「あーあ」
バカにしたような、でも優しいような、愛しいような、そんな、あーあ、だった。
彼は空を見上げる。容赦なく降り落ちる数粒の雨が、彼の頬に落ちていく。泣いているのかわからない。雨に消えていくから。
「なに、俺のこと忘れてんの……」
私に向けて言っているのか、それ以外なのかもわからなかった。
「…俺は、夜野 朝っていいます。ホストみたいな、洒落てる名前でしょ?翠さん」
彼は、酷く優しく笑った。止みそうもない雨は、どんどん、強くなっていく。
「よるのあさ…さん?」
全く聞き覚えのない名前に、首を傾げる。
自分のことも、家族や友達、学校のこと。ほとんど思い出したはずだ。それなのに、この人の記憶だけが、いつまでも見つからない。
私の記憶障害のせいなのだろうか。
それとも…
「顔見ても、俺の名前聞いても、思い出せないか、ほんと、最低最悪だわ」
ふっと笑っているし、雨が降っているけれど、私にはわかった。
彼は、泣いている。
彼は、涙を拭わない。
私は、彼の頬に触れる。
「っ」
驚いたようにする彼の目から出る涙を、親指で拭ってやる。
「聞いてもいいですかね」
私は口角を上げて、笑みを浮かべる。
「この雨って」
私に傾けてくれる彼の背中を押して、傘の中に入れた。ぐっと距離が近くなる。ひとつ傘の下、ふたり、同じ雨の音を聞いている。


