「杏珠」


彼の向こう側から足音と共に聞こえてきたのは院長の声


「・・・はいっ」


勢いよく返事をした途端、繋がれていた手が離れた


「帰って来ねぇから迷子かと心配しただろーが」


近づいてきた院長は彼に気づくと


「ハァ」とあからさまなため息を吐いて
「俺の女に手を出すな」


頭をガシガシと掻きながら喧嘩を売った


「は?」
「チッ」


それに対して私が間抜けな顔を晒すのと、彼の舌打ちが同時


院長は彼の舌打ちにも動じず、どちらかと言えばヘラヘラ笑っている

もしかして、待たせた間に酔いが回ったのかもしれない

彼の纏う空気が更に黒くなる前に退散しよう


考えるよりも身体は機敏に動くようで


「院長、帰りましょう」


サッと院長の腕を掴んで引っ張る


逃げるように背を向けた私と院長の背後で


「チッ」


お決まりの舌打ちが聞こえた


それが、なんだか。予定通りな気がして頬が緩む


「ん?何笑ってんだ」


「ううん。なんでもありませんよ?」


「チッ、変なヤツ」


「フフ」





やっぱり・・・不謹慎だけど


あの人は良い人なんだと思う

見た感じ・・・
とても普通のサラリーマンには見えないし、どちらかと言えば悪役?


世間一般的に見れば“良い人”という表現は間違ってるのかもしれないけど


「良い人」


なんとなくそう思った





「俺か?」


間の抜けた声で自分を指差す院長に笑いが止まらなくなった