「おはよ………」
低くて、優しくて、安心する。
そんな、声の持ち主だった。
声を聞いた途端に、頭痛は治っていく。不安も、怖さも辛さも、溺れるような息苦しさも、全て、なくなったような気さえした。
「っ…」
「翠さん」
彼は、私の名前を呼んでいた。
頬に、温かい水が伝っていく感覚がした。雨ではない。私の涙だった。
涙が溢れるのは、どうして?
゜
゜
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我に返った私は、一定の距離を離れることに成功した。いきなり見知らぬ通りかかりの人に抱き締められ、おはよう、なんて言われる。
本当に、意味がわからない。ただの不審者でしかない誰かに、冷ややかな目を向ける。
「誰、ですか?急に」
少し驚いたように目を開いた。彼は、黒い傘ではなく、私の赤い傘を拾い上げる。
また近寄られてびくっとしたが、傘を、私に傾けてくれる。彼は濡れている。傘に弾け落ちる雨の音が、とても綺麗だった。
この綺麗な人は、誰だろう。タレ目というよりも、切れ目に近く、大人な印象が伝わる。
本当に、見知らぬ人なんだ。
見たこともない、人なんだ。
―でも、安心する。
優しい声に、言葉に、温かさに。
バカみたいだけど、目が耳が鼻が頬が心臓が、まるで彼を待っていたかのような、そんな感覚がするのだ。


