―― 岡野?

わずかな間を置いて、電話の向こうから宍戸の声が聞こえてくる。

「はい……」

―― 今、いいか?

「あ、と……できれば手短にお願いしたいんだけど」

私は鏡に映る自分の姿に目をやった。濡れたままの髪が首筋にひんやりと当たって、嫌な感じがする。早く乾かしたい。

それなのに、宍戸はこんなことを言い出した。

―― これから会いたいんだけど。

「えっ」

私は狼狽した。入浴を済ませたばかりのこんな状態、他人(ひと)の前に出るにはそれなりの時間が必要だ。

「あの、また改めてということでお願いしたいんだけど……」

―― 話しておきたいことがあるんだ。

押しの強さはやっぱり宍戸だが、静かな口調の彼は知らない人のようだ。

困惑している私をさらに動揺させるようなことを、彼は口にした。

―― 実はもう、岡野のアパートの前にいるんだ。

「ええっ!」

予想外のことに私は焦り、手を滑らせて携帯を落としそうになった。

「ちょ、ちょっと待って!うちの場所、どうして知ってるの?」

―― 同期の皆んなで飲んだことがあっただろ。あの時、帰りのタクシーに一緒に乗ったじゃないか。最初に降りたのが岡野でさ。それで覚えてた。

「あ、あぁ、あの時ね……。で、でも、それにしたって、どうしてそんな急に」

―― 俺にとっちゃ、急でもなんでもないんだけど。一応聞くけど、前もって会って話したいって言ったら、岡野は時間作ってくれたか?

含みのある言い方に、まさか、と思った。今さらだけど、宍戸の《《らしくなかった》》様子や補佐がもらした意味深な言葉が繋がったような気がした。

信じられないけれど、これって、もしかして、そういう話……?

そう察しながらも、私の心はまだ抵抗を続けていて、その話から逃げたいと思っている。

「それは、内容にもよると思うけど……」

ここで宍戸の話を聞いてしまったら、この同僚とはこの先今までと同じように、つき合えないんじゃないかと思った。ずるいかもしれないけれど、それはとても寂しい。

宍戸は静かな声で言う。

―― 少しでいいんだ。話、聞いてくれないか。

宍戸ってこんな人だっただろうか……。

大人の男性然としたその雰囲気にのまれたようになって、すぐに言葉が出ない。仲のいい同期としてしか見ていなかったのに、確かに彼は異性なのだと改めて気づかされたような思いだった。

ここで今逃げてしまったら、この先もずっと宍戸から逃げることになる?

それは嫌だと思った。だから、自分にも念を押すような気持ちで、私は宍戸に確かめるように訊ねた。

「それは、今じゃなきゃ、だめなのね?」

彼は短く、けれどはっきりと答えた。

―― あぁ。