「相沢先生っ」

放課後の教室。

担任の相沢先生がひとりきりなのを確認して、明るい声で話しかけた。

「三輪」

名前で呼んでよ。

無理なわがままを心の中でつぶやくのは、これで何度目かな。

この夕焼けに染まった笑顔を見るのなら、何度あってもいいのに。

「どうした、忘れ物か?」

そんなわけ。

相沢先生と二人きりになりたいから来ているんだよ。

毎日じゃないけどね。

毎日来たら、先生が慣れちゃうでしょ。

今日は来るのかなって、少しでも私のことを考えてほしいの。

「はい、一個忘れちゃって」

必ず言うんだ、本当だから。

「なにを忘れたんだ?」

これには絶対にこたえない。

「相沢先生、今日はなにかいいことありましたか?」

「……あったよ」

間が空いたときの表情は、やっぱり、ってわかっていた顔だった。

私がなにを忘れたか、言わないのを知っているから、黙ってスルーしてくれる。

「なにがあったんですか?」

「今日提出のプリントを全員出してくれた」

相沢先生は厳しい先生だけど、本当はとても優しくて、生徒想い。

生徒からの評判も、悪い話は全然聞いたことがない。

だけどあまり笑わない人だから、私と二人きりのときに見せてくれる笑顔は貴重だ。

少しだけ目を細めて、少しだけ口角を上げて笑う顔が、私は好き。

……ほかの人には、見せたくないって思っちゃうくらい。

束縛はしたくないけれど、言ってみたい気もする。

ぽつりぽつりとお話しして、壁にかかった時計を見た。

教室に入って十五分が経っていた。

座っていた教卓の前の席から立ち上がり、かばんを持つ。

 長居はしない。

「じゃあ私、そろそろ帰りますね」

「忘れ物は?」

「大丈夫です、もう済みました」

 相沢先生と二人きりで話す目的は済んだ。

「気をつけて帰りなよ」

「はい!」

 相沢先生と私は、仲のいい「先生」と「生徒」。

友達では、ないかもしれない。

でも、友達以上の関係になりたい。

私の目には、相沢先生だけが大きく映っている。

相沢先生の目に、きっと私は映っていない。

 私が生徒だから。

「相沢先生、さようなら!」

「はい、さようなら」

 相沢先生は、先生の顔で言う。

 廊下に出て、ドアを閉める前に振り返る。

「……また明日」

 笑顔を忘れずに、相沢先生の目を見て。

 

相沢先生の目に、きっと私は映っていない。

 私が生徒だから。


 ……だけだといいな。