私を嫌っていた冷徹魔導士が魅了の魔法にかかった結果、なぜか私にだけ愛を囁く

 軍施設は先のクーデター騒ぎで、奇跡的に損害を免れている。
 すでに通常業務のため、軍人たちが忙しく立ち働いているが、クーデター参加者が多くでたせいで(特に魔導士部隊)、業務がかなり滞っているとジュリアのは秘書からの手紙で知った。今は地方の軍人が穴埋めのために派遣され、それで業務を回している。

 ジュリアたちが工房へ顔を出すと、マッケナンが術式を前にうんうんと唸っていた。

 ――あいかわらず物だらけな部屋ね。

 積み上げられた巻物に、魔導具の数々。以前来たときよりも工房の主の帰還によって、その量が何倍にも膨らんでいるように見える。

「マッケナン大佐」

 呼びかけると、マッケナンが煩わしげに顔を上げる。

「ん? ああ、将軍。いらっしゃい。何か用? 今忙しいんだけど」
「解呪をお願いしに来たの」
「解呪? それほど暇じゃないよ。今僕は忙しくて……」
「どうしてギルからあなたの魔法の気配があったか知りたいんじゃなかった? まだ聞いてないでしょ」
「あぁ、そうだった。教えてくれ!」
「あなたの編み出した術式が勝手に発動して、ギルがそれを浴びたの」
「ふむ……僕が編み出したのは無数にあるんだ。何の術式?」
「魅了魔法よ」
「あれかぁ」

 どれだけ大変だったかなんて人の気も知らないマッケナンは呑気に独りごちた。

「でもあれ、失敗作なんだよねえ」

 ジュリアは耳を疑った。そんなはずがない。

「そんなことないわ。あれはすごく……効果を発揮したわ。それは私が実感してるの」

 マッケナンはギルフォードを見た。

「将軍、本当に?」
「……」

 照れてるのか、ギルフォードは気まずそうに目を反らし、曖昧な声をこぼす。

「ギル? どうしたの?」
「いや、でもそんな……ありえない」

 マッケナンは理解できないと頭を抱えて、ぶつぶつと呟く。

「でもあの術式にはしっかり魅了魔法と書かれていたけど」
「書きはしたよ。あの時は完成直後のハイテンションで書き殴っていたからね~。でも後で見直して欠点があると一目見て分かった。あれは魅了魔法じゃない。心の中で抑え込んでいる欲求が感情化するものだったんだよねぇ。だから本来、期待した効果よりもずっと広いんだ。食欲、睡眠欲、出世欲、暴力的な衝動……そのほか色んな欲求だ」
「抑え込んでいた欲求……」

 ジュリアの頭の中にはこれまで受け止めてきた、ギルフォードとのやりとりがめまぐるしく過ぎると、頬が熱くなった。
 ギルフォードが他の女性相手に問題を起こさなかったのは事前にジュリアが発散させたのではなく、そもそもギルフォードがジュリアに対する強い想いしか持っていなかったからだ。
 ギルフォードもまた、落ち着いた素振りを見せながらも耳が赤い。

「ふむ、なるほど。効果は覿面だったわけかぁ。後学のために具体的に何をしたのかぜひ教えて――」
「黙れ、マッケナン……っ!」

 怒りと羞恥で、ギルフォードは赤面して唸る。

「ひっ!」

 氷の眼差しを浴び、マッケナンは小動物のように震えながら物陰に隠れる。

「大佐。と、とにかく解呪をお願いします!」
「まあ仕方がない」

 マッケナンは、ギルフォードの顔に掌を向けながら、ぶつぶつと呪文を紡ぐ。
 鮮やかな緑色をした光の粒子が、ギルフォードの体をみるみる包み込む。
 そして光が収束していく。

「……はい、完了。じゃ、これでもういいよね。忙しいんだから出てって」

 半ば追い出されるようにジュリアたちは部屋を出た。

 ◇◇◇

 馬車の中、ジュリアたちは無言だった。

 ――どうしよう。何て言ったらいいんだろう。

 話したくないのではない。どう口火を切ればいいのか分からなかった。
 喜ぶべきのことのはず。
 ギルフォードは魔法の効果に突き動かされたわけではなかったのだから。他の女性のことなど最初から眼中になく、ジュリアだけを見てくれていたのだ。

 でもそれを嬉しい、と言うのも、なんだか恥ずかしい。ただでさえ長年恋というものを忘れていたジュリアはどう言うことが正解なのかが分からず、黙っていることしかできない。

 その時、ギルが「止めろ」と御者に命じた。そこはいつか二人でクレープを食べながら歩いた公園だった。

「少し歩かないか?」
「う、うん……」

 時刻はあの時と同じ夕暮れ時。
 黄金色の夕日が、木々の合間から降り注いでいる。
 池の前まで来ると、先を歩いていたギルフォードが振り返る。

「ジュリア……すまない」

 深く頭を下げられ、ジュリアは戸惑う。

「なんで、謝るの」
「魔法の作用とはいえ、さんざんお前には迷惑をかけた……記憶を失っていたお前を戸惑わせ、きっと嫌な気持ちにもさせてしまっただろう。今さらかもしれないが、すまない」

 頭を下げる彼に「やめて」と顔をあげさせた。

「そもそも私が記憶を失って、そのせいであなたが苦しい想いをしつづけたんだから。それに魅了魔法にかかりながら、あなたは私が記憶を完全に思い出すまで、口づけはしなかった……でしょ?」

 雨の冷たさを忘れるほど熱いキスを、今も覚えている。
 運命の相手だと知りながら、ジュリアがそれを全てなかったことにして生き続けていた時の彼の苦悩や悲愴を思えば、もっと身勝手な欲望をぶつけられたとしても決して責められなかっただろう。

 抗えきれぬ想いの中には、ジュリアを傷つけてはいけないという気持ちもまたあったのだと想う。
 恥ずかしくて、ギルフォードを見つめられない。

「……それに、あなたに抱きしめられて、好きだと囁かれて、記憶を失っていた当時も、嫌じゃなかった。それどころか、もっとあなたに触れて欲しい……そんなことまで考えてしまって。あなたが、キャスリア祭でユピノアさんと一緒にいるのを見た時、心が信じられないくらい掻き乱されて――」
「もういい、ジュリア」

 抱きしめられる。

「今はこうして、思い出してくれたんだ」

 その腕の強さは少し痛みを覚えるほどだった。しかしその力の強さは、ギルフォードの切実な想いがひしひしと伝わってくる。

「安心して、ギル。もう二度と、あなたへの想いを失ったりしない」

 誓うように、ジュリアは囁く。
 はっとした彼の表情から力が抜け、腕の力が緩んだ。

 キャスリアに祝福され、運命という目には見えない糸で結ばれた、生涯にただ一人の、代わりのきかない伴侶。

「愛してるわ、ギル」
「愛している、ジュリア」

 二人は口づけを交わした。