そして、昨日と同じ時間。私はまだ、何が欲しいかなんて思いついていなかった。
「来てくれたんだね」
悠斗が嬉しそうに言う。
「まあ……。約束は破らない質なんで」
私がそう言うと
「そういう子、好きだなあ。やっぱ君、いい子だよね」
と悠斗は微笑んだ。
「昨日言った、オオカミ族の話だけどさ、僕らフェロモン出てるから、女の子を虜にしちゃうんだよね。でも、君は何か違うよね」
……?私は悠斗先輩に近付いたからってきゃーーってなったりはしない。かっこいいとは思うけど、それだけだ。
「君も特殊体質なのかもね」
「私が…ですか?」
でも、確かにそうだ。私は、昨日のあの現場を見て、悠斗先輩を嫌になりかけた。それはつまり、フェロモンにかかってないということ。
「正常な人間に判断してもらえるのは助かるなあ」
「私が正常かはわかりませんけどね」
「おっと?そうなの?」
「いや、普通、あんな約束しますか?って話ですよ……」
「でも、流れ的に仕方ないよね。」
そうだ。仕方ない。
「それで、欲しい物決まった?」
「いえ」
「えー、考えておいてって言ったのに」
「だって、そんなの急に思いつきませんよ」
「……ん〜、何かないの?ほら、僕にして欲しいこととか。出血大サービスだよ?」
何が出血大サービスだ。して欲しいことなんてあるわけない。まだ、昨日話したばかりの仲だ。それにフェロモンにかかってないから、別にハグして〜ちゅーして〜とかにもならないし。
「いりませんよ…。……あ、強いて言うなら、料理得意って聞いたんですけど」
「え?ああ、料理は好きだねぇ。楽しいし」
「手作り貰う、とかでいいですよ。他に思いつきませんし」
「そう?じゃあそうしよう!今日もね、実習で作ったクッキーがまだあるんだ。これをあげるよ。また今度、しっかり家で何か作ってくるね」
そう言うと悠斗は鞄から可愛らしい袋を取りだした。透けたピンク色でレース模様がついている。ク
ッキーは、うさぎの形をしていて、アイシングでデコレーションが施されていた。
「か、可愛い……」
「可愛いものが好きなんだ、僕」
ふふん、と悠斗は誇らしげに私に袋を渡す。私はそれを受け取ると、まじまじとクッキーを見つめる。すごい……。クオリティ高い……。
「評判良かったんだよ〜、ファンクラブの子たちも喜んでくれて……。ああ、君の友達にも渡したよ」
「ありすから聞きました。ほんとにみんなにあげてるんですね」
休み時間が始まった瞬間、ありすは実習室に走っていった。貰えたありすはすごく喜んで、一生分自慢してきた。それはもう、寮の中でもずっと。その話を遮ってここに来たくらいだ。
「輝には、ぼくの手作りを口止め料として払うことにするよ。毎回、楽しみにしておいて」
「はい」
私が答えると、悠斗はのびをして椅子に腰掛け、机に伏せた。
「……君といると気が楽だ」
「フェロモンがあるっていうのも大変なんですね、」
「そりゃあねぇ、みんなが僕を期待してるし、下手なことできないじゃん?」
「期待ですか。もしかして、王子様らしく、頑張って振舞ってるんですか?」
「そうだよ、好かれるだけじゃなくて、好かれる理由のある存在にならないと、妙だろう?」
たしかに。つまり、悠斗先輩が人気なのは、フェロモン以外にもちゃんと理由があるのか。悠斗先輩、しっかりしているんだなあ。
「私といる時は、そこに気を使わなくてもいいですよ、なんておこがましいですかね…?」
「ありがとう。輝の前では一匹のオオカミでいるね」
「暴走しないなら、それでいいです」

それから二人はこの時間によく会うようになる。他愛のない話をしたり、勉強を教えて貰ったり。普通に先輩後輩として仲良くするようになった。悠斗が実習や部活でお菓子を作ったら、口止め料として貰える。そんな日々。キラキラ王子様オーラのない悠斗先輩も、それはそれで私には魅力的に見えた。