全ての物語がハッピーエンドであってほしい

なんてわがままだろうか。


ずっとずっと幸せな物語がほしい
架空の
ただのフィクションなら
それが叶うはずでしょ?


それなのに恋愛小説は、青春小説は
すごく大きなすれ違いを起こす。


それはなぜか。

幸せを感じるには不幸を知っていなくてはならないから。

ずっと幸せな環境にいると
それが幸せだと気づかないから。

最近の「毒親」や「親ガチャ」という言葉。
簡単に使っていないだろうか?

「親ガチャ」は面白い言葉だな、と少し関心した。

親から産まれるのが子どもだから、そこから「ガチャ」という言葉が使われたのだろうな、と。

では、なぜ「子どもガチャ」は無いのか。

親次第だから、といったところだろう。

経済面、家庭環境、などなど。

ある一定の親から子への影響。

他人と比べる時は誰にでも訪れる。
その時に、自分には無いものを持っている人を見てしまうと、「親ガチャ失敗」という気持ちになるのだろう。

次に「毒親」と「親ガチャ」の違いはなんなのだろうか。

これ、私の感覚としては
「毒親」は子どもを傷つける親のことで、「親ガチャ」は裕福かどうか、である。

子どもが親の元に生まれて「☆1 毒親!」
みたいなところだろうか??

ちゃんと知りたい人は調べてみて。

話は少しズレたが、ある一定の不幸を知らなければ幸福なんて訪れない。
いや、訪れても気づけない。

だから、1度、心のすれ違いを物語に投影する。
そして、この心のすれ違いは現実世界でもよくあることだからこそ、人々は共感し感動するのだろう。