「匠、彼女いじめちゃかわいそうだろう」
突然声が振ってきた。
ぱっと顔を上げると、例の店員が補佐を見下ろすようにして立っていた。
彼女――。
特別な意味などない単なる三人称だと分かっていても、私はその響きにどきっとしてしまった。
しかし補佐はその言葉に反応した様子はない。ムッとした顔をして相手を見上げている。
「いじめてなんかいない。ところで営業用の口調じゃなくなってるぞ」
「お前相手なら別にいいだろ」
店員はあははと笑った。
二人のくだけた雰囲気に私は困惑した。
店員は笑顔のまま、私たちそれぞれの前に飲み物を置いた。
「こちら、ご注文のお飲み物です。それと」
一度言葉を切ると、彼は私の前にだけスイーツの乗ったお皿を置く。
「サービスです」
「……あの?」
「当店人気のデザート、ティラミスです」
「あ、ありがとうございます」
私は礼を言ってから、おずおずと店員に訊ねた。
「でも、私だけ、ですか……?」
彼は頷いた。
「こいつは甘いものが苦手だからね」
「そうなんですね……」
補佐が不機嫌そうな顔で店員を見た。
「もう仕事に戻れよ」
「初対面なんだから、自己紹介くらいさせてくれたっていいだろ」
仕方ないとでもいうように補佐は肩をすくめた。
「手短にどうぞ」
「はいはい。ということで改めまして。俺は匠の親友で、一応ここのオーナーやってる築山慎也って言います。よろしくね」
「慎也、もう終わり」
「えぇ……もう少し彼女と喋りたいんだけど」
築山さんは唇を尖らせて不満そうな顔をしたが、それを補佐は冷たくあしらう。
「向こうでお客さんがお前のこと待ってるみたいだぞ」
築山さんは、やれやれとでも言いたげな顔をした。
「邪魔者はさっさと消えろってことね」
そのまま立ち去るのかと思ったら、築山さんは私に笑いかけて言った。
「こいつって、色々分かりにくい所があるけど、いいやつなのは間違いないから。よろしく頼むね」
「はぁ……」
よろしく頼むって――。
その言葉にも深い意味がないことは分かっていたが、私はちらりと補佐の様子をうかがった。彼がいつもと変わりないことにほっとしつつも、胸にちくりと小さな痛みを感じる。
「あっちへ行けって」
補佐がほんの少し苛立った様子を見せた。
「あとは邪魔しないからそんな顔するなって。――それではどうぞごゆっくり」
最後に築山さんは仕事モードの笑顔で一礼すると、私たちの前から離れて行った。
はあっとため息をついて、補佐は申し訳なさそうに言った。
「ごめんね、賑やかなやつで」
「いえそんな。とても気さくな方ですね。補佐とは親友なんですね」
補佐は苦笑した。
「一応ね。たぶんあいつが俺の事、一番よく知ってるかもしれない」
「そうなんですね」
それならば、補佐が過去にどんな人と付き合っていたのか、例えばさっきの女の人のことも知っているのだろうか。築山さんに聞けば、もしかしたら――。
そんな考えが浮かんで、私は急いで頭の中からそれを振り払った。
「とりあえず乾杯でもする?」
「そう、ですね」
と答えながら、何に対しての乾杯なのだろうと複雑な気持ちになる。
私たちはグラスを軽く触れ合わせた。透き通った音が鳴る。
綺麗なノンアルコールカクテルだ。けれど今の私には、その色や味を堪能する余裕がなかった。とくとくと小刻みに鼓動が震え始めている。
――今度こそ言わなきゃ。
ドリンクを口に含んで喉を湿らせると、私は膝の上に手を置いて姿勢を正した。両手でスカートをぎゅっと握りしめ、口を開こうとした。
しかし補佐の方が早かった。
「岡野さん、さっきのことなんだけど……」