「え……?」
ふわっと甘い香りが鼻腔をくすぐった。
――ギルフォード、香水なんてつけてるのね。
そんな場違いなことをふと思う。
「ちょ、ちょっとギル。もういいでしょ。私は平気だから」
腕の中から脱出しようとするのだが、離してくれない。
むしろ、逃がさないと言わんばかりにますます腕に力をこめてくる。
「ちょ、ちょっと、ふざけてないで……」
「ふざける? どうしてそう思う? 俺はこんなにも真面目なのに」
――これのどこが真面目だっていうの!?
「ジュリア」
力強く名前を呼ばれると、ドクン、と鼓動が跳ねた。
厳しい調練でもない限り高鳴らない鼓動が、場違いに反応してしまう。
彼の手が顎にかかり、上向かされる。
「好きだ」
「は?」
好き、と言われた瞬間、全身が燃え上がりそうなくらい熱くなった。
頭一つ分ほどさらに高い位置から見下ろすギルフォードの月のように美しい双眸が妖しく輝く。
「ギル、何をふざけて……」
「ふざける? 言っただろ。俺は真面目だって。お前を愛している。お前を、俺だけのものにしたい」
予想外すぎる言葉の連続に、頭は真っ白になってしまう。
彼の息遣いが近づく。彼の薄い唇が近づいてくる。
頭では分かっているのに体が動かない。
抗わなければ、唇を奪われる。
頭では分かっているのに体が動かない。
ギルフォードが覆い被さってくる。
――どうしてこんなことに……!!
ジュリアにできることは、目を閉じることだけ。
「ギルフォード将軍! すごい音が聞こえましたがどうされたのですか!?」
勢い良く扉が開け放たれ、軍服を着崩した男が部屋に入ってきた。
自分たち以外の人物の登場に、それまで動けなかった体が動く。
我に返ったギルフォードの体を押しやった。
突き飛ばされたギルフォードは少し距離を取るが、ギルフォードは頭を抱える。
ギルフォードはそばにあったロープを引っ掴むや、自分ろ柱とを結びはじめた。
「ギルフォード様、何をされているのですか!?」
「おい、お前っ。その女とさっさとこの部屋から出て行け」
地獄の底から噴き上がるような鬼気迫る声に、男は顔を青ざめさせて回れ右をする。
「あなた、ちょっと手を貸して。ギルの様子が」
「ジュリア、余計なことを言うな……っ」
こちらに背を向けたまま唸るギルフォードは無視し、ジュリアは留め金の外れた巻物を見せた。
「さっきの地震で山が崩れた時、この巻物の留め金が外れて、魔法が発動してしまったみたいなんだけど、これが何の魔法か分かる?」
「失礼します」
そうこうしている間も、ギルフォードは「さっさと出ていけっ」と彼らしからぬ取り乱した様子で、叫び続けている。
「これは……えっと……複数の術式が編み込まれているようですが…………いや、そんなまさか……」
男がぽつりと呟く。
「どんな魔法なの!? ギルがさっきから様子がおかしいの」
「……魅了魔法、とあります」
「み、魅了?」
「……は、はい」
「どんな効果なの?」
「術式を見る限り、女性への恋情を抑えきれず、欲望の歯止めがきかなくなってしまう……というもののようです」
先程の抱きしめられ、好きだと囁かれた記憶が蘇り、ジュリアは赤面してしまう。
「どうしてそんな魔法が……まさかギルが作ったわけじゃ……」
「俺じゃない。署名を見ろ、マッケナンだ!」
ギルフォードが声を上げた。
「マッケナン大佐でしたか……」
男は「あぁ……」と空を仰ぐ。
「マッケナンさんはそんなにとんでもない人なの!?」
魔導士部隊の事情は、ジュリアもよく分からなかった。マッケナンという人物にも心当たりが全くない。
「魔導士部隊創設以来の創出魔法――いわゆる新しい魔法を造り出すという分野のことです――の分野の第一人者にして天才と言われている方です」
