キッチンを見ればびっくり。俺が見たことのない量の
食材の数だった。調味料も、きっとあの棚の奥に大量にあることだろう。
「これが俺に用意されたキッチンだって言うの?」
「ここは、第一スタジオ。まだまだあるよ」
俺は、どんな人とどんな約束を交わしてしまったんだろう。
「で、何を作るの?」
「今日はね…“ローストビーフ”を作ってもらいます」
「ロ、ローストビーフ!?」
言っておくが、俺はそんなに金持ちじゃないので、ローストビーフで使う牛肉なんて買えるわけもない。
つまり―作ったことがない。
「俺、作ったこと…」
「条件を説明します、制限時間は40分。ただし、使ってはいけない具材があります。にんにく、セロリ、人参、小麦粉は使えません。いいですね?」
「いやいや、それってローストビーフの飾りに欠かせない具材じゃ…」
「よーい、ドン!」
何にも話を聞かないこの女のせいで、俺は20時から、なぜだかローストビーフを作らされている。
何度か、ローストビーフは見たこともあるし、食べたこともある。記憶を頼りに調理をしていく。
「あと10分だよー」
焦らずとも、料理は中々上手くいっていた。
にんにくが使えないので、塩コショウ多めで。
パセリの代わりに、ローズマリーという食用草を添えて、パンではなくご飯を用意した。ソースは、ご飯に合うように濃いめの味付けにしてある。
「出来た…?」
「うん、一応ね。味見してないし、味は保証出来ないよ」
ナイフとフォークの間に料理を丁寧に置いた。
彼女の目は、キラキラと輝いていた。
「じゃあ、いただきます」
丁寧に切ったローストビーフを口に運ぶ。試験でも、なんでもないのに心臓はドクドクしていた。
「どう…?」
「…うん、美味しい!すごく、すごく美味しい!」
「本当に?そ、そんなに?」
「うんうん、今まで食べた中で1番!本当に、びっくりするくらい美味しいよ!」
彼女の微笑んだその顔に微かに俺の胸はときめいた。
「良かった、褒めてもらえて」
「これで、シェフ検定は合格だね。私の専属シェフに改めて任命します」
「そんなに嬉しくないけど、謹んでお受けします」
彼女は本当に美味しそうに食べた。
俺の料理を、そんなに嬉しそうに食べてくれる人が、いるのだと嬉しくなった。
「じゃあ、また、土曜日ね」
「予定が空いてればね」
「ダメ、私の予定を優先してよ?専属シェフさん」
「学校でその呼び方で俺を呼んだら、一生君に料理を作らないから」
タクシー代まで出してくれて、俺は家に帰れた。
なんだか、1日で色々ありすぎて疲れたより頭が痛い。
母さんのいない家で一人ぼっち。今日でざっと生まれてから2分の1を1人で過ごすだろう。
幼い頃から、母さんはそばにいなかった。
俺を寝かしつけて、すぐに仕事に向かった。
朝、俺の弁当を作って、すぐに仕事に向かった。
その時間1人で俺は、毎日を過ごしてきた。
1人は、別に寂しくない。そう、思い続けている。
「すごく、すごく美味しい…か。初めて言われたな」
母さんは、俺をあまり褒めたことがない。普段から、一緒にいないからきっと褒めれないのだ。
「料理の動画でも見ておくか」
一応、シェフになったから。俺は、約束は守りたい。