王子が結婚するという噂話は、その後猛烈な勢いで広がった。

 彼の言動に全く変化がないので直接確認はしてないけれど、噂の内容が具体的かつ広がり過ぎてる気はしている。

 三角商事と古くから取引のある大企業のお嬢様で、何年も前から婚約してるとかしてないとか。近々大口の契約があるとかないとかで、それが結婚のきっかけとなって、一千万円超の婚約指輪が用意されたらしい。最近王子が帰宅を早めているのは、婚約者と頻繁に会ってるからじゃないかとされていて、実際にそれを目撃した人がいたとかいないとか‥‥

 噂の真偽はともかくとして、何よりも気になるのは‥‥一千万円超の婚約指輪!?どうかそこは嘘であって欲しい。あの婚約指輪がその後どうなったのかは知らないが、一千万円超の指輪と一晩過ごしたとか、本当震える。あの日お風呂に入らなかったのは正解だった。

 尾ひれをつけながら噂が広まり続けること数週間。いつもと変わらぬ日々を過ごしていた私だったが、ある日仕事を終えて会社を出たところで声をかけられた。

「安田椿さんですよね?少しお時間よろしいかしら?」

 最近いやでも耳に入ってくるので、彼女のことは知っていた。名前は澤田やよい。社内で噂の岩泉君の婚約者で、ここのところ頻繁に会社を訪れては彼に会いに来ているらしく、私も一度見かけたことがあったのだ。

 私よりふたつ年下の25歳。少し気が強そうには見えるが綺麗な顔立ちでスタイルもいい。噂によれば身につけているもの全てが高級ブランドらしいが、私ではそれと気付けない程さりげなく上品にそれらを着こなしている。非の打ち所のない筋金入りのお嬢様だ。

 この状況はおそらく『私と岩泉君の関係が彼女に知られている』ということなのだろう。名指しで呼び止められてるし、知らないふりも難しい。もの凄くいやだけど、応じるしかない。

 会社近くのカフェに場所を移した。噂の婚約者といるところを誰かに見られたらと思うと気が気じゃなくて、まだ何も話せてないけど既に帰りたい。

「単刀直入に言わせてもらいます。誠太郎さんと別れて頂けませんか?」

 おお、こんなドラマの中でしか聞けないセリフを自分が言われる日が来ようとは‥‥いや、感動してる場合じゃないだろう。どうしよう。例え冗談でもいいからこういうシチュエーションになることを想定しておけば良かった。

 やばい、猛烈にこの場から逃げ出したい。