「ギルよりも」
「は、はい」
「おまけにとんでもない変人だ」
ギルフォードが苦々しく漏らす。
「その人の魔法のせいでギルが……」
――あのギルが私を好きとか愛しているとか、思うはずがないじゃない。
しかし納得したにもかかわらず、この心がしくしくと痛むのはどうしてなのだろう。
ジュリアは理解できないものはひとまず脇に追いやる。今はそんなことよりも、ギルフォードだ。
「そのマッケナン大佐は? その人なら、魔法の効果を消せるんじゃないの?」
「……とは思うのですが、今大佐は、勉強の為に留学中です」
「どこの国に!?」
ジュリアに詰め寄られた軍人は、気まずそうな顔をする。その顔には嫌な予感しか抱けない。
「わ、分かりません……。『魔法の勉強のために放浪します』という置き手紙を残したきり、どこかへ消えてしまって」
「いくらなんでも魔導士部隊の規律は緩すぎるんじゃないの!?」
魔導士は変人奇人の集まりだ、と一部の軍人が言うのも納得できる。
「この術式はギルにはどうにかできないの!?」
「創った本人にしかできない」
「そんな……」
「だから、俺のことは放っておいて、お前らはさっさと帰れ」
そう言われても、はいそうですかというわけにはいかない。
帰ったところで魔法の効果がなくなるわけではないのだから。
なにせ、嫌っているジュリアを抱きしめただけでなく、唇まで奪おうとしたのだ。
――今のギルの目の前に何も知らない女性が現れたら……さっきみたいに迫るようなことあったら大変よ。
それこそ、青き死神ギルフォードは色情狂だと誤解されてしまう。
ただでさえギルフォードというのは社交界で生きる彫像と呼ばれるほど、女性人気が高いのだから。
――ギルがかばってくれなかったから、魅了魔法に囚われていたのは私なんだから。
ならば、ジュリアがギルフォードの欲望の対象になればいい。この年齢でまだ初恋すら経験していないが、ギルフォードの名誉を守るためなら頑張れる。頑張らなければならない。
「ギル。とりあえず家に帰りましょう」
「必要ない。自分で帰れるっ」
「あなたは今とんでもなく危険な状況だってこと分かって――」
しかしギルフォードはテレポート魔法であっという間に消え去ってしまう。
「まったく。あんな危険な状況でっ」
ジュリアはギルフォードの後をおいかけ、彼の屋敷へ急いだ。
ふわっと甘い香りが鼻腔をくすぐった。
――ギルフォード、香水なんてつけてるのね。
そんな場違いなことをふと思う。
「ちょ、ちょっとギル。もういいでしょ。私は平気だから」
腕の中から脱出しようとするのだが、離してくれない。
むしろ、逃がさないと言わんばかりにますます腕に力をこめてくる。
「ちょ、ちょっと、ふざけてないで……」
「ふざける? どうしてそう思う? 俺はこんなにも真面目なのに」
――これのどこが真面目だっていうの!?
「ジュリア」
力強く名前を呼ばれると、ドクン、と鼓動が跳ねた。
厳しい調練でもない限り高鳴らない鼓動が、場違いに反応してしまう。
彼の手が顎にかかり、上向かされる。
「好きだ」
「は?」
好き、と言われた瞬間、全身が燃え上がりそうなくらい熱くなった。
頭一つ分ほどさらに高い位置から見下ろすギルフォードの月のように美しい双眸が妖しく輝く。
「ギル、何をふざけて……」
「ふざける? 言っただろ。俺は真面目だって。お前を愛している。お前を、俺だけのものにしたい」
予想外すぎる言葉の連続に、頭は真っ白になってしまう。
彼の息遣いが近づく。彼の薄い唇が近づいてくる。
頭では分かっているのに体が動かない。
抗わなければ、唇を奪われる。
頭では分かっているのに体が動かない。
ギルフォードが覆い被さってくる。
――どうしてこんなことに……!!
