第二章 序話 若旦那の夢裏
 
 
 疲れた身体をベッドに預け、悠一朗は目閉じる。
 浅い眠りの中で、段々と鮮明な過去の出来事が脳裏に浮かび、夢裏に深く深く身体が沈んでいく━︎━︎。
 
 ◇
 
 目の前にいるのは、肩につく髪を揺らし優しい笑みを浮かべる由妃だ。
 由妃に手を引かれ、石金神社の社の階段に連れていかれた悠一朗は、冷たい石段に座らされた。
 誰もいない石金神社で、由妃の透き通る声だけが悠一朗の耳に入ってくる。
 
 「昔さ、ここで怪我しちゃったことがあるの。その怪我を手当してくれた男の子がいて、ずっと探してるんだけど見つからないの…」
 
 悠一朗はハッとし、由妃の横顔を見る。
 
 「それ、いつの話?」
 
 「ん〜、小学生の頃かな」
 
 「…小学生。実は俺も探してんだ…。ここで怪我をさせてしまった女の子を…」
 
 「え?」と驚いた由妃も悠一朗の方に顔を向ける。
 
 「…もしかしたら私たち、お互いのこと言ってるのかな?」
 
 「そうかもしれないな…」
 
 悠一朗と由妃はお互いの顔を見つめる。
 
 悠一朗はようやく見つけたと思ったのだが、言葉に表せられない違和感が胸の奥でつっかえた。
 確信を得るため、悠一朗は確信を持つ質問をしてみる。
 
 「その人は、由妃を何で手当してくれたの?」
 
 「白い布のようなものだった」
 
 「手ぬぐいみたいな?」
 
 「そう!手ぬぐい!」
 
 悠一朗は確信を得た。由妃で間違いないと。
 どんなけ探しても見つからなかったあの日の女の子に、悠一朗はようやく巡り会えたと胸が高鳴った。
 
 「由妃!結婚しよう」
 
 そのままの勢いで、悠一朗は唐突に由妃へプロポーズした。
 由妃は驚きのあまり、ポカンと口を開けたまま呆然としていたが、すぐに口を閉じて由妃は笑みを見せながら悠一朗の手を取った。
 
 「いいよ。でも、少し待ってて。色々問題があるから」
 
 「問題?」
 
 「今、付き合ってる彼と別れてからじゃないと…」
 
 「あぁ…そうだった。ごめん…。でも、俺は待つよ。どんなけでも」
 
 
 ◇
 
 
 そう言い残したのを最後に、悠一朗は静かに目を開けた。暗い虚な天井を見る限り、まだ夜は明けていないようだ。
 まだぼんやりとする目を擦りながら、悠一朗は大きく息を吐いて寝返りをうった。
 
 結局、由妃は戻って来なかった。そして、付き合っていた男と別れないまま結婚し、六年前この町屋を出て行った。あの返事はその場しのぎの言葉だったのだろうと、今なら思う。付き合っている男がいると知りながら、あんなことを言ってしまったのだから、いい結果にならなくて当然だということも今なら分かる。でも、あの時は本気で由妃の言葉を鵜呑みにして、由妃を待つと決めてしまっていた。だから特定の女を作らず、ずっと独り身を貫いていたのだ。
 
 (馬鹿な男だ…)
 
 悠一朗はそう思いながら、また仰向けに寝返りをうつ。
 
 「今日は…眠れそうにないな…」
 
 天井を眺めながらそう呟くと、廊下から向かいの部屋のドアが開く音がした。耳を澄ませていると、階段を降りていく足音が聞こえてくる。
 
 (雪乃か?)
 
 悠一朗はゆっくり起き上がり、スリッパを履いて足音を追いかけるかのように一階へ降りていった。
 
 キッチンから僅かな光が廊下に漏れる。
 悠一朗はリビングの扉を開き、キッチンの方に向かうと、長い髪が無造作に広がったパジャマ姿の雪乃が水を飲んでいた。悠一朗に気づいた雪乃は、ビクッと肩を窄め、驚いた顔を向けている。
 
 「ゆっ、悠一朗さんっ!どうしたんですか…?こんな時間に」
 
 「いや…。ちょっと眠れなくて…。足音がしたから降りてきただけ」
 
 「そ、そうでしたか…。だ、大丈夫ですか…?」
 
 悠一朗は何も言わず、虚な目を揺らしながら雪乃をじーっと見つめた。
 
 (一緒に寝たいと言ったら嫌がるだろうか…)
 
 情けないのは重々承知しているが、何とも言えないこの感情を埋めるには、目の前で優しい眼差しを向ける雪乃の温もりが必要だった。
 そんな気持ちを抑えきれず、悠一朗は思わず口に出してしまう。
 
 「隣で寝てくれないか…」
 
 「……」
 
 (いや…ダメだよな。こんな気持ちじゃ)
 
 悠一朗は、雪乃の気持ちを優先せず一方的に自分の気持ちを伝えてしまったことを後悔した。
 
 「いや、すまない。気にしないでくれ。ゆっくり休んで」
 
 そう言って悠一朗は、リビングの扉の方へ振り向き、ドアノブに手を伸ばす。すると、後ろから雪乃が足早で駆け寄り、悠一朗の袖を引っ張った。
 
 「…わ、私はいいですよ。一緒に…寝ても。で、でも…。わ、私…。今日は月のものが来ていて…あの、その…。ふ、夫婦生活は…できないんですが…」
 
 恥ずかしそうに俯きながら呟く雪乃に、悠一朗は思わず「ははっ」と笑ってしまった。
 
 「しないよ。まだ。でもいいのか?隣で寝ても」
 
 「ゆ、悠一朗さんとなら…」
  
 そう聞いた悠一朗は、少し顔を綻ばせながら雪乃の手を引いて二階へ上がる。憂鬱とした気持ちは消え去り、少しだけ雪乃が心を許してくれているようで嬉しかった。
 
 「俺のベッド狭いから、買ったベッドで寝てもいいか?」
 
 雪乃がコクっと頷いたのを見て、悠一朗は使っている枕を自室から持ってくる。
 まだ二人で使ったことのないダブルベッドに、悠一朗と雪乃はそっと横になった。
 
 「全然違うな、新品のベッドは…」
 
 「そ、そうですか?」
 
 「うん」と言いながら、悠一朗は掛け布団を胸までかける。布団の中で温存されていた雪乃の体温が妙に心地よく、夢の中で抱いた感情を柔らかく溶かすかのように、優しく包まれていく。
 
 「悠一朗さん、眠れますか?」
 
 「あぁ。すぐにでも寝れそうだ…」
 
 (由妃のことはもう忘れよう。俺は目の前にいる雪乃を大事にしなければいけない…)
 
 悠一朗は目を瞑ったまま、隣にいる雪乃の華奢な手を絡めて優しく握った。