第二話 

〇前回の場面の続き・応接間

颯「……ごめん」
唇が離れて二人の距離が離れる瞬間に、すずの耳元で颯がつぶやく。※すずにだけ聞こえるように小さな声で

はっとして颯を見つめるすず。颯はすずから目を逸らし、身体を離していく。

綾野母「颯、泣きなさい」
綾野母が命令すると、颯の目から涙がこぼれた。大人たちがほっと一息ついたのがわかる。

すず(さすが俳優……じゃなくて。涙が花びらから普通のものに戻った……本当に私と綾野先輩はペアなんだ)

綾野母「颯、あなたは戻りなさい」
何かいいたげに颯は母を見るが諦めたようにうつむく。
颯、礼をして応接間から出ていく。ドアが閉まると綾野母はすずに視線を向ける。

綾野母「あなたには話があるから、残ってもらえる?」
席に座るように促されたすずは、不安な表情で座る。

綾野母「今回はご迷惑をおかけして申し訳ないと思っているわ」
綾野母はカバンから分厚い封筒を出し、すずの方によこす。

綾野母「国からの協力金とは別に」
山田「綾野さん。患者間での金銭のやり取りは禁止されていますから」
慌てる山田に綾野母は首を振る。

綾野母「でも、普通の患者たちと綾野颯は違うんですよ。その子もファンかもしれないのに、キスだなんて。口止め料です」
山田「綾野さん、決まりですから」
困った表情の山田。

すず「誰にも言いません!」
必死な顔のすずを、綾野母は鼻で笑う。

綾野母「では誓約書を書いてもらえる? 家族以外に決して口外しないことを。間違っても恋なんてしないようにね」
すず「言いませんよ……私はただ、綾野先輩が心配で……」

綾野母「やっぱりファンじゃないの」
すず「違います……、綾野先輩じゃなくても、自分が花に変わってしまうなんて怖いじゃないですか……」
すず、涙をこらえながらつぶやく。綾野母は大げさにため息をつくと、カバンから書類を取り出してすずに渡す。

大人たちは戸惑いの表情で綾野母を見つめるが、誰も何も言ってはくれない。

すず(私はただ、助けになりたいだけなのに……)

すず唇を噛んで悲しい顔でサインをする。

颯「…………」
応接間の外から颯が中の様子をじっと見ていた。



〇すずの家・玄関・夕方

すず「ただいま」
すず母「すず……!」
玄関の扉をあけた瞬間に、すず母がリビングから慌てて飛び出してくる。

すず母「今日フローラが決まったって、山田さんから連絡が……!」
すず「うん。今日紹介されたよ。なんとびっくり、綾野先輩だった」
心配そうなすず母の表情を見て、すずはなんとか笑顔を作る。なんてことないように靴を脱いで、母のもとに近づいていく。

すず母「それって、あの俳優の……? すずの学校の……?」
すず「そうだよ。びっくりしちゃったー。でも、すごく年齢の離れた人とかだったらどうしようと思ってたし、よかったよ」
すずへらへらとした無理した笑顔を作る。

すず「宿題してくる」
階段を上っていく。すず母は心配そうに階段を見上げる。
母に背を向けて、涙があふれてくるすず。



〇すず部屋・夕方

すず部屋に入る。机の上には希実から借りた「花蜜病」の漫画。
すず「そういえば、結局読めてなかったな」

手に取ってうつろな目で漫画をぱらぱらめくってみる。最後のページまで行くと、漫画の二人は結ばれて幸せなキスをしていた。
すず(…………)

すずはすぐに漫画を閉じる。制服を脱ぐと、胸元に六角形の痣が見える。

すず(どうして、こんなことになっちゃったんだろう……)



〇学校・授業中・午前

ヒキ・授業中の様子
ガラッと扉が開き教頭が入ってくる。教室を見渡す。

教頭「失礼、棚上さんはいるかな」
すず「はい」
すず、戸惑いながらも手をあげる。


〇廊下

教頭とすずは廊下を歩いている。

教頭「授業中に悪かったね」
すず「いえ、どうしたんですか」
教頭「昨日の件で……頼みがあるんだ」
教頭「綾野君は今日仕事で学校には来られないんだ。しかしまた症状が出てきてしまってね」
すず「そんな、綾野先輩大丈夫なんですか」
心配する表情を浮かべるすず。

