コンコン。

「海都ー。凛花だけど」

水色の木の扉をノックして声をかける。

ここは海都の家の二階。

我が家と同じく海都の家も二階建てで、一階が「fu-rin」のスペース、二階が居住スペースとなっている。

大雨の中帰宅したわたしと海都は、おたがいの家でシャワーを浴びるために一旦別れた。

そして今、わたしは海都の部屋の前にいる。

「凛花ちゃん? どーぞー」

明るい返事が聞こえたので、片手でトレイを持って扉をゆっくりと押す。

真っ白なTシャツにジーンズ姿の海都が、からりとした笑顔で迎えてくれた。

シンプルな格好は、彼のスタイルの良さを際立たせている。

美しい所作でタオルを使い、部屋の真ん中で髪についた水を拭き取っていた。

海都はわたしが持っているトレイに気づきつつも、話し始めた。

「いやー、ビックリしたね。まさかあんなに降るなんて思わなかったよ」

「だよね。予報では明日って言ってたから、油断しちゃった」

うしろ手で扉をはめて部屋の中に入る。

すると海都は勉強机のイスをひっぱりだし、わたしの背後にイスを置いてくれた。

こういうさりげなく親切なところが、モテる理由なんだろうなあ。

「ありがとう」

「ごめんね、傘とか持ってきてなかったから……。体調はおかしくなってない?」

眉をハの字にして、しゅんとした瞳であやまってきた。

わたしは海都を振り返って微笑み返す。

「ぜんぜん! わたしはどこも問題ないよ。海都は大丈夫?」

勉強机にトレイを置いて、今度はわたしがたずねる。

「うん! お母さんに、女の子を雨でびしょ濡れにさせるんじゃないって怒られちゃった。あはは」

ぺろっと舌を出して軽い調子で言う。

おばさん、女の子のことは大切にしなさい! って、小さいころから海都にずっと言ってたからなあ。

十何年と一緒にいるわたしのことも、女の子の一人として扱ってくれるのは嬉しい。

「明日の体育祭、大丈夫かな? グラウンドで開催されるんだよね?」

「いやあ、さすがに中止じゃない? びったびたの地面を走ったら転びまくるよ」

「あー、そっかー」

「ねえ、そのトレイに載ってるのはなに?」

「あ、そうそう! 体冷えたから、ホットミルク作ったの」

そう言ったら、海都のガラス玉みたいに澄んだ瞳が輝いた。

(お、これは)

いつも「三日月うさぎ」で使っているマグを手に取る。

(欲しそうな顔してる!)

「飲む?」

「飲みます」

真面目な顔で即答してくれた。

両手を伸ばしてくる海都にホットミルクの入ったマグを手渡す。

自分の手の中にマグが入って、嬉しそうにニコリと笑みを浮かべた。

……かと思ったら、今度は伏し目で不安そうな表情になった。

「あの、凛花ちゃん」

「ん?」

「……念のため、言っておくけど」

「え、なに?」

海都はホットミルクには口をつけず、ベッドに腰かけながらもう一度口を開く。

「あんまりほいほい男子の部屋に入っちゃダメだからね?」

「……」

ようやくホットミルクを一口飲みこんだ。

それを見はからって、答える。

「うん、入らないよ。海都は特別枠でしょ」

「とっ……⁉︎」

どんよりしていた海都の背中が、はじかれたようにぴんっとなった。

「どういう意味? それ」

「やっぱり、親近感? 距離感? わたしが自然体でいられるから」

「ほかの男の子の部屋には、誘われてもちゃんと断るよ。てか、海都の部屋はおばさんにも許可とったし」

話しながらイスから降りて、ベッドの横の窓に近づく。

雨はさっきよりは静かになったけれど、何度もしとしとと落ちている。

「なに? 心配してくれたの?」

「そりゃ……心配するよ」

海都はすねたような顔をしていた。

……どうしたんだろう。

「このマグ、お店に一つしかないやつだよね」

「えっ?」

ぽんっと放たれた海都の言葉に、驚いてかたまる。

「知ってたの?」

「わりと前から」

(マジか)

赤い毛糸のハートがプリントされたマグを見つめ、ただ驚いてかたまる。

わたしは教えてないから、となると……。

「凛花ちゃんのお母さんから聞いたんだー。これ、凛花ちゃんのお気に入りのマグなんでしょ?」

(やっぱり!)

全力でかくすつもりではなかったけど、知ってたんだって思うとなんだか恥ずかしい。

お父さんは話したりしないだろうし。というか知ってるのかな。

「僕が使っちゃっていいのかなって思ったんだけどね。凛花ちゃん、いつもこれで出してくれるから、」

さっきまでのすねたような顔が、話をするにつれて少しずつ甘くほどけていく。

「まあいっかって」

海都がマグを勉強机に置き、こっちに近づいてきて。

———抱きしめられた。

「うみ……⁉︎」

「抱きしめちゃダメなんて言わないでよ」

普段の海都ならきっと言わないような、少し強引な口調。

背中と首に巻きついた海都の腕の力の強さに、海都は男の子なんだって思った。

ブランコのときと違って、今はおたがいの体が密着しているから、余計にそう感じる。

じんわりとした体温が伝わってきて、思考がうまく回らなくなっている。

「って、それはさすがにひどいか。勝手に抱きついてごめんね」

そう、薄いガラスに触れるみたいに繊細な声で言って、さっとわたしから離れた。

わたしの両手をとり、イスの前まで導いてくれる。

ゆっくりと座らせて、そして繋ぐ手の力を強める。

……ああ。

こういうところが、たまらなく愛おしいんだよなあ。

優しくて、あっさりさっぱりと軽やかで、温かい。