まどろみ3秒前


「おはよ………」


低くて、優しくて、安心する。

そんな、声の持ち主だった。

声を聞いた途端に、頭痛は治っていく。不安も、怖さも辛さも、溺れるような息苦しさも、全て、なくなったような気さえした。


「っ…」

「翠さん」


彼は、私の名前を呼んでいた。

頬に、温かい水が伝っていく感覚がした。雨ではない。私の涙だった。

涙が溢れるのは、どうして?









我に返った私は、一定の距離を離れることに成功した。いきなり見知らぬ通りかかりの人に抱き締められ、おはよう、なんて言われる。

本当に、意味がわからない。ただの不審者でしかない誰かに、冷ややかな目を向ける。


「誰、ですか?急に」


少し驚いたように目を開いた。彼は、黒い傘ではなく、私の赤い傘を拾い上げる。

また近寄られてびくっとしたが、傘を、私に傾けてくれる。彼は濡れている。傘に弾け落ちる雨の音が、とても綺麗だった。

この綺麗な人は、誰だろう。タレ目というよりも、切れ目に近く、大人な印象が伝わる。


本当に、見知らぬ人なんだ。

見たこともない、人なんだ。

―でも、安心する。

優しい声に、言葉に、温かさに。

バカみたいだけど、目が耳が鼻が頬が心臓が、まるで彼を待っていたかのような、そんな感覚がするのだ。