私を嫌っていた冷徹魔導士が魅了の魔法にかかった結果、なぜか私にだけ愛を囁く

 公務が終わった頃はすでに日付が変わろうとしている。
 あれから軍に父親が怒鳴り込んできて、ギルフォードと決闘をすると言い出して収拾がつかなくなったりと大変だった。

 どのみちクリストフが浮気性の男ではとても婿にはできないと破談し、父をどうにかなだめすかして成功して家に帰らせた。
 ジュリアは部屋を出ると玄関へは向かわず、渡り廊下で繋がった別の建物へ向かう。

 魔導士部隊の施設。
 同じ軍人でも陸軍と魔導士は異なる。
 陸軍は兵士だが、魔導士はどちらかと言えば研究者に近い。
 定められた軍服は身につけているが、前を開けていたり、肩に引っかけるだけだったり、ちゃんと着ている人間のほうが珍しいし、そのことを注意しようという雰囲気もない。
 規律は陸軍にくらべて自由で、開放的でさえある。悪く言えば、緩みきっている。
 うるさ方に言わせるとだから魔導士は駄目らしいが、ジュリアとしては同じ軍人でありながら全く傾向が異なる魔導士の世界が嫌いではない。

 もちろんジュリアは一部の乱れもなく軍服を着こなしているが、これはジュリア自身の性格によるもので、規則にうるさいというわけではない。
 ジュリアは最近オープンした人気の店で購入したケーキを手に(ギルフォードは甘い物が好きだ)、魔導士の工房へ向かう。
 ついさっき魔導士に確認したところ、ギルフォードが工房で作業をしていることは確認済みだ。
 部屋の前で小さく咳払いをして、ノックをする。

「誰だ?」

 無愛想な声。

「ジュリアよ。話があるの。入ってもいい?」
「今忙しい」
「……ケーキがあるの。疲れた時には甘い物がいいんじゃない? 食べやすいようにシュークリームもあるわ」

 間をおいて、扉が開けられた。
 彼は軍服を脱いだ薄手のシャツに、パンツ姿。
 魔導士だから柔弱と思われがちだが、その体は均整が取れて、しっかりと鍛え上げられている。

 心臓のあたりがむずむずしたものを感じたジュリアは、ケーキの箱を机に置く。
 工房内はいたるところに巻物や、魔導具が山積みになっている。
 巻物上に魔導士の言葉で呪紋を書き連ね、いくつもの術式を定着させることで新しい魔法が生まれる、と子どもの頃、ギルフォードが教えてくれたことを思い出す。

 彼の魔法の才覚は子どもの頃からで、いくつも新しい魔法の術士を編み出しては表彰されていた。
 完全に一から作るだけでなく、既存の魔法を改良したりもするらしい。
 しかし既存の魔法の術式というものは少しでも間違えると不安定になり、効果がおかしなものになってしまうから注意が必要だとも言っていた。
 魔法の改良に失敗する事故というのも起こっている。

「今はどんな魔法を作っているの」
「お前には関係ない」
「同じ軍の人間じゃない。戦闘用であれば、私も知っておくべきよ」
「使い方は俺たちが知っていればいい。というか、用件が済んだのならさっさと帰れ」
「嫌よ。帰るかどうかは私が決める。あなたが決めることじゃない」
「勝手にしろ」

 邪険にされるのは予想済み。いちいち反応してもいられない。
 部屋の中を見て周りながら頭の中を整理する。
 と言っても、どの巻物が何を意味するのかは魔法の素養のないジュリアには何も分からないが。

 ――とりあえず世間話から入るべきよね。

「……小さい頃、私たちはよく遊んだわよね」

 無視。

「仲は良かったよね。毎日、二人で泥だらけになって遊んで。お父様からはギルには近づくなといつも厳しく言われて、部屋に閉じ込められたりもしたけど、それでも抜け出して、遊んだわよね」

 黙々と作業をする背中に呼びかけるが、反応は相変わらず。
 ますます胸が締め付けられ、苦しくなる。

「ね、私たち、いつからこんな風になっちゃったの?」

 ギルフォードがちらっとこちらを振り返る。

「白々しいな」
「言いたいことがあるならはっきり言って。わだかまりを吐き出せば、昔ほどとは言わないまでも仲良く……」
「お前と? 冗談だろ」
「本気よ」

 また鼻で笑われると、いい加減、腹も立ってくる。

 ――もう殴り合うしかないわけ?

 ぎゅっと拳を固く握り締める。
 その時、地震が起こった。
 ジュリアはそばにあったテーブルに掴み、腰を沈める。

 ――かなり大きい……っ。

 テーブルに置かれていた巻物や魔導具の山がぐらっと揺れた。

「!」

 ジュリアめがけ、山となっていたものが崩れてくる。

「ジュリア!」

 頭を庇うために身構えた刹那、ジュリアは押し倒されていた。同時に山をなしていた巻物や魔導具がジュリアめがけ降ってくる。
 もうもうと立ちこめる埃に咳き込みながら目を開けると、すぐ目の前にギルフォードがいた。

「ギル……」
「まったく、お前が来るからろくなことが起きない」
「それより平気!?」
「問題ない」

 ギルフォードが体を起こすと、上に乗っかっていた巻物やら魔導具が床に落ちる。一つ一つはそれほど大きくはないが、塊となって落ちてきた以上、kなりの衝撃だったはず。

「どこか怪我をしているかもしれないから、ちょっと見せて」
「やめろ」

 手を伸ばそうとすると、弾かれた。

「こんな時にまで意地を張る必要はないでしょ」
「俺だって鍛えてる。お前に何かをしてもらう必要は」
「なにを意地になっているのよ」
「誰のせいだと……!」
「誰のせいって……まさか私のせいだって言いたいの?」

 ギルフォードは顔を背ける。

「ギル、私に問題があるならはっきり……」

 その時、パリン、と小さく何かが砕ける音がした。
 一つの巻物をまとめあげていた留め金が壊れたのだ。
 封印の解かれた巻物がひとりで広がるや、そこに編まれていた術式が赤くぼんやりした輝きを放つ。

 再びギルフォードに押し倒された。
 巻物から浮かび上がった赤い光がギルフォードを直撃した。

「ぐ……」

 一瞬、ギルフォードの体が赤い光に包み込まれたかと思えば、それはすぐに収束する。
 ギルフォードは肩で息をしながら、見下ろしてくる。

「ぎ、ギル……?」

 目元のあたりが紅潮し、かすかに涙ぐんでいるようにも見えるが、怪我をしている様子はなかった。

「ジュリア……」

 ひんやりと冷たい手が頬に添えられる。
 まるでその感触をしっかり感じようとするかのように、頬をさすられてしまう。
 ギルフォードが目を細める。

 ――ギルが笑った!?

 偶然笑って見えたというのではない。はっきりジュリアに対して笑いかけていた。

「あ、あの……ギル……? ちょっと立ってもらっていい?」
「あぁ……そうだな……。このままでは駄目だな」
「え、ええ、そうね」

 何が駄目なのかはよく分からないが。
 ギルフォードは立ち上がると、手を差し出してくる。
 思わず二度見してしまう。
 突きはなされることはあっても、手を差し出されることなど、大人になってからなかった。

「どうした手を動かせないのか?」

 ジュリアは恐る恐る、彼の手を掴んだ。
 その細身な体からは想像できないくらいの力強さで起こされたかと思えば、なぜか、すっぽりと彼の腕の中に抱かれていた。