翌朝、やっぱり同じ時間。
「おはよ」
「おはよーございます」
 瑠由(るう)ちゃんは相変わらずぼくにそうして挨拶をした。黒い不織布マスクも、やっぱりその小さな顔の下半分を覆っている。
 エレベーターは、七階から下へ降りていっているみたいだ。惜しいなぁ、瑠由ちゃん乗れなかったのかな。
「昨日学校、楽しかった?」
「えへへ、なんだそれ。保護者みたい」
 瑠由ちゃんがカラカラと笑う。確かに、とぼくは俯く。
「ちゃんと何人かと喋ったよ。でも、友達になったわけじゃないかな」
「初めっから友達になれる人なんていないよ」
「へえ? 小学生でもそう思うんだ」
「当たり前じゃん。そんなの低学年のうちだけだよ。ちょっとずつ話していくうちに、気が付いたら友達になってんだから」
「ふぅん」
 今知りました、みたいな相槌だなぁ。中学生になったら、そういうことももう少し違ってくるんだろうか。
(タク)ちゃんは何年生?」
「たっ?! ご、五年生……」
 五年生にもなって『タクちゃん』なんて呼ばれるのは、ちょっと……いや結構恥ずかしいかも。なんだよ急に。今まで『小学生』って呼んでたのに。
 照れ戸惑うぼくをよそに、瑠由ちゃんは「へぇー、ふぅーん!」と声をうわずらせて小さくいくつも頷いた。
「五年生にしちゃ賢いねぇ。すごいなぁ琢ちゃん」
「そ、そんなこと、ない。テストの点数もあんまりよくないし」
「そうなの? けどテストの点数と賢さって別じゃない?」
「そうかな」
「私はそう思うよ」
 なんだか、今日の瑠由ちゃんはご機嫌かも。
「瑠由ちゃんはテストの点数いい?」
「んーん、全っ然よくない!」
「それ、笑って言えること?」
「あははっ。だってわかんないもんはわかんないんだもん」
「じゃあ賢い?」
「うんっ、賢い!」
 長いストレートの黒髪がふわっと舞って(つや)めいて、瑠由ちゃんはぼくを向いた。なんだか目がらんらんしてる。本当にご機嫌だな、とわかる。
 ぼくがほっと表情を緩めると、でも瑠由ちゃんは目元を哀し気にまたエレベーターを向いた。
「けどね、昨日学校で喋った()たちは別に賢くなかったよ」
「え?」
 緩んだ表情が固まってしまうぼく。
「私転校生だしさ、けど一回しか学校行ってなかったし。だから当たり障りのない質問から始まって、あとは見た目のことばーっかり訊かれてさ。自分たちと違うところを挙げてってキャアキャアして、私がちょっとほんとのこと言ったら、結局コソコソして離れてくの」
 瑠由ちゃんの黒いマスクの奥が、白々と冷めていっているのがわかってしまった。
「私、規律があるの居心地悪い。どうしてみんな『私として』見てくれないんだろう」
 ポーンと古い電子音が鳴って、エレベーターが到着。ゴウンゴウンうるさい扉が開いて、瑠由ちゃんから乗り込む。
「みんな違う人間なのに『みんなと同じ』って意味わかんない。誰基準にして言ってんだろう。誰かの正解じゃなきゃいけないの? そんなこと、誰が決めたの?」
「……瑠由ちゃん」
「誰に訊いても、誰も納得いく答えをくれないの。そういう人みんな賢くない。みんな怖いよ」
 ふわっと振り返った瑠由ちゃんは、またぼくとたいして変わらないくらいの女の子みたいな笑い方をした。
「でも琢ちゃんは違うの。私を私として見て、たくさん気にしてくれる」
「…………」
「ありがと、琢ちゃん」
 その笑顔が猛烈に寂しく思えて、二歩を駆けるようにして進む。
「おれっ、瑠由ちゃんのこと友達だと思ってるから! だから瑠由ちゃんのことすんごく気にするんだよ」
 ゴウンゴウンうるさい扉は、ぼくの背中でやっぱりうるさく閉まる。
「友、達? 私と琢ちゃん、友達でもいいの?」
「瑠由ちゃんがよかったらいいよ!」
「そう、なの?」
「そうなのっ」
 瑠由ちゃんから滲んだ不安感は、きっと瑠由ちゃんの寂しさだ。ちょっとわかったようなわかんないような複雑な感じがする。それでもぼくは、瑠由ちゃんへ言いたいことをちゃんと言って、瑠由ちゃんにご機嫌に笑ってほしいと思うんだ。
 目をまんまるにした瑠由ちゃんは、まばたきを何回か重ねたあとでクスッと笑った。
「フフッ嬉しいなぁ。そっかぁ、琢ちゃんは私のこと、友達にしてくれるんだね」
「さ、さっき言ったじゃん。ちょっとずつ話していくうちに、気が付いたら友達になってんだって」
「フフッ、うんうん、そうでした」
 渋い顔をしていたら、ポーンと古い電子音が鳴ってエレベーターが到着した。
「琢ちゃん、ほんとにありがとう」
 ゴウンゴウンうるさい扉が開いて、でも瑠由ちゃんはまだ降りない。
「琢ちゃんは真面目で優しいから、将来きっといい男になるね」
 タッと駆けるようにして、瑠由ちゃんはエレベーターを降りた。
「あり、がとう」
 曖昧で小さくなってしまったお礼の気持ちは、瑠由ちゃんの耳には届かなかったかもしれない。瑠由ちゃんはやっぱりこっちを振り返ることなく、エントランスから外の世界へと出ていった。