○この物語はフィクションであり、実在の人物・団体とは一切関係ありません。実在する地域に配慮し、架空の地域名、団体名を用いて表現しております。
 
 
序話
 
 出会ひ・六花模様
 
 放課後、ひらひらと膝上までのスカートを揺らしながら、長谷川雪乃(はせがわゆきの)は、近所の石金神社で、異学年の友達たちと走り回っていた。
 
 「ゆきちゃ〜ん、こっちこっち…」
 
 鬼に捕まらないよう、口元に人差し指を当てながら、ひそひそ声で自分の元に呼びつける福原綾美(ふくはらあやみ)。境内の入り口に聳え立つ灯籠に隠れながら、二人は息を潜めていた。
 かくれんぼとドロケイを混ぜたような鬼ごっこが、茶屋町の子供たちの中で流行っていて、放課後にランドセルを社に放っぽり出して遊ぶのが日課だった。
 
 「ね?あやちゃん。今日、なんか人多ない?」
 
 「なんかね、今日は、一年生の私たちと二年生のみっちゃん達だけじゃないねんて〜。四年生のお兄ちゃんたちもおる」
 
 いつもは七人ぐらいで遊んでいるのだが、今日は四年生を含めて十二人だった。
  
 「そうなんや」
 
 「ね?見て?さっきの駄菓子屋で当たった」
 
 綾美は小さな胸ポケットから、駄菓子屋で買った〈ウッターめん!〉の裏蓋を雪乃に見せる。すごぉ〜い!よかったね、と雪乃は羨ましげにその裏蓋を眺めた。
 追いかけてくる鬼役のみっちゃんたちにバレないよう、長袖の服で汗を拭いながら、雪乃と綾美はひそひそと会話を続ける。
 
 「わたし、全然当たんなーい。ウッターめん」
 
 「そうなん?でも、こないだ10円ガム当たってたじゃん」
 
 「それだけやもん…」
 
 しょげた声で拗ねる雪乃にクククっ、と綾美は悪戯っぽく笑う。
 
 「じゃあ、これ、ゆきちゃんにあげるぅ。だからニコっとして」
 
 「え?でも、それは、あやちゃんのやじー?」
 
 「いいのぉ。はいッ」
 
 綾美は雪乃の手に無理矢理押し付け、雪乃は目を見開いたまま、それを受け取った。照れくさそうに顔を赤らめて、雪乃は「ありがとう」と伝えた。
 
 そんな温かい気持ちを掻き消すかのように、みっちゃんの大きな声が境内に響き渡る。
 
 「あっ!見つけたでー。ゆきちゃんとあやちゃん。あっこ!あっこ!」
 
 やばい…見つかっちゃったー、と思った瞬間、声を上げて走ってくるみっちゃんたちに、情けないぐらいの速さで捕まってしまう。
 みっちゃんに服の袖を引っ張られながら、雪乃と綾美は、黙って皆んなが集まっているところへ歩いていった。
 
 「よぉ〜し、これで皆んな揃ったか?次は、四年の俺らが皆んなを捕まえる番や〜。準備はいいけ?」
 
 「あ、鬼は三人にしよや。俺ら三人。な?」
 
 仲良しトリオなのだろうか。二人は、真ん中に居た一人だけムスッとした目鼻立ちの整ったお兄ちゃんの肩にそれぞれ腕を乗せ、ゆらゆらと揺らして見せる。残りの二人はみっちゃんたちと混ざることになり、立ち位置をスルッと変えた。
 
 足の速いみっちゃんに、お兄ちゃん達は勝てるのだろうか…、と雪乃は思いながら、第二ラウンドが始まる。鬼の三人が十秒数えている間に、雪乃と綾美はそれぞれ二手に別れ、雪乃は神社の裏手に、綾美は木々の茂みに隠れた。
 
 「うわぁ〜。どこ行ったか分かんねー」
 
 「あの子、足はやっ…」
 
 そんな声がすぐ近くで聞こえてくる。きっと、みっちゃんの事だろうと、クスクスしながら雪乃は思った。
 
 「よし、俺らも別れるぞ」
 
 「おう」
 
 声のしない方に雪乃はそっと逃げる。
 男の子たちは、足が速い。それに競争心もあってか、こういう遊びも本気だ。いくら相手が年下の女の子であっても微塵も容赦しない。
 上手く逃げれていると思った矢先、雪乃は目鼻立ちの整ったお兄ちゃんと目が合った。
 
