急に視界が埋め尽くされて何も見えなくなって。
ただ唇に感じる柔らかいもの。
今起こっている状況を飲み込むのに数秒かかった。
え……いま……なに……。
全身がカチコチに固まって、もはや声も出ない。
離れたあとも唇に残る感触が、幻ではないことを私に知らせてくる。
「どうする?待つ?」
「んー、でもいつ戻ってくるかわかんないし」
壁の向こう側からは、相変わらず女の子たちの声。
幸い、さっきの物音は、窓の外の音にかき消されて、届いてなかったみたい。
「探しにいく?」
「だね、そうしよ!」
駆けていく足音に続いて、バタンとドアが閉まる音がした。
途端にシーンと静まり返る美術室。
少しずつ息ができるようになって、今度は心臓がバクバク暴れだす。
「いなく、なったね」
「…は、はい」
二人の間に漂うぎこちない空気。
先生は何かを隠すみたいに横を向いて、表情がよくわからない。
「あ、あの……」
「うん、」
「い、今の、って……」
「いやーうん、ちょっと、」
言葉を濁した先生は、ふぅ、と息を吐いた。
「……あんな顔されたら無理だって」
独り言のようにぽつりと呟いた古賀先生。
「せんせ…?」
「日向が可愛すぎてキスした」
「っ、え⁉︎」
突然の爆弾発言。
「え、あの、せん」
「日向」
「っ、はい」
「日向のこと、好きだよ。だから、付き合ってください」
私の方に向き直った先生は、まっすぐ私を見てそう言った。
「……え、えっ⁉︎」
「返事は?」
「え、ま、待ってくださいっ、ちょっと頭が追いつかない」
さっきの爆弾発言からの、今度は突然のストレート告白。
びっくりしすぎて、私の頭は思考停止状態。
「あの、えっと…嘘じゃない、ですよね」
「嘘じゃないよ、真面目に言ってる」
「、まじめに」
ちらりと先生を見上げると、本当に真剣な顔で私を見つめてる。
「日向、さっきの返事じゃ全然信じてなさそうだったでしょ?だから、俺からちゃんと言ってみたんだけど」
「あ、…」
「それでも信じてくれない?」
いつもの余裕そうな顔じゃなくて、ちょっと困ったような、不安そうな顔。
「…」
私は、自分のほっぺをぐい、と引っ張った。
「痛っ」
「ちょっ、何してんの」
「いや、ちょっと、」
だって、こんな夢みたいなこと。
でも本当に、夢でも幻でもないみたい。
「先生」
「うん」
「好き、です。よろしくお願いします」
ぺこっとお辞儀をすると、古賀先生はたちまち嬉しそうな顔に変わった。
「うん、よろしく」
「どうしよう…信じられない」
「ふっ、なんでよ」
「だ、だって、いつも先生は余裕そうで、私一人で勝手にドキドキして。先生は遊んでるだけかもしれないのに、勝手に嬉しくなったりして」
「一人で勝手にじゃないよ」
「え?」
「俺だって、ドキドキしてた」
うそ⁉︎
ほんとに?
「美術室に遊びに来てくれるの嬉しかったし、日向のこと意識し出してから、自分の気持ちが表に出ないように必死だった」
そうだったの?
余裕そうに見えてたのに。
「まぁでも、日向が恥ずかしがってるの見たくて、わざとしたりとかもあったかもね」
「ちょっ、先生!」
先生が、ふふ、と笑う。
「でも、卒業するまでは言うつもりなかったし、どうこうなるつもりもなかった。そこはちゃんとしたかったから」
「はい」
先生のそういうところ、好き。
「日向、俺の気持ち気づいてなかったでしょ?」
「もう全然!気づかなかったですよ。…でも、先生は私の気持ち、気づいてましたよね?」
「ふふ、うん。もちろん」
「っ、やっぱり」
「だって日向分かりやすいもん」
「、恥ずかしい…」
「でも確信はなかったから。ちゃんと日向の口から“好き”って聞けて嬉しい」
古賀先生がふわっと微笑む。
その瞳が優しくて、思わず泣きそうになった。
まさか先生も、私のことを想ってくれてたなんて。
嬉しい。嬉しすぎる。
今日、卒業を迎えて、こうして気持ちを伝え合えて。
こんな幸せなことある?
今なら私、もう…
「うぉっ」
いきなりぴょんと飛びついた私に、先生が驚いた声を上げた。
今までは私から先生に触れることなんてできなかった。
距離を縮める勇気なんて、これっぽっちもなかった。
でも今ならできる。
今なら先生がちゃんと受け止めてくれるから。
「先生好き」
「ふふ、うん。俺も」
笑う先生の吐息が耳にかかってくすぐったい。
体をゆっくり離すと、古賀先生の優しい眼差しとぶつかった。
その瞳に吸い込まれるように見つめていると、目の前に影がかかり、右の頬に何かがそっと触れた。
「…っ、」
それはほんの一瞬の出来事で、でも確かに私の頬には触れた感触が残ってる。
「っ、せんせ」
「ん?」
「ん?って、もう…」
「またここにしてほしかった?」
「っ、!」
急に私の唇にとんと触れた、先生の人差し指。
どくん、と心臓が跳ねる。
「っ、あ、えと」
「しないよ」
「え」
「それはおあずけ」
古賀先生がいたずらっぽく笑う。
「っ、もう先生!」
「へへっ」
やっぱり先生は余裕そうで、私にはまだまだ敵わない。
大人な古賀先生に比べたら、子供かもしれないけど。
でも今日で一歩大人に近づく私を。
これからもよろしくお願いします。