心臓がどくどくと脈打ち出した。好きな人といるとは思えないような、緊張感ある鼓動だ。この動揺を悟られないように努めながら、私は口を開いた。

「山中補佐、何階ですか?」

そう言ってしまってから、私は自分の間抜けさに気がついた。

補佐がくすっと笑い。

「行先はもう押してあるみたいだね」

「そうでしたね……」

私は苦笑した。

「私たち、みんな同じフロアで働いているのに」

「そうだね」

補佐は笑いをこらえた顔をしている。

このやり取りのおかげで、私の緊張は幾分和らいだ。

補佐もまた、リラックスした表情を見せている。

今の雰囲気だったら、言えるだろうか――。

私はバッグの中に手を入れて、映画のチケットがそこにあることを確かめた。あの日宍戸から受け取ったそのままに、入れっぱなしになっていた。

そろそろ目的の階に着く頃だ。

私の背中を強制的に押すように、宍戸がわざわざ作ってくれたこの数分間。タイムリミット目前となって、私はようやく勇気を振り絞った。

「山中補佐。今度の週末辺りお時間ありますか?」

緊張しすぎて少し早口になってしまった。

「週末?」

補佐に聞き返されて、今度は所々つかえながら答える。

「あ、あの、もしよかったら、なんです。映画のチケットがあるんですけど、他に一緒に行けるような人がいなくて……。えぇと、だから、もしご都合よければですが、一緒にどうかな、などと思ったものですから……」

「えぇと……」

補佐は眼鏡のテンプルの位置を直すような仕草をし、それからレンズの奥でゆっくりと瞬きをした。

「誘ってくれてありがとう。ただ……」

そう言って彼は困ったように笑った。

「スケジュールを確認しないと分からないかな。突発的な仕事が入ることもあって。だから……」

補佐が言葉尻を濁したことで、この誘いを断ろうとしているのだと思い、私は慌てて謝罪の言葉を述べた。

「私の方こそ突然申し訳ありませんでした。今のはどうか忘れて下さい」

「え、いや……」

困惑気味に補佐が言葉を続けようとしたのが分かったが、私は固い笑みを貼り付けた顔を彼に向けた。

「お忙しいのにお誘いしようとして、大変失礼しました」

何度か食事をしたことを根拠に、補佐は断らないだろうと密かに期待していたところはあった。勝手にそう思い込んでいた自分がとても恥ずかしい。

困ったような表情を浮かべている補佐から目を逸らし、私はエレベーターの階数表示を見上げた。

お願い、早く着いて――。