まどろみ3秒前


「あーあ」


バカにしたような、でも優しいような、愛しいような、そんな、あーあ、だった。

彼は空を見上げる。容赦なく降り落ちる数粒の雨が、彼の頬に落ちていく。泣いているのかわからない。雨に消えていくから。


「なに、俺のこと忘れてんの……」


私に向けて言っているのか、それ以外なのかもわからなかった。


「…俺は、夜野 朝っていいます。ホストみたいな、洒落てる名前でしょ?翠さん」


彼は、酷く優しく笑った。止みそうもない雨は、どんどん、強くなっていく。


「よるのあさ…さん?」


全く聞き覚えのない名前に、首を傾げる。

自分のことも、家族や友達、学校のこと。ほとんど思い出したはずだ。それなのに、この人の記憶だけが、いつまでも見つからない。


私の記憶障害のせいなのだろうか。

それとも…


「顔見ても、俺の名前聞いても、思い出せないか、ほんと、最低最悪だわ」


ふっと笑っているし、雨が降っているけれど、私にはわかった。


彼は、泣いている。

彼は、涙を拭わない。

私は、彼の頬に触れる。


「っ」


驚いたようにする彼の目から出る涙を、親指で拭ってやる。


「聞いてもいいですかね」


私は口角を上げて、笑みを浮かべる。


「この雨って」


私に傾けてくれる彼の背中を押して、傘の中に入れた。ぐっと距離が近くなる。ひとつ傘の下、ふたり、同じ雨の音を聞いている。