あと数センチ近づけたら



卒業式当日。



式を終えて、写真を撮ったり寄せ書きしたり、騒がしい教室を抜け出す。

友達にどこ行くの?なんて言われたけど、お手洗いと言って誤魔化した。



そわそわする気持ちとともに向かった先は、もちろん美術室。



ふぅと深呼吸をしてから、ドアをノックした。



「…」


あれ…?


返事がない。

先生いないのかな。



どうしようと困っていたら、


「日向?」

「あっ、古賀先生…!」



声が聞こえた先を見ると、古賀先生が相変わらずの猫背姿で歩いてきた。



でもいつもと違く見えるのは、格好のせいかな。


今日は卒業式だから、ピシッとしたスーツを着て、髪もきちんと整えられてる。


それだけでドキドキしてしまう。




「卒業おめでとう」

「ありがとうございます」

「中入る?」

「あ、はい」



ドアを開けた先生の後ろに続いて美術室に入る。



ここに来るのも今日が最後。




「俺に会いに来たの?」


懐かしむように美術室内を見渡していたら、先生が不意にそう言った。



「えっ」

「あれ違った?」

「あ、いやえっと…会いに来ました、先生に」



しどろもどろになりながら答えると、古賀先生はどこか嬉しそうに笑う。



光沢のあるジャケットを脱いでワイシャツの袖を腕捲り。


だんだんいつもの古賀先生に変わっていく姿を、目に焼き付けるようにじっと見つめる。




「……今日で最後なんて信じられません。まだこれからもここで先生が絵を描くの眺めていたいです」

「じゃあ留年する?」

「えっ」

「そしたらまだここにいれるよ」

「いやそれは…卒業証書もらっちゃったし、大学も受かっちゃったし」

「ふふ、だよね」



「……あの、先生」

「んー?」



「第一志望、受かりました」

「おお!おめでと!」


よかったよかった!と自分のことのように喜ぶ古賀先生。



「ありがとうございます」

「まぁ日向なら大丈夫だと思ってたけどね」

「きっと先生がくれた御守りのおかげです」

「えぇ俺の?そう?」

「はい」



古賀先生が窓を開ける。


すると、春の香りをのせた風がふわりと吹き抜けた。





「古賀先生」


覚えてるかな。



「聞いてくれますか、私のお願い」



そう言うと、振り返った古賀先生とぱちんと目が合った。




「ふふ、うん。約束したもんね」

「覚えててくれた」

「もちろん覚えてるよ。ほら、何でも聞くから言ってみ」



微笑みながら私の前に立った古賀先生。



どくんどくん、と心臓が音を立てる。



今日こそ、伝えるんだ。





「…先生」

「うん」




「……好きです。私と、付き合ってください」




先生に届いたかも危ういほどの弱々しい声。



目なんて見れなくて、自分の足元をただ見つめる。


ぎゅっと力を込めた手がスカートにしわを付ける。



先生、何か答えて…



沈黙が怖くてそう願ってると、少しの間の後、先生が「…ふふ」と笑うのが聞こえた。



え?と思って顔を上げる。



「あの」

「いいよ」

「え?」

「付き合おっか」




え……え?


驚くほど軽く答えた先生に戸惑う。


でも先生は、柔らかい笑みを浮かべたまま私を見つめてる。




「あの、先生……ほんとに?」

「うん」

「……何でも聞くって約束しちゃったから、ですか?」

「ん?」

「何でも聞くって言ったから断れない、とか…」

「んはは!あーそういうこと」



なるほどねぇ、と笑う古賀先生。



え、そうなの?どうなの?


分かんない。

もしかしたら本気だと思われてないのかな。

めちゃくちゃ勇気を振り絞って伝えたつもりだったけど、冗談だと思われてる?




「先生、あの私」


もう一回言おうとした私を、先生が待って、と止めた。



「誰か来るかも」

「え?」


入口の方を見る先生。


耳を澄ましてみると、キャッキャと話す声が微かに聞こえる。



「ほんとだ」

「誰だろ、美術部の子かな」



どうしよう…。

せっかく先生に気持ち伝えられたのに、このままうやむやになっちゃったら…。




「ちょっとこっち」


沈んでいると、先生が私を呼んだ。



「…え?」

「いいから早く」



動かないままの私の腕を掴んだ古賀先生に連れてこられたのは、美術室の中にある画材置き場。


天井まである棚で仕切られた、少し狭い空間。

所謂、ちょっとした隠れ場所的なところ。




「あの、先生?」

「ここに隠れよう」

「え?」

「居ないふりするの」



い、居ないふり?


先生の口から出たまさかの言葉。



「え、あの、せん」

「しっ、静かに」



そばに立っている先生が、さらに一歩私に近づく。



え、待って待って。

近い、近すぎる。



古賀先生との近さにドキドキする間もなく、棚の向こう側でガチャッと音がした。




「古賀せんせーい」

「遊びに来たよー」


続けて聞こえた数人の女の子の声。



「あれいないじゃん」

「えー最後だからせっかくきたのに」

「卒業祝いもらおうと思ったのにー」



卒業祝いってことは同級生?

でも聞き馴染みのない声だから、美術部の子ではない気がする。


古賀先生、やっぱりモテるんだなー…。



ちよっとモヤモヤして先生を見上げると、なに?とでも言うように私を見てくる。




「あ、でも窓開いてるよ。いるんじゃない?」

「ほんとだ、さっきまでいたのかな」



ドキッ。


窓の方に歩いてきたのか、声が近くなった。




やばい、見つかっちゃう。



そう思って咄嗟に後ろに下がろうとしたら、ガンッと床に置かれていたキャンバスに足が当たってしまった。



「っ、あ、」



思わず出た声を抑えようと、手で口を塞ごうとした。



でも。


口に触れたのは、自分の手ではなかった。