椅子は床に固定されたタイプで、隣との間隔はほとんどないにも等しい。ほんの少し体の向きを変えようとするだけで、隣の補佐に自分の腕や膝がぶつかりそうになってしまう。
右側には壁があって、まさかそちらを向いたままというわけにはいかないし、前だけを見続けているわけにもいかない。けれど、二人同時に前を向いたままでいると窮屈で、どちらかが相手の方に少しは体を向けるような姿勢を取らざるを得なかった。
そもそもこのカウンター席というもの自体、親密な間柄にある人たちのためのものなのではないのか……そんな風に思ってしまう。
この状況に困惑したままだった私は、補佐の声が間近に聞こえた時には一層うろたえた。
「岡野さん、何か好き嫌いはある?」
その声は私の耳を優しく撫でた。同時に、言葉を発した時に生まれた彼の息が私の首筋をかすめ、そこからぞくぞくとした感覚が広がった。私はそれに抗うようにこぶしを握りしめながら、小さく首を振った。
「いえ、特には……」
「じゃあ、適当に注文するね。ここはなんでも美味しいんだ」
補佐は慣れた様子で女将さんに注文を伝え終えると、私の前にメニューを広げた。
「何呑む?」
「え、っと」
私はメニューに目を落とした。気になる日本酒や焼酎の名前がずらりと並んでいる。本当ならぜひ味わってみたいところだったが、今の落ち着かない状況と自分の体調を考えてノンアルコールドリンクを選んだ。
「では、ウーロン茶を」
「あれ、飲めなかったっけ?」
首を傾げる彼に、私は曖昧に笑って答える。
「いえ、明日も仕事ですし……」
補佐はにやりと笑う。
「俺も仕事だよ。しかも早出。一杯だけつき合ってくれない?一人で飲むのは寂しいから」
そう言って補佐は悪戯っぽく笑った。それはおそらく会社では見られないような、貴重で珍しい表情だったと思う。それを目の当たりにしてしまった私は動揺し、気づくと前言をひるがえしていた。
「じゃあ、一杯だけなら……」
そう言って私は、もっとも悪酔いしなさそうなウーロンハイを注文する。自分に言い聞かせながら。
一杯だけでやめておけば大丈夫――。