事務所の方針だとしても受け取れなかった。頑張れますと言えなかった。
 そんなわたしに、個室のトイレの扉越しで夢さんが言った。

『うたには人を魅了するだけの力があるんだよ』

 あの言葉が飛んできて、抱えていたものがすこしだけ上書きされたような気がした。

「あのときも、出来ないって言ってた。でも、今のうたを見たら、そんなこと言ってたなんて逆に信じられないと思うよ。今のうたは、グラビア界で有名になっちゃうぐらい、すごいとこまできたんだよ? 出来ないって言ってたあのうたが」

 ぎゅっと、握ってくれる夢さんの手が温かい。
 ぬくもりというものを、肌を通して感じるような気がする。

「やる前から出来ないなんて言うの、すごくもったいないと思うな、わたしは。うたには、いろんな選択肢があるんだってことを忘れてほしくないの。うたが、グラビアの仕事を好きになれないのも知ってる。でも、この仕事に誇りを持ってやってる子だっている。本気で戦ってる子もいる。それはうただってわかってるでしょう?」
「……はい」

 わかってる。桜井うたの立ち位置を狙う女の子たちがどれだけいるか。喉から手が欲しいと望まれるぐらい、誇らしい場所にいることを、ほんとうはわかっている。

「別にね、仕事を好きになれって言ってるわけじゃないの。ただ、視野を狭めないでほしいって思ってるだけ。チャレンジ出来る選択肢があるなら、最初から出来ないなんて決めつけないで、やってみるってことが大事なの。これは仕事だけじゃなくて、人生においても言えるのよ? 私は、グラビアの仕事をしたことがないから、経験者としてうたに話をしてあげられることは出来ないけど、人生の先輩としては、これは大事って伝えられるから」

 夢さんは、心が枯れたときに、ほしい水を与えてくれる。
 優しい水を、栄養がたっぷり入った水を、余すことなく注いでくれる。
 だから、この人の話は、すっと耳に入ってくるのかもしれない。
 その穏やかな瞳で見つめられてしまえば、わたしはすっかり夢さんの話のトリコになってしまう。