ジュリアにできることは、目を閉じることだけ。
「ギルフォード将軍! すごい音が聞こえましたがどうされたのですか!?」
勢い良く扉が開け放たれ、軍服を着崩した男が部屋に入ってきた。
自分たち以外の人物の登場に、それまで動けなかった体が動く。
我に返ったギルフォードの体を押しやった。
突き飛ばされたギルフォードは少し距離を取るが、ギルフォードは頭を抱える。
ギルフォードはそばにあったロープを引っ掴むや、自分ろ柱とを結びはじめた。
「ギルフォード様、何をされているのですか!?」
「おい、お前っ。その女とさっさとこの部屋から出て行け」
地獄の底から噴き上がるような鬼気迫る声に、男は顔を青ざめさせて回れ右をする。
「あなた、ちょっと手を貸して。ギルの様子が」
「ジュリア、余計なことを言うな……っ」
こちらに背を向けたまま唸るギルフォードは無視し、ジュリアは留め金の外れた巻物を見せた。
「さっきの地震で山が崩れた時、この巻物の留め金が外れて、魔法が発動してしまったみたいなんだけど、これが何の魔法か分かる?」
「失礼します」
そうこうしている間も、ギルフォードは「さっさと出ていけっ」と彼らしからぬ取り乱した様子で、叫び続けている。
「これは……えっと……複数の術式が編み込まれているようですが…………いや、そんなまさか……」
男がぽつりと呟く。
「どんな魔法なの!? ギルがさっきから様子がおかしいの」
「……魅了魔法、とあります」
「み、魅了?」
「……は、はい」
「どんな効果なの?」
「術式を見る限り、女性への恋情を抑えきれず、欲望の歯止めがきかなくなってしまう……というもののようです」
先程の抱きしめられ、好きだと囁かれた記憶が蘇り、ジュリアは赤面してしまう。
「どうしてそんな魔法が……まさかギルが作ったわけじゃ……」
「俺じゃない。署名を見ろ、マッケナンだ!」
ギルフォードが声を上げた。
「マッケナン大佐でしたか……」
男は「あぁ……」と空を仰ぐ。
「マッケナンさんはそんなにとんでもない人なの!?」
魔導士部隊の事情は、ジュリアもよく分からなかった。マッケナンという人物にも心当たりが全くない。
「魔導士部隊創設以来の創出魔法――いわゆる新しい魔法を造り出すという分野のことです――の分野の第一人者にして天才と言われている方です」
「ギルよりも」
「は、はい」
「おまけにとんでもない変人だ」
ギルフォードが苦々しく漏らす。
「その人の魔法のせいでギルが……」
――あのギルが私を好きとか愛しているとか、思うはずがないじゃない。
しかし納得したにもかかわらず、この心がしくしくと痛むのはどうしてなのだろう。
ジュリアは理解できないものはひとまず脇に追いやる。今はそんなことよりも、ギルフォードだ。
「そのマッケナン大佐は? その人なら、魔法の効果を消せるんじゃないの?」
「……とは思うのですが、今大佐は、勉強の為に留学中です」
「どこの国に!?」
ジュリアに詰め寄られた軍人は、気まずそうな顔をする。その顔には嫌な予感しか抱けない。
「わ、分かりません……。『魔法の勉強のために放浪します』という置き手紙を残したきり、どこかへ消えてしまって」
「いくらなんでも魔導士部隊の規律は緩すぎるんじゃないの!?」
魔導士は変人奇人の集まりだ、と一部の軍人が言うのも納得できる。
「この術式はギルにはどうにかできないの!?」
「創った本人にしかできない」
「そんな……」
「だから、俺のことは放っておいて、お前らはさっさと帰れ」
そう言われても、はいそうですかというわけにはいかない。
帰ったところで魔法の効果がなくなるわけではないのだから。
なにせ、嫌っているジュリアを抱きしめただけでなく、唇まで奪おうとしたのだ。
――今のギルの目の前に何も知らない女性が現れたら……さっきみたいに迫るようなことあったら大変よ。
それこそ、青き死神ギルフォードは色情狂だと誤解されてしまう。
ただでさえギルフォードというのは社交界で生きる彫像と呼ばれるほど、女性人気が高いのだから。
――ギルがかばってくれなかったから、魅了魔法に囚われていたのは私なんだから。
ならば、ジュリアがギルフォードの欲望の対象になればいい。この年齢でまだ初恋すら経験していないが、ギルフォードの名誉を守るためなら頑張れる。頑張らなければならない。
「ギル。とりあえず家に帰りましょう」
「必要ない。自分で帰れるっ」
「あなたは今とんでもなく危険な状況だってこと分かって――」
しかしギルフォードはテレポート魔法であっという間に消え去ってしまう。
「まったく。あんな危険な状況でっ」
ジュリアはギルフォードの後をおいかけ、彼の屋敷へ急いだ。

