絶対零度の御曹司はおひとり様に恋をする

「喧嘩か…。どら焼き以上だな」
「え?」
「いや。何でもない。真下さん、地元は?」
「長野県なんです。とても田舎で…。千曲川が近くを流れていて、しなの鉄道って言う電車が走ってるんですけど、通勤時間帯以外は一時間に一本とか良くて二本あるような感じで。自然以外、特別なものは何もなくて。そういう所です」

そういえば去年の大晦日も帰省しなかったから、だいぶ田舎の景色を見ていない。帰れば親戚たちも集まって、同じような話を繰り返しされるから、どうしても足が遠のいてしまう。

「何もないって言うのは、一番の贅沢だけどね。冬にスキーしに長野へは何度も行ってるんだ。東御市にあるスキー場なんかも穴場でいいよ」
「えっ。近くです」
「あの辺りか。いいところだね」
「ありがとうございます…」

何か不思議な感じ。今まで同じ会社の人って言うだけで全然話したこともなかったのに、お互いの部屋に上がりあって、一緒にお茶を飲んだり故郷の話までしてる。でも嫌じゃない。むしろ嬉しいんだ。今まで会社の人に、こんな風に話したことなんてなかった。

「あの…冬上さん」
「何?」
「私の実家…果物農家なんです。葡萄とか色々作ってて…。今度持って行きます」
「葡萄か。それはすごいな。楽しみにしている」
「はい」

それから冬上さんとは仕事の話をしたり、犬の話をした。名前を付けるのには苦戦した。

「そういえば冬上さんは、今まで何て呼んでたんですか?」
「あー…」と、冬上さんがとても言いづらそうに顔をしかめた。
「シロ…だな」
「シロ、ですか」

確かに真っ白だから一番に思い浮かぶ名前だけど、冬上さんならもっと凝った名前二するのかと思ってた。

「まんまだ、って言いたいんだよね。時間がなかったし、いいんだよ。わかりやすくて」

照れ隠しなのか、なあシロ、と冬上さんがシロを呼ぶと、はち切れそうなくらいに尻尾を左右に振って嬉しそうにワンと吠えた。

「もうこの子の中では、シロで定着してるみたいですね。それなら、そのままにしてあげた方が安心すると思うので、シロにします」
「真下さんはそれでいいの?」
「この子が安心出来ることが一番大切ですから」
「そう…。誠実だな、君は」
「そんな立派なものではないです」
「俺には十分そう見えるけど。ーーー名前も決まったし、もういい時間だから失礼するよ」

時計を見たら冬上さんが来てから一時間ほど経っていた。そんなに盛り上がって話をしたつもりはなかったのに時間はあっという間だ。

立ち上がって玄関に向かう途中で、徐に前を行く冬上さんが振り返った。

「真下さんにお願いしたいことがあるんだ」
「何ですか?」

冬上さんは人から沢山頼まれても自分から頼みごとをするタイプの人には見えない。力のある人だから何でも自分で解決してしまいそうな感じがしていた。冬上さんに出来ないことが、私に出来るとは思えない。

「時々でいいんだ。シロの近況を聞かせて欲しい。ダメかな」

申し訳なさそうに話す冬上さんには悪いけど、嬉しくて思わず笑ってしまった。

「ダメだなんて…。冬上さんのおかげで、こうしてシロと暮らせるんですから。シロの写真送ったりしますね」
「ーーーありがとう」

冬上さんの車を見送りながら、心のなかに柔らかな風が吹いていくのを感じていた。