柔らかい音がして、エレベーターの扉が開いた。
「乗らないのか?あ、もしかして少しさぼろうとか思ってる?」
「そんなわけないでしょ」
宍戸はエレベーターの扉を抑えて待ってくれている。他に乗る人はいないけれど、いつまでもぐずぐずしているわけにもいかない。
「やっぱり乗るわ」
私は諦めてエレベーターに乗り込んだ。
扉が閉まり箱がゆっくり上昇を始めると同時に、宍戸が口を開いた。
「で、あれからどうなった?」
「一応落ち着いた、かな」
「そうか。良かった。確かにもう元気そうだ」
「ご心配をおかけしました」
「どういたしまして」
「で?もう一つの方はどうなった?」
私はどきりとした。
やっぱり来た――。
そう思ったことが顔には出ないように気をつけながら、考える。十階まではそんなに時間はかからないはずだから、それまでの間だけなんとかシラを切り通せばいい。私は宍戸の質問の意味が分からないふりをした。
「何が?」
宍戸はふっと笑った。
「岡野が何を考えてるか、分かるんだけど」
「分かるって、何が?」
私はとにかく時間をやり過ごそうと、宍戸の言葉尻を捉えて返す。
彼は背中を壁に預けると、腕を組んで私を見た。
「あのチケット、無駄にしようとか思ってるだろ」
私は目を伏せた。
「別に……。無駄にしようだなんて思っていないわよ」
「へぇ、じゃあ、いつ補佐の気持ちを確かめるわけ?」
宍戸が私の方へ足を踏み出す。
動きが制限される箱の中では、距離の取りようがない。私はじりじりと後ろに下がり、ぶつかった所で壁にべったりと背中をつけた。持っていたバッグを胸元でギュッと抱きしめる。
「そこまで宍戸に干渉されたくないんだけど」
「仕方ないだろ。干渉したくもなるさ。岡野がいつまでもはっきりさせないのが悪いんだよ」
宍戸はそう言いながら手を伸ばすと、私の頬にそっと指先で触れた。
私はびくっと身をすくませた。
「なぁ。やっぱり俺じゃだめか」
「そのことはもう……」
私の気持ちはもう伝えたはず――。
そう言いたいのに、声が喉に張り付いて言葉にならない。
「この前は、答えを急がないって言ったけど、お前の目が補佐の姿を追っているのを見ると、苦しくなるよ」
宍戸の真っすぐな視線が私の動きを封じる。彼は指先を伸ばすと、身動きを取れずにいる私の顔を仰向かせた。
その時、エレベーターが軽く振動した。宍戸の肩越しに見えた階数表示が示していたのは、私たちが降りようとしているフロアではなかった。誰かが乗ろうとしている。
私は慌てて宍戸から離れ、端の方へ移動した。
宍戸は深々とため息をつき、くるりと扉の方に向き直る。
場の雰囲気に敏感な人だったら、私たちの間の気まずいような空気感や距離感に不自然さを感じるかもしれない。
せめてどうか、私たちを知らない人が乗ってきますように――。
そう願いながら、私は扉が開くのを見守っていた。しかしそこにいたのは、今いちばんこの場を見られたくなかった人だった。
「山中補佐……」