 やばい!逃げなきゃ…、と雪乃は、全速力で逃げ回る。木々達が並ぶ茂みに入り、カサカサと音を立てながら、落ち葉を踏み鳴らす。木と木の間をすり抜けたりして、何とか切り抜けたと思ったのだが、甘かった。お兄ちゃんはゆっくり、カサッという音を立てて雪乃に近づいてくる。
 
 「もう、僕からは逃げられないよ」
 
 さっきのムスッとした顔とは違う、獲物を捕らえたと言わんばかりの猛獣ごとく、目を光らせている。
 雪乃は、そんなお兄ちゃんの一瞬をつき、目を泳がせながら勢いよく横の砂利道へ飛び出した。
 
 「おい!待て」
 
 お兄ちゃんも後を追うかのように、勢いよく砂利道に出る。逃げようとする雪乃を無理やり捕まえようと、お兄ちゃんが手を伸ばしたその時だった━︎━︎。
 雪乃は勢い余った反動で足を滑らせ、ジャリっと大きな音を立てながら、思いっきり前に転んだ。
 
 「……っ」
 
 あまりの衝撃と痛さに、雪乃は蹲る。
 
 「ご、ごめん…大丈夫?」
 
 「う…、うっ、うわぇ〜ん」
 
 幼く泣き喚く雪乃に、恐る恐るお兄ちゃんは寄り添い、声を掛けた。お兄ちゃんは、ゆっくりと雪乃を起き上がらせ「あっちいこ…」と手を引いて、ランドセルが置いてあった社の階段へ連れていく。
 
 「ひっ…。ひくっ…ひくっ…」
 
 「ちょっと待ってて」
 
 お兄ちゃんは、青色のランドセルから六花模様の手ぬぐいを取り出し、参道の脇にある手水舎で手ぬぐいを濡らす。力強く絞り、それを手際よく広げ、シクシク泣いている雪乃のところへ持っていく。
 
 「これで拭こう」
 
 「う…うん…」
 
 濡れた手ぬぐいをお兄ちゃんから受け取るが、雪乃は怖くてなかなか拭けない。深く、広範囲に広がっている擦り傷を直視できなかった。
 
 「貸して」
 
 「ふぇっ?」
 
 雪乃から湿った手ぬぐいを奪い取り、お兄ちゃんは滲みるよ…、と言って雪乃の傷を抑えた。
 ジンジンと傷が滲みて痛かったが、夕暉に照らされたお兄ちゃんの顔が妙に優しく、雪乃は初めて感じる初恋のような、甘酸っぱい気持ちになった。
 お兄ちゃんは、手ぬぐいを長細く折りたたんで雪乃の膝に巻きつけ、額に落ちてくる汗を拭った。
 
 「これ、あげるから」
 
 「いいの…?」
 
 うん、と言って、しゃがんでいたお兄ちゃんは立ち上がった。
 
 「ありがとう、お兄ちゃん…」
 
 雪乃は、お兄ちゃんを見上げながら、泣き腫らした顔をくしゃっとさせて精一杯のお礼を伝えた。
 
 「お〜い、ゆう。大丈夫け?」
 
 「あ、うん」
 
 鬼ごっこを中断して、皆んながゾロゾロっと雪乃とお兄ちゃんの元に駆け寄る。綾美が雪乃に大丈夫ぅ?、と声を掛けたと同時に、五時を知らせる夕焼け小焼けのチャイムが、防災無線から流れてきた。
 
 「今日はもう帰ろうぜ。また皆んなで遊ぼ」
 
 そう言って四年生たちは、先に自分たちのランドセルを背負って、茶屋町に繋がる大通りまで参道を歩いていった。お兄ちゃんは一回立ち止まり、憂色を帯びた表情で雪乃の方を振り向く。それに気づいた雪乃は破顔でお兄ちゃんに手を振ったが、お兄ちゃんは何も返さずまた背を向けて、友達の所へ駆け寄っていった。二年生のみっちゃんたちは、雪乃と綾美に手を振りながら別の方向へ歩いていく。
 
 「ゆきちゃん、行こっか」
 
 「あ、うん。ランドセルごめんね」
 
 「いいよ〜、そんなの〜」
 
 綾美は雪乃のランドセルを前に背負い、雪乃の足を気遣うようにして、ゆっくり茶屋町へ向かって歩き始めた。雪乃は、少し寂しい気持ちで、お兄ちゃんの小さくなる背中を目で追いながら、綾美の横に並んだ。