。
車は高級住宅街を走っている。
セリフはないけれど、日菜にあれこれ説明している皐月の絵。
【黒宮家には皐月より10歳年上のお兄さんと、お兄さんと同じ歳の奥さんがいるらしい】
【お父さんは病気を理由に家業から退いて、今は領地で療養中。お母さんは皐月が産まれてすぐに亡くなっているそうだ】
日菜「(家柄は全然違うけど、ちょっと私の家族と似てるな)」
日菜「お兄さんにまで契約のことを秘密にするの?」
皐月「ええ。噂はどこから漏れるか分からない。用心するに越したことはありません」
日菜「嘘の恋人だって見破られないかな」
皐月「安心してください。上手く説明しますし、兄は寡黙な人なので深く追求することはないでしょうから」
話をしていると車が黒宮家に着く。
高級住宅街の中でもひときわ大きい、海外の要塞の様な黒宮家。
皐月「ようこそ、我が家へ」

◯黒宮家の中

皐月に先導されながら、洋風な造りの黒宮家の中を進む日菜。
豪華なエントランスホールや大きな階段を萎縮しながら通り抜け、やがてひとつのドアの前に止まる。
ドアを軽くノックし、返事も待たずにそのドアを開ける皐月。

◯書斎

皐月「兄さん。僕の恋人を連れてきましたよ」
皐月がドアを開いた先の部屋は、書斎のような場所だった。
一番奥は大きな窓で、その前に置かれた机には書類と向き合う黒髪の男性がいる。
皐月の声に顔を上げる男性は、皐月の兄の睦月(むつき)(黒髪の短髪で服装も黒。顔立ちは皐月を大人っぽくした感じで、全体的にクールな印象)。
日菜「紹介します。こちらが僕の恋人の日菜です」
睦月に見せつけるように日菜の手を取り、彼女を紹介する皐月。
日菜も恋人らしく、ぎこちなく笑顔をつくる。
日菜「は、初めまして、菅野日菜です」
睦月「初めまして。皐月の兄の黒宮睦月と申します。弟がお世話になっております」
席を立ち、日菜の目の前まで来て頭を下げる睦月(皐月より少し背が高い)。
日菜「(さすが兄弟。よく似てるなぁ)」
並び立つ美しい兄弟に感心する日菜。
【皐月は満月の輝く美しい夜みたいな人だけれど、睦月さんは星明かりが瞬く静かな夜のような人だ】
【だけどまっすぐに見つめられると思わず気後れしてしまいそうで、そんな高貴な佇まいが皐月とよく似ている】
皐月「日菜とは同窓会の会場で出会ったんです。彼女は給仕の仕事をしていたのですが、懸命に働いている姿が健気で、ひと目で惹かれてしまいました」
皐月「これからレッスンを受けてもらい、僕の二十歳の晩餐会にも同行していただきます。いずれは妻になっていただく予定です」
ペラペラと嘘を並べる皐月と、それを無言で聴いている睦月。
日菜「(事前に考えていたことなんだろうけど、よくもまぁこんなにすらすらと嘘を吐けるもんだよね)」
睦月の冷静な目に冷や汗を滲ませる日菜は、余裕な皐月に尊敬と呆れの目を向ける。
皐月「それじゃあ、僕たちはこれで失礼しますね」

◯黒宮家の廊下

一方的に話し終え、睦月の書斎を出る日菜と皐月。
皐月「似てないでしょう? 僕と兄さん」
日菜「? そうかな。私はむしろよく似てると思ったけど」
皐月「…………」
日菜の答えに訝しむ視線を向ける皐月。
そんな皐月を疑問に思い、焦る日菜。
日菜「性格とか雰囲気は似てないかもしれないけど、顔立ちはそっくりでしょ? そのうさんくさい作り笑いをやめたら、もっとお兄さんに似ると思うけど」
皐月「……そうですか。まぁ、あなたには何の先入観もありませんからね」
日菜「(先入観……?)」
なぜかバツが悪い気持ちになり、日菜は強めに言い返したものの、皐月は一人で話を完結させてしまう。
不思議に思う日菜の後ろから、くすくすと笑い声が聞こえくる。
千歳「皐月に向かってそんなにはっきり物を言う子、珍しいわ」
皐月「義姉さん」
日菜と皐月が振り向いた先には、睦月の妻の千歳(ゆるく巻かれたロングヘアの、華やかで明るくおっとりした雰囲気の女性)が佇んでいた。
皐月「ちょうどよかった。今から義姉さんの元にも伺おうと思っていたんです」
千歳「あら、あなたが恋人を紹介してくれるなんて初めてね」
にこやかに皐月と話す千歳が日菜に視線を向ける。
千歳「皐月の義姉の黒宮千歳です。よろしくね」
日菜「菅野日菜です。こちらこそよろしくお願いします」
千歳「日菜ちゃんっていうのね。私とも仲良くしてくれたら嬉しいわ」
日菜「(ん、あれ……?)」
【千歳さんってどっかで聞いた名前だけど】
3話で千歳の名前を呟いた皐月と、彼の恋人の名前だと勘違いした日菜の記憶が蘇る。
日菜「(もしかして千歳さんって)」
【皐月の好きな人――!?】
談笑する皐月と千歳を見ながら、一人衝撃を受ける日菜。