教頭「申し訳ないけど、今から綾野君の職場に向かってくれるかな」
すず「ええっ!」
驚くすず。教頭が呼んでいたタクシーに乗せられて、綾野の元へ。


〇撮影スタジオ・人がガヤガヤとしている
スチール撮影の現場

すずはメモを頼りに、心細そうにきょろきょろと歩いている。

すず(こっちで合ってるはず)
綺麗な女性モデルが撮影している場所。
すず(うわあ、すごい綺麗。別世界って感じだ)

すごいなあという表情ですず進んでいくと、急いでいるスタッフがぶつかってくる。
すず「あっ、ごめんなさい」
スタッフ「チッ」
忙しそうなスタッフはすずを睨んで去っていく。

すず(私、場違いだな……。早く綾野先輩を見つけて帰ろう)
すず居心地悪そうな顔を浮かべながら、人や機材の間をかきわけていく。

すず(あ……!)
颯が個人撮影している様子、何カットか。キラキラとしていてかっこよさやオーラが伝わる感じに。

すず(綾野先輩って本当に芸能人なんだ……)

颯、カメラに向かって微笑みを向ける。

すず(綾野先輩の笑顔、初めて見たかも)

すず、颯の姿に見惚れていると
スタッフ「この高校生、誰? 関係者?」
すずの後ろに立った男性がすずを見下ろす。すず、制服姿で浮いている。

すず「あ、あのすみません。私、綾野先輩の――」
スタッフ「颯の後輩? 困るんだよね、こんなところまでつけてきちゃった?」
周りのスタッフ数人が失笑したり、蔑みの目を向けてくる。

すず「違います、今日私頼まれて……」
すず、通行許可証を見せるけどスタッフは険しい顔になる。
スタッフ「どうやってそれ手に入れたんだ?」

すず(どうしよう)
フローラシンドロームの説明もできないし、うつむくすず。颯、すずに気づいて声をあげようとするが

綾野母「あら、あなたここまできたの!」
綾野母の声にかき消される。

すずが顔を上げると、綾野母が汚いものを見るようにこちらに歩いてきた。
綾野母「すみません……!私の親戚の子で、芸能界に憧れてるみたいで時々来ちゃうんです。困ったもので」

すず「……」
すず、傷つく表情。

綾野母「控室の方に連れていきますね、ほほ」
スタッフ「親戚の子なら……」

スタッフたち、納得・呆れの表情をすずに向ける。綾野母、笑顔を貼り付けながら颯の控室にすずを押し込む。



〇颯の控室

ドアを乱暴に閉めると、綾野母の表情が鋭く変わる。
綾野母「事情を説明しないで、と言ったでしょう」

すず「不審者じゃないことを説明しようとしただけで病気のことは……!」
必死に説明しようとするすず。
綾野母「言い訳は結構よ」
カバンから封筒を取り出して、すずに押し付ける。十万程入っている。

綾野母「それ往復のタクシー代だから。じゃあ颯が休憩入るまでここにいて」
バタンとドアが閉まり、がらんとした部屋で茫然とした表情のすず。
すず、不安な表情を浮かべながら扉を見上げる。

※しばらく時間が経過した描写

ノックもせずに綾野母が入ってくる。綾野母の後ろにはうつむいている颯。
パイプ椅子に座っていたすず、はじかれたように立ち上がる。

すず「綾野先輩!お身体、大丈夫ですか!?」
すずの言葉に颯は顔をあげる。(彼女はなんで自分のことより俺を心配してくれるんだろうと思っている)

颯「俺は――」
綾野母「颯。会話している時間なんてないんだから。すぐにキスしなさい」
颯、綾野母を睨みつけて動こうとしない。

すず「あの私大丈夫です。キスします」
すず、小走りで颯に近づきへらりとした笑顔を向ける。

すず(先輩のお母さんとはあんまり関わりたくない。早く帰ろう)

すず、颯の前に立ち目をつぶる。固く結ばれた瞳とこぶしに颯は気づく。

颯「…………」
一瞬口を開きかけたが颯はやめて、一秒ほどの軽いキスをする。

すず「これで、大丈夫ですかね」
すず涙目になりながらも笑顔を作る。その表情を颯はじっと見つめる。
すず「じゃあ、お疲れさまでした。これお返ししますね」

すずテーブルに封筒を置くと、小走りで部屋を出ていく。
颯、追いかけようとするが綾野母が静止する。

綾野母「ここで追いかけたらあなたは周りにどう見られるの? 自分の立場を考えなさい。今が大事な時なのよ」

綾野母にっこりと颯に微笑みかける。颯、唇をかみしめながら目を逸らす。


〇動いているタクシーの中

うつむくすずの目から涙がこぼれる。
すず(本当は私だって、好きでもない人とキスなんてしたくない。
でも、綾野先輩は悪くない。綾野先輩は芸能人なんだから、仕方ないんだ……)
すず、暗い顔でうつむく。


〇学校・授業中・午後

すず(放課後、また昨日のスタジオに行って、キスをしないといけない)
授業を受けながら憂鬱な表情を浮かべるすず。

小さなコマ回想で、教頭に「今日も同じ場所頼んだよ、行くのは放課後でいいから」と頼まれている様子。

すず(キスは我慢できる。キスしないと、綾野先輩が花に変わって……散ってしまうから)

すず(でも、物扱いされるのは、ちょっとしんどいな)
綾野母やスタジオスタッフのさげすんだ目を思い出す。

すず(もう少しだけ綾野先輩のお母さんが優しかったらいいのに)
すず苦笑いを浮かべる。

すず(ううん、でも本当に大変な目に合ってるのはフローラの颯先輩だ。自分が花になって消えてしまうなんて怖いよね)
すず、ぞくりとした表情で腕をさする。颯が花びらに変わって、制服だけ残る様子を思い浮かべる。

すず(綾野先輩はたくさんの人に愛されてる人なんだもん。協力しないと)
すず、うんうんと頷きながら自分を励ます。

教室の後ろの扉がガラッと乱暴に開けられる。びくっとするすず。

綾野母「大久保さんはどこ……!?」

扉をあけたのは、綾野母だった。焦っている様子でヒステリックな声をあげる。生徒たちが驚いて後ろを振りむく。

教頭「授業中ですから……あ、大久保さん。ちょっときてくれるかな」
教頭はなだめた笑顔を綾野母に向けつつ、すずを見つけて声をかける。
すず、困惑した表情で立ち上がりうなずく。



〇学校・応接間

向かい合わせに座る綾野母とすず。教頭がお茶を差し出すと、綾野母は一気に飲み干し少しだけ落ち着く。
すず様子を伺って黙っている。

教頭「何があったんですか、綾野さん」
綾野母「どうもこうも……颯がいなくなったのよ!現場に来ないし連絡は繋がらないしどこにもいないの!」
綾野母はまたヒステリックな声をあげる。

すず「綾野先輩が……?」
驚いた表情のすずと教頭。

綾野母「あなた、颯に何か言ったんでしょう……!何を言ったの!」
すず「わ、わたし知りません」
綾野母「颯が仕事を休むなんて初めてなのよ……!」

綾野母、身を乗り出してすずの肩を掴む。教頭が慌てた表情でなだめる。
教頭「綾野さん、落ち着いて……!」
綾野母「颯が……私の言うことを聞かないなんて……!こんなこと今までの人生で初めてよ!あの子の人気はこれからだっていうのに!」
綾野母、取り乱しながら叫ぶ。

颯「彼女から手を離して」
凛とした声が響き、扉の方を見ると校長と颯がいた。

驚愕した表情の綾野母をよそに、颯はすたすたと歩いてくる。すずの肩から母の手を払った。
驚いたままのすずの腕を取って、颯は自分の隣に立たせる。

颯「この人は、俺を助けてくれてるのに失礼」

すず、目を見開いて隣の颯を見上げる。綾野母、ぱくぱくと口を開く。

颯「学校も学校だよ、言いなりになって」
颯が校長や教頭をしらっと見る。気まずそうな二人。

颯「いや、一番言いなりなのは俺か……」
自虐気味に切なそうに少し笑う。颯、少しだけ息を吸って綾野母を真っすぐ見つめる。

颯「これ以上、この人に酷い態度取るなら。俺もう二度とキスしないから」

すず「えっ」

綾野母「何言ってるの……! そしたら颯が死んでしまうのよ!」

颯「いいよ」

颯「俺、別に死んだっていいから。もう二度とキスしない」

すず言葉に驚いて、颯を見上げて、その表情にまた驚く。
窓に背を向けて逆光の颯の表情は、ぞっとするほど美しく、冷たかった。